表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
134/154

125.さまよう忠義。


「――姉さま……私はどうすれば……」


 祈りの間でむせび泣き伏すシェラサナードに、侍女や護衛達はうろたえ戸惑っていた。

 未だ紅く染まった室内には不安を酷く掻き立てられている。

 シェラサナードの様子からも何かとても恐ろしい事が起こるか、ひょっとしたらすでに起きているのかも知れないのに、自分達だけで大切な皇女を守りきれるのかと自信が持てなかった。

 近衛隊長以下、主だった騎士達は離宮に滞在中の皇帝に随従し、王宮を留守にしているのだ。

 それでも先程、ジャスティンが現れた事だけが侍女達の慰めとなっていた。




*****

 



「……ジャスティン? なぜお前がここにいるんだ? 父上に従っていたんじゃないのか?」


 やがて顔を上げたルークは、初めてジャスティンに気付いたかのように驚き呆然とした。

 だが、すぐにその顔を厳しいものに変えると、足をふらつかせながらも立ち上がる。


「ジャスティン、お前はここにいるべきではない。今すぐ父上を追って従え」


 突然のルークの命令に、ジャスティンは訝しんだ。


「殿下、なぜ――」


 言いかけたジャスティンは王宮内の不穏な気配を感じて、ハッと身をこわばらせる。


「……殿下はご存じだったのですか? それでレナードを……レナードとディアンを遠ざけられたのですか?」


 ゆっくりと立ち上がったジャスティンは今しがた納めたばかりの剣へと手をかけた。

 しかし、それを身咎めたルークは声に緊張を滲ませて再び命じる。


「何をしている? ジャスティン、今すぐここを離れろ!」


「いいえ。私は殿下の騎士です。今、この状況で殿下のお側を離れるなど有り得ません」


 怒りに震える体を必死に抑えて峻拒(しゅんきょ)すると、ジャスティンはルークに背を向けて扉へと向き直った。

 と同時に、勢いよく扉が開かれる。


「ルカシュテインファン殿下! 我々は――」


 部屋へと押し入って来た騎士――フランツの近衛だった騎士達はその場の惨状に足を止めたが、瞬時に気持ちを立て直すと憎々しげにルークを睨みつけ、剣を向けた。


「我々は貴方を皇太子とは認めない。我々は皇家に忠誠を誓い、忠義を尽くす者だが、貴方にだけは従う事など出来ない!」


「お前達は……今、自分が何を言い、何を為そうとしているのかわかっているのか?」


 感情を押し殺した声で僚友へと問いながら剣を抜いたジャスティンを前にして、騎士達は微かに狼狽した。


「ジャスティン! なぜ庇う!? この惨状を見ても、どれほどにこの皇子が残虐な気性であるかがわかるだろう!? このまま即位すればこの国は――いや、世界は滅びるに決まっている!!」


