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133.さよならの時間。


「以前はあれだけ殺してくれと懇願されて拒んでいたのに、今更殺しちゃうの?」


 皮肉気に笑うクラウオスをルークは一瞥もせず、苦しみに蹲るフランツに近付いた。

 フランツはルークに気付くとふらつきながらも立ち上がり、昔の輝きを取り戻した瞳で真っ直ぐに見つめ返した。


「……ルーク、すまない」


「いいえ。どうかもう、お謝りにならないで下さい」


 ルークは悲しそうに微笑んで応えた。

 七十五年前のあの時、フランツは闇に囚われながらも必死に抗い、サンドルの呪われた血に、忌わしい宿命にルークを引き摺り込もうとする己自身をどうにか抑え付けた。

 そして別れの間際、今と同じ言葉で謝罪したのだ。――ルークへ、犠牲になった者達へと。


「んー、フランツは結構いい器だったんだけどねえ。幼いうちに、その衝動を抑えられずに弟を殺すなんて最高じゃないか。だけど、成長するにつれて自分を律しすぎたんだよ。良き君主になろうなんて勘違いしちゃってさ。だからこそ、ルカ君の存在が耐えられなかったんだろうけど」


 横から割り込んだクラウオスの言葉に、フランツはつらそうに顔をしかめた。


「だって、ルカ君はユシュタルから祝福を受けて生まれたんだもん。妬ましいよね?」


「――黙れ!!」


 ルークから放たれた怒りは光の矢となって、クラウオスに向かう。

 しかし、クラウオスはひらりとかわして更に続ける。


「ユシュタルの悪い癖なんだよ。彼は救いの手は差し伸べても、その結果を見届けない。だから破滅に向かうこの世界に気付いて、自分の力を受け入れるだけの器を持つルカ君に祝福を授けたのはいいけど、まさか僕までルカ君に力を与えたとは知らないんだから。マヌケだよね?」


「――そんな無茶な!!」


 その言葉に驚愕したのはザックだった。

 花のぼんやりした頭では何が何だか全く理解できなかったのだが、その困惑をディアンが察した。


「ハナ様、我々は器に相反する二つの力を受け入れる事など出来るものではありません。そのような事になれば心身の崩壊を招き、やがて闇に囚われ飲み込まれてしまいます。それを陛下はずっとその身に宿しながら抑えていたのです。しかも、あの神とほざく者に直接力を与えられていながら」


 ディアンは花に説明しながらも、クラウオスを冷たく見据えていた。

 フランツへと剣を向けるルークを楽しそうに見ていたクラウオスはその視線に気付き、ディアンへ不敵に笑い返す。

 



 ルークの潜在的な二つの力に初めて気付いたのはリリアーナだった。

 その力のあまりの強さに怯えて取り乱したリリアーナの訴えを聞いて、ジャスティンは絶句した。


『――あの子、なんでまだ生きてるん!? あんなん魔族でもよう耐えられん、人間の持つ力やないわ!』


 魔族の力は本来人間にとっては毒でしかなく、過去に突如として暴君へと豹変した君主達――その者達も多くが魔宝によって闇へと(いざな)われ、己の身に巣食う狂気に囚われ崩壊したのだと。


『ごめんなぁ。本当は……うちらは人間達を狂わせて壊してしまうんや』


 それは魔族でも長老達と魔宝に宿る者しか知らない事。

 ジャスティンはリリアーナの為に、魔宝についてはずっと胸に秘めていた。

 そして、あの日――魔族達の話し合いを待つ間、ディアンとレナードに黙っていた事を謝罪して打ち明けたのだ。

 不可侵の森から魔剣を持ち帰った二人には驚き焦った、と苦笑しながら。


『あの二人は大丈夫やわ。……ひょっとして、これから世界は大きく変わるかも知れんなあ。運命も変わるほどに……』


 感心するように告げたリリアーナの言葉はジャスティンに希望を与えた。


――― きっと運命は変えられる。


 フランツの狂乱から始まった惨事が徐々にルークを追い詰め、その心を蝕み始めていた時も、ジャスティンはそう強く信じていた。

 そこに花が現れたのだ。

 花の存在によってルークが癒され、次第に昔の穏やかさを取り戻していく姿を目にして、どれほど神に感謝したかわからないと言うジャスティンに、ディアンも深く頷いたのだった。

