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129.天地無用。


「久しぶりの再会に涙はいらないのかな? それとも言葉はいらない?」


 楽しそうな王太子に応えて、ルークの兄――フランツは更に笑みを深めた。

 その面差しはルークによく似ているが、紅く光る瞳には狂気が滲んでいる。


「ルーク、あれからずいぶん苦労したのだろう?」


 縋るように強く自分を抱きしめるルークの腕に花は優しく手を添えた。

 花自身、クラウスが死んだと聞いていたフランツとして現れた事に酷く動揺していたが、それ以上にルークを想う心が強くさせていた。

 そのあたたかな手から伝わる花の気持ちに慰められ、ルークはゆっくりと息を吐いて乱れた心を落ち着かせると、穏やかな口調でフランツに応えた。


「兄上、お久しぶりです。しかし、兄上はずいぶんお変わりになられた。涼やかだった気も澄んだ紺碧に輝く瞳も……今は禍々しい程に紅く燃えておられる」


 ルークの言葉にフランツは小さく笑いだした。

 その笑い声は耳に障るほどに響き、仄かに明るくなっていた世界が再び闇に閉ざされていく。

 胸に広がる不安を花が懸命に抑えてルークの腕を強く握り締めたその時――グラリと世界が傾いた。


「これはお前に対する憎悪、世界に対する厭忌(えんき)に染まったもの!」


 フランツの怒りをあらわにした重い声が聞こえると同時に、閉じていた瞼の裏に閃光が瞬く。

 どうにか目を開けた花は、世界ではなく自分が空間を移動している事に気付いた。


「ハナ、大丈夫か?」


「……はい、大丈夫です」


 何も出来ないのなら、せめてこれ以上足手まといになりたくなくて、怯えて震えそうになる体を必死に抑え微笑んで見せた。

 支えてくれるルークの腕はとても力強く安心できるのだから、不安に思う事などないのだ。


 ルークは花の返事を聞くとすぐにフランツへと厳しい顔を向け、きつく歯を食いしばった。

 花を庇いながら、何度も繰り出されるフランツからの攻撃をかわすルークは、それでも反撃することなく、ただ防御に徹している。


「娘を庇い、世界を庇い、そして私を庇わねばならぬとは難儀だな、ルーク。お前はいったいどれ程のものを背負う?」


「兄上は……信じたものは最後まで守り抜けとおっしゃった。私はそのお言葉を信じているのです!」


 嘲笑するフランツに、ルークは強い決意を返した。

 しかし、残念ながらフランツの心には届かない。


「ルーク、お前はあれもこれもと欲張り過ぎだ。それでいつも全てを失う。さて、今度は何を迷い、何を間違う?」


「確かに、私は今まで迷い間違ってばかりでした。ですが、もう迷う事はありません。私はハナと、大切な者達と生きるこの世界を選んだのですから」


 攻撃の手を止め、涼やかに笑んで問うフランツにルークははっきりと答えた。

 と同時に、手のひらから輝く光の弾を放つ。

 だが、フランツはそれをあっさりとかわし、光の弾は一閃して闇の中へと消えていった――その直後、真っ暗な闇が滲み、王太子の世界はまた新たな訪問者を迎えた。


「――遅いぞ」


「申し訳ありません、陛下。手配していた物がなかなか届かなくて」


 ルークの叱責に謝罪と弁明の言葉を述べる新たな訪問者――ディアンを見た王太子は、今まで嬉しそうにほころばせていた顔を酷く嫌そうに歪めた。


「君を招待した覚えはないけどね? 全く、本当にマグノリアの人間は無礼な者ばかりだよ」


「おや、参加者が多い方が賭け事(ゲーム)は盛り上がるものでしょう?」


 応えたディアンはフランツへと向き直り、爽やかに微笑んで軽く頭を下げた。


「お久しぶりです、フランツ殿下。最後にお見かけした時には、そのお命も尽きたものかと思いましたが、どうやら私の判断が誤っていたようですね。そのような醜態をお晒しになられているとは殿下らしくもない。やはり私が止めを刺すべきでした」


「……相変わらずお前には苛々させられるよ、ディアン。私と同じ――いや、私以上にサンドルの血を受け継いでいながら、のうのうと生き続けているのだからな」


「偶然ですね? 私も殿下の善人面にはずいぶん苛々させられていましたよ」


 薄闇の中で交わされる会話はとても穏やかに聞こえるのだが、その冷たく凍りそうな内容に花はただルークの腕の中で黙っている事しか出来なかった。

 ディアンの登場に嬉しさと驚きを感じながらも不安に思う花の気持ちを察したルークは、宥めるように華奢な肩を優しく撫でた。


「ディアン、再会の挨拶はもう十分だ。それで、王宮の様子は?」


「問題ありません。少々の誤算はありましたが、それでも予てよりの手筈通りに近衛を中心として万全の態勢をとっており、力なき者達はジャスティンと警備兵達の誘導によって安全な場所への避難が進められています。もちろんセレナ達も無事ですよ、ハナ様」