 一人の騎士の訴えに、ルークはその心情を隠すかのように目を伏せた。

 そこへジャスティンの怒りに満ちた大喝が響く。


「何もわからぬ者が、何もわからぬままにほざくな! お前達は己を知り、己の恥を知るがいい!!」 


 ジャスティンの激しい剣幕に押され、騎士達は僅かに後退した。

 それでも覚悟を決めて剣を握り直した所へ、ルークが場違いな程に穏やかな調子で静かに告げた。


「ジャスティン、もういい。退がれ。この者達の憤りは私の(ゆえ)。私が責任を持って断罪するべきだ」


「殿下、それは――っ!?」


 すぐさま抗言しようとしたジャスティンの声は封じられ、その体までもが拘束されたように動きを止める。

 それが皇子の力によるものだと気付いた騎士達は、金色の瞳を冷たく光らせて立つ皇子の強大な魔力を改めて思い知り、戦慄した。

 先程まで何が起きていたのかはわからないが、ジャスティンの魔力は常よりもかなりの消耗が見られる。

 にもかかわらず、騎士達全員と相対する程の力を持つジャスティンの動きを、皇子は詠唱もなく一瞬にして封じたのだ。


「お前達の忠義は兄上に在り、その御身を案じている。それは称賛に値する――が、残念ながら、兄上は先ほど身罷(みまか)られた」


「何をバカな事を!!――」


 まるで人が変わったかのような傲然(ごうぜん)としたルークの無情な言葉に、騎士達は激しい動揺を見せたが、ルークは気にも留めず続けた。


「よって、お前達はこのまま兄上に殉じるべきだろう」


 誰もがその言葉の意味を理解する間もなく、青白い光が一閃。

 ジャスティンが(くら)んだ目を次いで開いた時には、騎士達の姿はなかった。

 そして聞こえる耳障りな金属音。

 姿を消した騎士達の剣だけが、主を失い床へと頼りなく転がる。


「騎士達は兄上の崩御を知り、跡を追ったのだ」


 まるで深い闇を映したかのような、暗く澱んだ瞳でルークが冷たく言い渡し消えた後も、ジャスティンは荒い呼吸を繰り返しながらただ茫然と立ち尽くしていた。

 ルークの凄絶な力を前にして初めて、ジャスティンは恐怖という感情に囚われ、見えない拘束から解放されて尚、動く事が出来なかったのだった。




**********




「すまなかったな、ジャスティン。あいつらが思い詰めていた事には気付いていたのに、その暴挙を止められなかった」


 珍しく落ち込んだ様子で謝罪する近衛隊長のガッシュに、ジャスティンは悲しげに微笑んだ。


「いえ、誰も思いませんよ。まさかあのような……」


 フランツの近衛だった騎士達がルークに対して、どうしてもわだかまりを捨てきれないでいる事はジャスティンも承知していた。

 しかし、仮にも皇家に忠誠を誓う近衛が皇子であるルークに対して大逆を企てるなどと、誰が思うだろうか。

 実際、その場に居合わせたジャスティンでさえ、未だに信じられないでいるのだ。


――― 何かがおかしい。


 漠然とした疑念が頭を掠めるのに形にならない。

 フランツの突然の変貌、ルークの力の暴走、近衛の叛乱。

 そしてシェラサナードの嘆きは未だ癒えない。


「……それで、シェラサナード様は大丈夫なのか?」


 深い思いに耽っていたジャスティンは、気遣わしげなガッシュの声で我に返った。


「――ええ、ようやく熱も下がり、どうにか体を起こせるほどには回復しました」


「そうか。そりゃ、安心した」


 ジャスティンの返答にガッシュはホッと胸を撫で下ろした。

 紅い月が世界を照らしたあの夜から、シェラサナードは高い熱を出してずっと寝込んでいたのだ。


 皇帝の行幸に随従する出立間際、見送りに来たシェラサナードの様子はどこか不安げで、王宮から離れれば離れるほどにジャスティンは胸騒ぎを覚えた。

 そこへ届いた、王宮での新たな惨劇の報。

 ジャスティンはどうにか渋る皇帝から側を離れる許可を得て、単身王宮へと急ぎ引き返したのだが、結局はルークを苦しみから、シェラサナードを悲しみから救う事は出来なかった。


――― 救うなどと、なんと傲慢な……。


 ジャスティンは自嘲した。

 いつの間にか自分は驕っていたのだろう。

 あの時騎士達へと放った言葉が、今痛烈に自分へと突き刺さる。

 己を知り、恥を知るべきは自身であったのだ。


 例えあの場で騎士達を説得し生かしても、遺恨は残っただろう。

 その結果、いずれは騎士達の謀叛を誰もが知る所となり、その処断は騎士当人だけでは収まらなくなる。

 だがこれで良かったなどとは、とても思えない。何かもっと、自分に出来る事があったはずなのだ。


「私はどうしようもない愚か者だ……」


 思わずジャスティンの口から羞恥と悔恨がこぼれ落ちたが、ガッシュはその心情を察してか下手な慰めなどは口にせず、しばらく重い沈黙が流れた。


「……殿下はお一人で全てを負うおつもりか? あいつらの叛逆という大罪をなかった事にし、フランツ殿下の死に殉じたなどと名誉までお与えになられた。俺だって本来なら斬首に処されて当然のところを何のお咎めもない。それなのに、口さがない連中はテレンス伯爵達の死と合わせて全てを殿下の暴虐だなどと! しかもお前が……」


