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136.祝福の鐘。


「……赤ん坊?」


 かすれた声で呟いたルークは思わず花のお腹に視線をやり、続けて何か言おうとしたものの言葉がでないのかそのまま口を閉じた。

 そして花の腰に腕を回して抱きしめると、その膝に顔を埋めて黙り込んでしまった。


「……ルーク?」


 常ならぬルークの様子に花はうろたえるばかりだったが、そこにザックの明朗な声が上がった。


「ハナ様、まさかのご懐妊んんっ!?」

「――お前は何も言うな。色々と台無しになる」

 

 しかし、リコにすぐさま口を塞がれ、ザックは出口へと引きずられて行く。

 レナードも喜んでいいものかと困惑しながらリコ達に続き、ディアンはユシュタルに向けてくいっと顎で扉を示してから出て行った。


「ええ? 僕、これでも神様なのに顎で指図されちゃったよ……」


 ユシュタルはぼやきながらも軽やかに室外へと向かう。

 そうして二人きりになった祈りの間にはどこか気まずい沈黙が落ちた。


「――すまない」


「ルーク?」


 突然ルークは謝罪すると顔を上げ、戸惑う花の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「俺はすごく嬉しい。自分でも驚くほどに。だが、ハナは……つらくないか?」


 自分を身籠った事で母は酷く嘆き怯えていたのに、ルークは花に対して何も配慮しなかった。

 そのあまりの愚かさに後悔が募る。

 だが花は、そんな喜びと悔恨がないまぜになって苦しむルークにぎゅっと抱きつくと、込み上げる涙を抑えて強く訴えた。


「私もすごくすごく嬉しいです。だからルークが喜んでくれると、もっともっと嬉しいです」


 花は更にその気持ちを伝えようと、膝をついたルークを押し倒す勢いでキスをした。

 喜びと、慰めと、感謝と、たくさんの愛を込めて。

 一瞬ルークは驚きに目を見開いたが、すぐに花を傷付けないように柔らかく抱きとめるとキスを返した。

 繰り返し、深く、長く、何度も。

 キスの合間に洩れる甘い吐息と愛の言葉。

 これまで多くの苦しみと悲しみを乗り越えてきた二人は今、大きな幸せに包まれていた。


「ハナ、ありがとう。本当に……ありがとう」


「私の方こそ……ありがとうございます」


 やがて唇を離したルークは、照れ笑いする花の淡く染まった頬に頬を寄せる。

 優しく抱きしめ合った二人は息が詰まるほどの溢れる喜びの中で、確かな未来を感じていた。

 と、そこに待ちくたびれたユシュタルが扉から顔を覗かせた。


「……あの~、そろそろいいかな?」


「は、はい! すみません、お待たせしました!――ほっ、ぬん?」


「……」


 真っ赤になってユシュタルに応えた花は、慌てて立ち上がろうとして奇妙な声を上げた。

 ルークが床に腰を下ろした自分の膝に座る花を離すまいと、その腕を弛めないのだ。


「ル、ルーク……」


 恥ずかしさに動転する花をルークは仕方なく抱き上げて長椅子に座らせると、深く溜息を吐いて立ち上がった。

 そして、まるで邪魔者を見るような視線をユシュタルへ向ける。


「あれ? ちょっと、その扱いひどくない? 少しぐらいは僕に敬意を払ってくれてもいいんじゃないかな?」


「そうですよ、陛下。一応は神なのですから、少しだけ敬意を以って接して差し上げましょう」


「いや、その言葉自体に敬意が感じられないっすよ」


 口を尖らせるユシュタルに続いて戻って来たディアンが爽やかに微笑んで提言すると、ザックがすぐさま突っ込んだ。

 リコは長椅子に座る花とその傍に立つルークを見て目を細める。


「おめでとう、と言っていいのか?」


「ありがとうございます」


 嬉しそうに笑う花にリコは少し寂しげに微笑み返した。

 レナードは花が落ち着かなくなるほどにジッと見ていたが、やがて納得したように呟く。


「ルークの気が強すぎる上に、良く似ているからか……。全く気付かなかったな」


「……ああ」


 以前、花の纏う気に違和感を覚えつつ見過ごした事をルークも思い出し、レナードの言葉に頷いた。

 そこへ急に、二人の会話を耳にしたユシュタルが頭を抱えて叫んだ。


「ああっ!! しまった!!」


 皆が訝しんで注目する中、ユシュタルは気まずそうに呻く。


「あ~、う~、え~、っと、うん。花ちゃん、ごめんね?」


「はい?」


 ユシュタルはいきなり謝罪の言葉を向けられて驚く花には構わず続ける。


「えっと、この世界の生き物はみんな魔力を持ってるでしょ? それなのに花ちゃん一人ないと不便だし怪しまれるから、お届けする前に魔力を追加しようと思ってたんだよね。でも急いでいたから、うっかり……」


