15.地震、雷、火事、おやじ。
気が付けば、花は衣裳部屋の隣のパウダールーム(勝手に命名)にいた。
傍では、セレナとエレーンが忙しなく動いている。
そして、鏡に映った自分を見ると、例の、胸元にリボンのある夜着を着ていた。
―― 固結びしないと!
花はようやく、我に返ったのだが、いつの間にやら、化粧も落とし、歯も磨いていた事実に驚く。
どうやら無意識に行動していたらしい。
「御髪は、このまま背中へ流していたほうがいいわよね?」
「そうね。それより、陛下をお待たせしすぎじゃないかしら?」
「あら、殿方は少しくらい待たされた方が、燃えるものよ」
「それもそうね」
そんな会話をしながら、セレナは花に、ほんのりと薄い化粧を施し、エレーンは艶が十分にでるまで、花の髪を梳かしている。
―― 綺麗な顔して、何を恐ろしい事を言ってるんだ! この二人は!!
花の心の焦りは、二人には届かない。
「では、ハナ様、私たちはこれで失礼致します。
ハナの仕度を整え終え、二人は一礼して居間への扉へと去るって行く。
ハナは、もう一方の扉、寝室への扉を凝視した。
―― 事後承諾とはいえ、引き受けたんだから、やるしかない!!
いや、やる事はやりませんけど。
誰かへ言い訳しているような決意をして、胸元のリボンを固結びにし、寝室へ足を踏み入れる。
「ぎゃ! おおお!!」
「……何の獣の雄叫びだ?それは」
怪しい悲鳴をあげた花に、ルークが煩そうに顔を顰める。
「な、何してるんですか!?」
「……書類を読んでいるんだが?」
「何でそんな格好なんですか!?」
花は、寝室へ入ってすぐ、立ち竦んだままだ。
ルークは寝台に座って、枕に凭れかかるような体勢で書類を読んでいるのだが、掛け布から覗いた上半身は、何も身に着けていなかった。
「俺は寝る時、何も身に着けないだけだから気にするな。」
「何言ってるんですか!?嫌がらせですか!?鬼ですか!?悪霊退散!!」
支離滅裂になっている花に、ルークはニヤリと笑いかける。
「下も気になるか?」
そう言って、ルークは掛け布をめくる。
「ぎゃあ! 変態!!」
慌てて顔を覆った花に、「クッ!」と笑いを堪えながら、寝台から立ち上がり、長椅子に無造作に置いていた、薄手の上着を頭から被るように着た。
どうやら、下穿きは穿いていたようだ。
からかわれた事に気付いた花は、怒りを堪える。
「もう寝ます!!」
そう宣言すると、勢いよく寝台に飛び込み、落ちそうなほど隅に横になる。
それを、やはり笑いをこらえながら見ていたルークは、先ほどの書類をトントンと纏めると、何事か呟いた。すると、書類がパッと消えた。
そして、寝台に横になると、また何事か呟いた。と、一瞬にして部屋が暗闇に包まれた。
背中でルークの気配を伺っていた花だったが、ルークが2度目に呟いた後、部屋の灯りが消え、真っ暗闇になった途端……。
「ぎゃあああああ!!」
花は絶叫した。
「今度は何だ?」
パッと部屋が明るくなり、ルークが上半身を起こして、花を訝しげに見る。
「なんで真っ暗にするんですか!?」
「寝る時は暗くするだろう?」
「私は真っ暗だと眠れません!」
「……暗闇が怖いのか?」
「暗闇は平気です! 寝る時に真っ暗なのがダメなんです!」
「意味がわからん」
ルークは、眉間を揉みながら、ほとんど呟くように言った。
「だって、真っ暗にして何かあったらどうするんですか?」
「何かって何だ?」
「地震、雷、火事、おやじに暗殺者です!!」
「…………。」
何かを諦めたような、大きなため息をついたルークは、また何事か呟いて横になった。
すると、部屋はほんのりと灯りがついた、優しい黒に染まる。
「ありがとうございます」
ルークの優しさに、花はお礼を言った。
「ハナ、一つ言っておく」
「なんですか?」
「俺はお前に、防御魔法を施している」
「え? 全く気付きませんでした。ありがとうございます」
「だから、この部屋には何もしていない。バカな奴らを、おびき寄せられるものなら、おびき寄せたいからな」
「はい」
「この部屋は、強固な造りになっているから、少々の音も外へは漏れない。」
「はい」
「だが、お前の先ほどからの雄叫びは、外に漏れているだろうな」
「……え?」
「今頃、侍女たちは、俺たちがいったいどんな事をしてるのか、気になって眠れないだろうな」
「どんな事って、どんな事ですか!?」
「知りたいのか?」
「結構です!!」
―― マジメに聞いて損した! お礼言って損した!!
花は怒り心頭で、掛け布に包まり、目を瞑った。それを楽しそうに見ていたルークだったが……。
あっという間に花から寝息が聞こえてきて驚いた。
―― まさか、もう眠ったのか?
そっと近付き、花の頬にかかった髪を梳くってやるが、花の反応はない。
「本当に面白い奴だな」
そう呟くと、ルークは花を起こさないようにそっと抱き寄せ、寝台から落ちないように中央へ運んでやる。
それから、小さく息を吐き出て、ルークは目を閉じた。
……花の特技は『5分で眠れる事』であった。