 やがて口を開いたガッシュは激しい感情のあまり、声を喉に詰まらせた。

 「なんと恐ろしい」と口にしながら嬉々としてルークを悪し様に噂する者達に腹が立ち、何よりもただ傍観するしかなかった無力な自分自身へどうしようもない怒りが湧く。

 そして、離宮へと突然の行幸を決めた皇帝へ感じる不信の念――だが、ガッシュは慌ててそれを振り払うかのように何度も大きく頭を振ると、盟友であり、部下であったジャスティンの話に意識を向けた。


「……そうですね。私を騎士から除名なされた事で、ディアンとレナードだけでなく、私までもをあの忌まわしき事全ての非難から遠ざけられました。殿下は……ご自身を恐れておられるのです。それで出来るだけ皆から距離を取ろうとなさっておられる」


 頷いたジャスティンの声は冷静だったが、その胸中は暗然たる思いに満たされていた。

 あの後の無機質なルークの声が耳から離れない。


 ――皆、私を忌み嫌い恐れればいい。誰も私の側に近寄らなければ、誰も傷付くことはないのだから……。


 何も言えなかった。

 情けない事に、ジャスティンはルークに掛ける言葉が見つからなかったのだ。

 だが、言葉などなくても決してその側を離れるつもりはなかった。

 初めて対面した時からずっと、ジャスティンの忠誠はルークにあるのだから。


「――で、お前はそれでも殿下のお側を離れるつもりはない訳だ。まさかお前が殿下専属の侍従になる事を陛下に願い出るとはなあ」


「殿下には酷く叱責されてしまいましたが、皇帝陛下直々のご下命ですからね。渋々ながら、お受け下さいましたよ」


 どこか呆れた様子で笑うガッシュに、ジャスティンも微笑み返した。

 途端にそれまでの空気が変わる。


「あ~あ! 俺は近々お前に隊長職を譲って、今度こそ騎士を引退するつもりだったのによぉ」


 次にわざとらしく豪快な溜息を吐いてガッシュが嘆くと、ジャスティンも調子を合わせて溜息を吐く。


「今度こそ? いつ騎士を辞めようとなどと思っていたのですか? そもそも引退してどうするつもりですか?」


 問いかけるジャスティンに、ガッシュは無邪気な顔で答えた。


「俺は元々、軍に入るつもりだったんだよ。お上品な騎士様は性に合わねえと思ってな。それがどこで間違えたんだか、気がついたら騎士の入団試験受けててなあ……。それから前隊長が引退される時に俺も辞めようと思ったら、隊長に任命されて機会を失って。ほら、俺って小心者だから頼まれると断れねえしで、今に至る訳だ」


「……」


「まあ、レナードをもう少し(しご)いて隊長職を押し付けたら、俺は軍の入隊試験受けて一兵卒から始める事にするよ」


「……やめて下さい、他の新兵達が気の毒過ぎます。脱走兵が続出して軍部に迷惑がかかるに決まっています」


「お前、そりゃどういう意味だよ?」


「言葉通りの意味ですよ」


 どうにか無言を通していたジャスティンが遂に堪え切れず抗議し、それにガッシュが反論する。

 お互いに軽口を叩き合いながら、それでも仲間の犯した罪と(あがな)いの死、ルークの悲しみと苦しみを思い、ジャスティンもガッシュも酷く打ちのめされ、その心が晴れることはなかったのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