「……うっかり?」


「忘れていました。テヘ☆」


「……」


――― な、なんかもう……疲れた……。


 もはや怒る気力も失せて脱力した花にも、冷やかになったその場の空気にも頓着せずに、ユシュタルはニッコリ笑った。


「じゃあ、花ちゃん、どれくらいの器が欲しい?」


「え? あ、あの……どれくらいって、魔力の器をですか?」


「うん!」


 ユシュタルはどこまでも自分のペースを崩さない。

 色々と諦めた花は問われた内容について思案すると、遠慮がちに口を開いた。


「……それじゃあ、浄化魔法が自分で使えたら嬉しいので……それくらい?」


「――ちっちゃ!! ハナ様、それ、ちっちゃすぎ!! もっと夢はでっかく、望みは高くですよ!!」


 花の答えを聞いたザックが思わず声を上げ、リコも苦笑しながら同意した。


「確かにそれでは遠慮しすぎだろう。自分で転移できる程にはあってもいいんじゃないか?」


「でも……攻撃魔法とかは必要ありませんし、それにあまり大きいと……なんだか怖いですから」


 今まで全く縁のなかった魔力を扱う事に感じる花の不安を察したのか、ディアンが言い添える。


「まあ、ハナ様には癒しの力もありますし、器さえあればご自分で魔力を補う事はいくらでも出来るのでしょう?」


「うん、そうだね。君の言う通り、花ちゃんにはあまり器の大小は関係ないだろうね。でもホント……花ちゃんの世界の人間は謙虚だね。カズオ君も、大きくても持て余すだけだからって遠慮してたなあ」


 昔を懐かしむようなユシュタルの言葉に花は唖然とした。

 ルークとディアン、レナードも聞いた名前に眉を寄せる。


「カ、……カズオ君って……まさか、サトウカズオさん?」


「あれ? もしかして花ちゃんの知り合い? カズオ君は元の世界に帰る事を望んでいたから返してあげたんだけど、本当は彼にも残って欲しかったんだよね。だって彼……すごく面白いんだよ――プッ!…ククッ……」


 花もルーク達も予想外に上がった人物の名に驚くばかりだったが、ユシュタルは何か思い出したようで噴き出した。

 それでもどうにか笑いを堪えながら、改めて花に向き直る。


「さてさて。では、きちんと命を繋ぐね」


「――本当に大丈夫なのか? 兄上は何度も命を繋いだと言っていたが、もし今度――」

「大丈夫だよ」


 ルークの心配と微かな怒りを滲ませた問いかけを、ユシュタルは途中で遮り答えた。


「僕は与える神だよ? 全てを奪うクラウオスと一緒にしないで欲しいな。今回の件に関して言えば、仮留めだったからほどけちゃっただけで、きちんと繋げば絶対大丈夫だと保証するよ」


「仮留め?」


 首を傾げる花に、ユシュタルは珍しくわずかなためらいを見せた。


「うん。……だって花ちゃんはあの時……生きる事に消極的だっただろ?」


 その言葉に花は小さく息を呑み、次いで困ったように微笑んだ。


「そうですね」


「でも、もう大丈夫だよね? 花ちゃん、生きる覚悟は出来た?」


「はい」


 今度は晴れやかに笑って力強く頷いた花の額と胸元に、ユシュタルは手を当てた。

 すると、ふわりと淡い光が花の体を一瞬包んで――消えた。


「……なんだか、体がムズムズします……」


「すぐに慣れるよ。まあ魔力の扱い方はまた教えて貰ってね」


「はい、ありがとうございます」


 ずっと傍に立って見守っていたルークは安心したように大きく息を吐くと、柔らかく微笑んで花の頬にそっと触れた。

 しかし、すぐにその手を離すと強く握り締め、厳しい顔つきでディアン達へと振り返る。

 合わせてディアンもレナードもその表情を引き締めた。


 いつまでもここで穏やかな時を過ごしている訳にはいかないのだ。

 例え心を闇に囚われていたのだとしても、大逆を犯した者達を赦す事は出来ないのだから。

 国境へと意識を向ければ、六王国の軍はすでに戦意を失くしていることが窺えた。

 リコも各国軍の動きに気付き、ルークへ小さく頷いて見せる。


 花はこれからルーク達が為さなければならない事を悟り、せめて邪魔にならないようにと青鹿の間へ下がるべく立ち上がりかけた。

 そこに、ユシュタルの声がかかる。


「あ、花ちゃん、ちょっと待って」


「え?」


「花ちゃんはまだあまり無理をしない方がいいと思うんだ。お腹にいる彼のためにもね? でも、ここではっきりさせた方がいいし、僕が遅刻したせいで色々と愚弟が迷惑かけたお詫びに後片付けを手伝うよ」