 その時はまだ、神とはユシュタルのみだと疑わずに。




「私はお前が憎かったよ、ルーク」


 フランツは微かに震える手でルークの剣を握った手を取ると、自身の首へ刃を当てさせた。


「――兄上?」


「光と闇……。相反する二つの力をその身に宿しながら、それでも優しく生きられるお前が憎かった。――だが……」


 小さく息を吐いて、一度ゆっくりと瞬いたフランツはルークへ昔と同じ微笑みを見せた。


「こんな私を慕ってくれるお前が愛しくもあった」


 兄の言葉が柔らかく胸へと刺さり、ルークはその痛みに耐えられず固く目を閉じた。


「私は全てを憎んだ。この醜く歪んだ滅びゆく世界も何もかも全てを。それでも私は……救いたかったんだ」


「――知っています。あの時からずっと、兄上のお心は伝わっていました」


 あの忌まわしい夜に聞こえた悲鳴は、フランツの心の叫びだった。

 それからも続く兄の嘆きはルーク苛んだ。

 しかし、ルークは救うことも戦うことも出来ず、ただ逃げ出す事しか出来なかったのだ。

 どれほど悔んだかわからない。

 そして今、あの時の弱さが兄をこうして苦しめている。

 ルークは決意を込めて目を開けると、強く柄を握り締めた。


「申し訳ありません、兄上」


「謝るな、ルーク。私は……感謝している」


 澄んだ紺碧の瞳を真っ直ぐに見つめながら、ルークはその腕に力を込めた。

 ヴィシュヌの剣が放った光はフランツから滲み出した闇を包み込んで昇華させていく。

 リコの父や弟のマックスの時とは違い、朽ち果てるフランツの体までもを光は優しく抱いて、全てを無へと還していった。


 花はただじっと唇を噛みしめてルークの背中を見守っていた。

 悲しみに涙を流す事も出来ない。花には泣く資格などないのだから。


――― どうかもう少し、あともう少しだけ……。


 深い悲しみに沈むルークにこれ以上の苦しみを負わせたくない。

 だからもう少しだけ許して欲しい。


 花は震えてくず折れそうになる体に力を入れて懸命に立っていた。

 ルークにはレナードやディアンがいるのだから、今を乗り越えれば大丈夫だと信じて。


「……その剣もたいがい血を吸ってるよね。そのくせ、闇を封じるとかって変なの!」


 皆がただ静かに佇み粛然とする祈りの間に、クラウオスの楽しそうな笑い声が上がった。


「では、いい加減にお引き取り下さい。憑代となる鏡も器となった二人をも失くした今、貴方に出来る事はないでしょう? この賭け事(ゲーム)は貴方の負けでは?」


「そうだね。僕はいつも負けてしまうんだよ……」


 冷ややかなディアンの態度に落ち込んだ様子で俯き答えたクラウスだったが、次に顔を上げた時には満面の笑みを浮かべていた。


「だけど今回は僕の勝ちさ。だって、まだ一番大きな器が残っているんだから」


 嬉々として告げたクラウオスの言葉に息を呑み、ルークは花を振り向き見た。

 花もまた、愕然としてルークを見つめ返す。


「なんだ。ひょっとして、この事もルカ君は知ってたの?」


 意外そうに呟くクラウオスに答える事なく、ルークは手から剣をすべり落として急ぎ花へと駆け寄った。


「……今なのか?」


 花の傍に来たものの、触れる事をためらうかのようにルークはその手を宙で止めた。

 問いかける声はかすれている。


「……ごめんなさい、ルーク……」


 震える唇からこぼれたのは謝罪の言葉。

 まさかこんなに早いとは花も思っていなかった。

 しかもこんなに急激に失われていくなんて。


「……ハナまで謝らないでくれ」


 金色に輝くルークの瞳が滲んで見える。

 ついに体を支えている事が出来ず、足から力が抜けた花をルークがすぐに抱きとめた。

 感謝を込めてどうにか微笑んだ花の耳に、クラウオスの明るい声が聞こえた。


「あーあ、僕も悲しいな。花ちゃんが死んじゃうなんて」


「ちょっ、急に何言ってんすか?」


 今度こそしっかりと立ち、驚きをあらわにするザックを見て、クラウオスは不思議そうに首を傾げた。


「あれ? 知らなかったの? 君と、君の王様は知っていると思ってたよ。だから、命を繋ぐ方法を探していたのかとね」


 そこで思い当たったらしいザックは口を開いたが、言葉が出ないようでそのまま閉じた。


「なんで!? なんでだよ!? さっきまで姫さん、元気そうだったじゃん!!」


「黙れ、アホ」


 珍しくきつい口調でアポルオンを叱りつけたディアンは、苦悩に満ちた眼差しでルークとその腕の中の花を見下ろした。

 レナードは沈痛な面持ちで歯を食いしばり、メレフィスの宿る剣の柄を強く握り締めている。


「……知っていたんですか?」


 皆の様子に気付いて、花は微笑みを浮かべたままか細い声でルークへと問いかけた。


「――ハナからユシュタルの話を聞いただろう? それに……あいつの正体を知る為に、少し考えを読み取ったんだ」


 余った力で探っていたのは各国の動きだけではない。

 かなりの力と集中を要する事になるが、アンジェリーナの言葉をきっかけに少々の無理をしたのだ。

 しかし、その結果はルークを激しく打ちのめした。


「げぇ! マジで?」


 ルークの返事を聞いたクラウオスは自分の頭を庇うように押さえた。

 が、やはりその顔は楽しげだ。


「参ったなあ、そういう事か……。でも、笑えるよね? 僕がこの世界を壊す為に死んだフランツの命を繋いで甦らせたら、ユシュタルは花ちゃんの命を繋いでこの世界を救う為に送り込んだんだから。まあ、相変わらずユシュタルの悪い癖で、今こうして死にゆく花ちゃんはほったらかしにされてるんだけどね。全く酷い奴だよ」


 それで初対面の時に笑われたのかと思いながらも、花は何も言う事が出来なかった。

 もうその気力がないのだ。

 視界が霞み、世界が滲む。


「ルーク……」


 どうにか口を開いたものの、また謝ってしまいそうで声を詰まらせた花を、ルークは抱き上げて長椅子に横たわらせると、その手を励ますように強く握り締めた。

 だが、その顔は今までのどんな時よりもつらそうに見える。

 自分がルークを苦しめている事が悲しくて込み上げる涙を、花は瞬きで押し戻そうとした。

 それなのに、もう一度瞼を上げる事が出来ない。


「……ハナ?」


 涙に曇ったルークの声が聞こえるのに、悲しまないでと、幸せだと、信じていると言う事も出来ない。

 せめて笑って、ありがとうと伝えたいのに。

 そしてどうか、あの約束を……。




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