番外編.シェラサナードの困惑。
マグノリア皇宮のとある一室。
そこは今現在、マグノリア帝国で一番高貴な女性が住まう部屋である。
煌びやかな皇宮内にあって、その部屋の主と同じように楚々とした趣の室内で、一組の男女が二人きりの時間を楽しんでいた。
女性はもちろん部屋の主であるマグノリア皇女シェラサナード、男性はその婚約者であり皇宮侍従長のジャスティン。
「シェラサナード様――」
「ダメよ、ジャスティン。二人きりの時に〝様〟はつけないでって、何度も言っているのに」
「では、シェラ」
いつもは我が儘を言わないシェラサナードだが、ジャスティンの前でだけは可愛らしい我が儘を言う。
それでいて、恥ずかしそうに俯くシェラサナードを愛しそうに見つめて呼びかけたジャスティンだったが、いきなりシェラサナードを抱き寄せた。
何が起こったのかわからず顔を赤くしたシェラサナードは、ジャスティンの右手に握られた剣を目にして顔をしかめる。
「リリアーナ、あれほど部屋でお留守番をするようにと言っておいたのに、約束を破りましたね?」
ため息を吐きながら、ジャスティンが突然シェラサナードの背後に現れた自身の魔剣に向かって少々きつい口調で告げた。
すると、剣は抗議するようにカタカタと鳴る。
「またあなたなの、リリアーナ? ジャスティンはもう騎士ではないのですから、剣であるあなたは部屋でおとなしくしておくべきでしょう?」
いつもは誰にでも分け隔てなく優しく、民の人気も高いシェラサナードだが、ジャスティンの魔剣リリアーナにだけは厳しい。
魔剣はさらに抗議するようにガタガタと鳴った。
「シェラ、申し訳ありませんが、どうしてもリリアーナは何か言いたいことがあるようです。抜いてもかまいませんか?」
「……仕方ないわね」
リリアーナに甘いジャスティンに不満を抱きつつ、シェラサナードも結局はいつも許してしまう。
これはもうジャスティンを好きになってしまったからには受け入れなければならないことなのだ。
なぜならジャスティンはリリアーナ以外にも、女性にとても人気がある。
いちいち嫉妬していてはキリがない上に、そんな自分ではジャスティンに相応しくないと思うからだ。
「ありがとう、シェラ」
ジャスティンは特別に甘い笑みを浮かべて、シェラサナードに軽く口づけた。
これだけで許せてしまう自分が恨めしくもある。
また頬を染めたシェラサナードの前で、ジャスティンが鞘から剣を抜いた途端、現れたのは褐色の肌の妖艶な美女。
「嫌やわ~。ジャスティン様ってば、うちは約束を破りたくて破ったんやない。どうしても伝えなあかんことができたから、こうして飛んできたんやわ」
「何があったのです?」
ゆったりとした言い方ではあったが、リリアーナの言葉にジャスティンは真剣な面持ちで問いかけた。
ジャスティンの魔力を消費することなく現れたのだから、リリアーナにとって余程のことなのだろう。――何となく予想はできたが。
そう考えたジャスティンとともに、シェラサナードもまたリリアーナの言葉を信じていた。
リリアーナはよく二人の邪魔をするが、嘘は吐かない。
それならばやはり重要なことなのだろうと、シェラサナードも気持ちを切り替える。
「なんでか知らんけどぉ、魔族がここに入り込んでるわ~。契約もされてない魔族が結界の張り巡らされたこの皇宮にすんなり入れるだけでもおかしいのにぃ、この気配ってアレなんやわ~」
「アレとは?」
「アホ」
「あほ?」
魔族が入り込んだと聞いて、身構えたジャスティンとシェラサナードだったが、リリアーナに緊張感はない。――どころか、シェラサナードは初めて聞く言葉に思わず訊き返してしまった。
ひょっとして、魔族の言葉なのだろうかとジャスティンをちらりと見ると、とても難しい顔をしている。
「リリアーナ……。そのアホとは、以前教えてくれた彼のことですか?」
「ジャスティン様ってばぁ、あのアホ以外にアホがいてどうするん? 魔族が滅びるやん」
シェラサナードにはわからない会話が進められているが、痛みを抑えようとしているかのように額に拳を当てているジャスティンを見ていると、やはりとんでもない魔族が入り込んだとしか思えなかった。
魔族が滅ぶほどの魔族。
これ以上、このマグノリアに――ルークに過酷な運命が待ち受けているのかと、シェラサナードは焦り立ち上がった。
「リリアーナ、今すぐその魔族の許へ案内してください。穏便にお引取りいただけるよう、お願いしてみます」
「シェラ!」
「え~? 案内するのはええけどぉ、アホに話は通じへんから、無理やと思うわ~」
「それでもやってみなければわからないでしょう? もし、ルークがまた苦しむようなことになったら……」
言葉を詰まらせるシェラサナードの気持ちを悟って、ジャスティンが慰めるように抱きしめる。
今のところ、皇宮内の気に変化はないため、切迫した状況でないことだけはジャスティンにもわかっていた。
リリアーナはジャスティンの腕の中のシェラサナードを目を眇めて見たが、すぐにニヤリと笑う。
「ほな、覚悟しいや。ほんま、何があっても責任は取れへんで?」
「もちろん、かまいません」
「シェラ、あなたはここに残っていてください」
「いいえ。私はこれでもこの国の皇女です。皇宮に魔族が入り込んだのなら、皆を守るためにも力の限り戦います」
「シェラサナード様、あなたに怪我をさせるようなことがあっては、私は自分を許せない。ですから――」
「ジャスティン、また〝様〟がついてるわ」
「それは――」
「あんなぁ、ここにはうちもおるんやわ。で、行くの? 行かんの? どっちなん?」
「行きます!」
ちょっとからかうつもりが、なぜかジャスティンとイチャイチャし始めたシェラサナードに苛立って、リリアーナは二人の会話を遮った。
結局、ジャスティンは渋りつつも、強く決意したシェラサナードを止めることなどはできず、先に転移したリリアーナの後を二人で追う。
一瞬後に辿り着いたのは、皇帝の部屋でも皇太子――ルークの部屋でもなく、ディアンの執務室の前。
訝しみながら許可を得て部屋に入ったシェラサナードは、目にした光景に唖然とした。
そしてこの日、シェラサナードは数十年の人生で、初めて〝アホ〟なる言葉を知ったのだった。
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