 にこやかなユシュタルの言葉に、ルークやディアンは疑わしそうに眉を上げた。

 が、ユシュタルはふふんと鼻を鳴らし、得意げな顔をする。


「まあ、制約はあるとはいえ、僕は創世神だよ? 出来ない事の方が少ないのさ!」


 そう高らかに告げたユシュタルはパチンと指を鳴らした。

 瞬間――世界が動く。


「のあっ!?」


 長椅子の上でよろめいた花を、ルークが慌てて守り抱きかかえた。

 そして、花達は祈りの間から謁見の間へと移動した――訳ではなく、謁見の間が花達の元へ移動していた。


――― えええ!? これって……遊園地のコーヒーカップに乗ったみたいに気分が悪いんですけど……。


 今まで花が腰かけていた長椅子が、謁見の間の壇上に据えられた玉座の隣に鎮座している。


「……大丈夫か?」


「――はい。なんとか……」


「そうか……」


 心配のあまり顔色を悪くしたルークは花の返事を聞いて安堵の吐息を洩らすと、次いで怒りに満ちた眼差しをユシュタルへと向けた。


「だだ、だって、転移よりこっちの方が体に負担がないと思ったんだよ……。祈りの間はみんなを集めるにはちょっと狭いし」


 怒られた子供のようにユシュタルは首をすくめて言い訳していたが、花は聞いていなかった。

 ルークに抱きかかえられたまま辺りを見回せば、唖然呆然として立つセインなどの主だった政務官や近衛騎士達、ドイルなどの罷免された旧政務官達、そしてジャスティンと、皆から信じられないといった視線を向けられていたのだ。


 その中で壇上へと足をかけていたハルンベルツ侯爵が、目の前に立ったルークに冷然と見下ろされて声にならない悲鳴を上げ、無様に転げ落ちた。

 と同時に、じゃらじゃらと光り輝く宝石が埋め込まれた煌びやかな宝飾品が飛び散る。

 その耳障りな音に我に返ったジャスティンは、急ぎ膝をついて鞘へと納めた剣を右脇に置くと、深く頭を下げた。

 皆も慌てて続き、無言のまま叩頭する。

 たった今、謁見の間を支配しているものは畏怖であった。


 ユシュタールの民は神を知る。それは魂に刻まれた確かな記憶。

 目の前に立つ少年の姿をした存在は神なのだ。

 そして隣に並び立つ皇帝、その腕に抱きかかえられた花。

 全てが奇跡だった。


 皆がただ言葉なく震える体を必死に抑え平伏する様を見て花はうろたえ、ルークはどこか面倒そうに溜息を吐く。

 ディアンは壇上のユシュタルとルークをちらりと窺うと、皆へと声をかけた。


「皆様、どうぞお顔をお上げ下さい」


 いつもと変わらない宰相の声音に、謁見の間の張り詰めていた空気がわずかに弛む。

 だが、心にやましいものがある者達は顔を上げる事も出来ず、脂汗を浮かべて青ざめ、全身を大きく震わせていた。

 その者達にユシュタルが冷めた目を向ける。


「ふ~ん。まあ、仕方ないね。自業自得って奴かな? 残念ながら僕は慈悲の神ではないから、君たちの所業に腹を立ててるんだよ。世界を救うためにずっと頑張ってきた皇帝陛下を蔑ろにし、僕の大切な花ちゃんを苛めたんだから」


 そんなに苛められた訳ではないと花は言いたかったが、ドイル達には鋭く突き刺さったらしく、床に額を擦りつける勢いで更に深く叩頭した。

 ルークはユシュタルの言葉が気に入らなかったのか、不機嫌そうに顔をしかめて花をユシュタルとは反対側にそっと下ろす。


「……ねえ、どう考えても僕への態度がひどいよね? 今取り戻した自信がまた粉々だよ」


「いや、それこそ自業自得じゃないっすかね」


 ルークの態度に傷付いた様子でぼやくユシュタルにザックのさりげない突っ込みが入る。

 そこで初めて、ディアンの近くに立つリコとザックの存在に気付いたジャスティンやセイン達は微かな驚きを見せた。


「あ、私たちの事は気にしないで下さい。適当にトンズラしますんで」


 ザックは皆に向かって大雑把に手を振り、リコは困ったように苦笑して花達へと視線を戻す。

 しかし、その花は困惑していた。


「――あの、陛下……私は……」


 一人でしっかり立つ事が出来た花は玉座の据えられた壇上から下りようとしたのだが、ルークにそのまま抱き寄せられてしまった為に離れる事も出来なかった。

 そんな二人の様子を見て、ユシュタルがまた噴き出す。


「花ちゃん、そのまま皇帝陛下の隣にいてあげてよ。みんなもそれでいいよね?」


 考えるまでもないその問いかけに、皆はすぐさま受諾の意を表して再び頭を下げた。

 ユシュタルが推したのだ。――花をマグノリア皇帝の正妃にと。

 皆の賛同を得たユシュタルは満足そうに笑った。


「じゃあ、これは僕から二人へのお祝いだよ!」


 嬉々としたユシュタルの声が上がると同時に、神殿の鐘が大きく鳴り始めた。

 それはユシュタルから、花とルークの約束された未来への祝福。

 まるで花の奏でるピアノのように世界中に響き渡る美しい鐘の音は、人々に更なる奇跡を伝え、新しい始まりの時を告げた。




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