 最後に添えられたディアンの言葉に、花は大きく安堵の吐息を洩らした。

 しかし、王太子は不満そうに唇を尖らせる。


「なんだ、ばれてたのか。つまらないな」


「……ディアンの部下達は非常に優秀だ。それに……兄上が虚無へと注いでいた力を、王達を操る為に移したお陰で私にはかなりの余裕が生まれた。気付かれぬように色々と探れるほどには」


 事も無げなルークの話を聞いて王太子はぼやいた。


「参ったな。これは一本取られたようだ。じゃあ……国境の守りも万全なんだ?」


「当然、簡単には侵入できぬほどの結界をリカルドにも協力してもらい、各国が挙兵したとの報告と同時に張っている」


「……各国の軍兵達と違って、王宮を囲む兵達にはかなりの力を分け与えたのだが……さて、近衛達だけで守りきれるかな?」


 フランツの問いかけに、花はハッと息を呑んだ。

 セルショナード王城で目の当たりにした、闇に沈んだ兵達の事を思い出したのだ。

 恐怖に震え動揺する花をルークは強く抱き寄せた。


「近衛も警備兵達も、ハナの紡ぎ出す音色によって、その器を輝かしい程に満たしています。その者達が醜い闇に囚われた者に勝らぬはずがありません」


 ルークは真っ直ぐにフランツの紅い瞳を見据えて答えた。

 が、なぜかディアンは小さく溜息を吐く。


「まあ、お陰でこちらが私の手元に届くのが遅くなったのですけどね」


 そう言ってディアンはずっと手にしていた物を持ち上げて皆に示した。

 今まで自然にディアンの手元に在った為に花は気付いていなかったのだが、それは王太子もフランツも同様だったのか、訝しげに眉を寄せる。


「やはり今回もあいつの勝ちか……」


 ルークの呟きにディアンは珍しく悔しそうに頷くと、厳重に包んである布を取り去った。

 そこに現れたのは、青銅鏡のような古ぼけた小さな丸い鏡。

 くすんだ鏡面を見た花は首を傾げたが、王太子とフランツは忌々しげに顔をしかめた。


「どうしてそれを?」


 王太子の苛立ちを含んだ問いに、ディアンは再び爽やかに微笑んで答えた。


「陛下もおっしゃったように、私の手の者は非常に優秀ですので。――ああ、そうそう。手の者と言えば、私には転移すら出来ない者が部下にいるのですが……。その者は逃げ足だけは早く、捕らえてもその場で首でも刎ねない限りすぐに逃げ出してしまうのですよ。ですから陽動には重宝しています。名前は確か……今はケヴィン・アーテスと名乗っていたでしょうか? 彼のお陰で他の者達も動きやすく、こうして皆が任務を全う出来るのですから有難いですね」 


 以前口にした自分の言葉を真似るディアンに、王太子は歪んだ笑みを浮かべた。


「……やられたね」


 ディアンは更に笑みを深めて手に在る鏡をルークへと差し出した。


「陛下がご決断して下さったお陰です。こうして貴方がたを誘い出す事ができ、神殿から簡単に持ち出せたのですから。しかし、この騒動で逆に王宮へ入り込むのに苦労したようですよ、陛下」


「……だから、ちゃんと手続きを踏めと言っているだろうが……」


 ルークは鏡をチラリと窺い呆れたように応えたが、すぐにその顔を後悔に曇らせて花へと向けた。

 花を必ず守ると約束したのに、危うく見失う所だったのだ。


「すまない、ハナには怖い思いをさせてしまった」


「いいえ、大丈夫です」


 大きく首を振って微笑んだ花は、ルークの手元に視線を落とした。

 今まで黙って成り行きを見守っていたが、やはり花にはこのくすんだ鏡が何なのかよくわからず気になるのだ。


「ハナ、これはサンドル王家に伝わる宝鏡だ。ヴィシュヌが苦難に面した時、光を放ち神の力を与えた物だと言われている」


「ええ!?」


 ルークの説明を聞いた花は驚きのあまり声を上げた。

 今までの会話から推察すると、この鏡はサンドルの神殿からディアンの部下が盗み出したのだろう。

 だが、ディアンにもルークにも罪悪感は全く見られないどころか、むしろ堂々としており、王太子もフランツも一瞬動揺を見せはしたが、今は余裕の笑みさえ浮かべている。

 どうにも状況が理解できない花に王太子が朗らかに微笑みかけた。


「花ちゃん、別にいいんだよ。それは言い伝えられているような代物じゃないからね。ほら、為政者ってのはどうしても権威の象徴を必要とするからさ。それでちょっと力を加えただけの、ただの(まが)い物にすぎないんだよ」


「え――」


「では、惜しくもないな」


 ルークは戸惑う花を強く抱きしめて王太子へ冷ややかに応えると、あっさりと鏡を手放した。

 それから唖然とする花の耳へ、鏡の砕ける甲高い音がどこか遠くから届き、同時に深い闇が微かに蠢き淡く滲んだのだった。




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