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124.因果の小車。


「殿下、本日で五日になりますが、未だ朝議に出席して頂けるお気持ちにはなられませぬか?」


「……」


 再び起きた惨劇に王宮中が震撼し、新しく皇太子となった皇子の残虐性に恐れ慄く中で、焦りを募らせているのはルークの外戚達だった。

 そして今、皇子の仮部屋に押し掛け、すっかり広まってしまった汚名を少しでもそそいでもらえないかと説得にあたっていた。


 ルークの外祖父であるテレンス伯爵は、後宮へ上がった娘が皇子を産んだ事によって大きな幸運を手にしたと思っていた。

 時として予言めいた事を口にする、女にしては珍しく魔力の強い娘が産んだ皇子は必ず第一皇子のフランツィスクスよりも強い魔力を有するはずだと。

 とすれば、なぜか父親である皇帝に嫌われているらしいフランツィスクスを退けて皇太子位へと、そして帝位に就く事になるだろうと、静かにその時を待っていた。

 もちろん、邪魔になりそうな者は気付かれぬように排して来た。例えそれが皇子の生母であり実の娘であろうとも。

 そしてようやく手に入れた皇太子の外祖父という立場。


 だが、望んでいたのは今のようなものではない。

 無口で酷く無愛想ではあるが聡明であったはずの皇子が、狂気の沙汰とも思える残虐非道な行いで皇太子位へと就くなどと。

 まさか娘が嘆いていた通り、本当に皇子は世界を破滅へと導く大禍となるのだろうか?

 テレンス伯爵はその考えを奥へと押しやり、引きつりそうになる顔に必死に笑みを浮かべて見せた。


 大切なのは世界ではない、己の立場だ。

 行幸中で王宮を留守にしている皇帝の耳にも皇子の所業は届いているはずだが、今はまだ咎める様子は見られない。

 しかしこの先、いつ忌避(きひ)に触れるかはわからないのだ。

 その時の為にも、皇子には確固とした地盤を築いておかねばならない。そして次の世代へも繋げなければ。


「殿下も皇太子となられた今、いつまでもお一人と言う訳にはいきませぬ。フランツィスクス殿下のお妃であられた方々がお気に召されなかったのは仕方のない事ですし、あれから残ったご令嬢方を王宮から下がらせたのも当然でしょう。ですから、私共は新しいお妃候補となる娘達を――」


「必要ありません」


「は?」


「妃など必要ありません」


 今まで無言を通して窓の外を眺めていたルークは金色の瞳を冷たく光らせ、伯爵を真っ直ぐに見据えてきっぱりと断った。


「しかし――」


「同じ事を私にもう一度言わせるのですか?」


「い、いえ……」


 背筋が凍るほどの冷たい口調で言い切られ、どうにか応えた伯爵は突然立ち上がったルークにビクリと体を震わせた。

 後ろに控えた息子達の慄く気配も伝わる。

 そんな外戚達をルークは興味なさそうに一瞥すると、その場から消え去った。




**********




「ルーク、みんなにちゃんと本当の事を言うべきよ」


「本当の事? 姉上、本当の事とは何ですか?」


 日々孤独を強めていくルークを心配して訪ねて来たシェラサナードに、ルークは穏やかに微笑んで問いかけた。

 しかし、その笑みはなぜかとても虚ろに見える。


「人は信じたい事を信じるものです。そして真実とは人の心の中に在るもの。他人の心まで変える事など私には出来ません。ですが、それでいいのです」


「ルーク……」


 感情のこもらない声で淡々と述べたルークは、悲しそうなシェラサナードから目を逸らした。


 別に期待していた訳ではない。

 祖父達が最初からあの事件を疑う事なく、ルークが起こしたものだと信じていたとしても仕方ないのだ。

 何も語らない事を選んだのはルーク自身なのだから。


 しばらく続いた重い沈黙を破ったのは、部屋に響いたノックの音だった。

 ここの所、毎日訪れる外戚達にうんざりしながらもルークは入室を許可し、顔を曇らせるシェラサナードに心配をかけないように微笑みかける。

 だが、入れ違いに部屋から出て行くシェラサナードに挨拶する祖父達を見てどこか違和感を覚え、眉をひそめた。

 結局その正体をつかめないまま、すっかりお決まりになってしまった政務へ携わるようにとの嘆願を黙って聞き流していたルークは、いつもは饒舌な伯爵が珍しく口ごもった事で注意を向けた。


「殿下……その、差し出がましいようですが……。あまり皇女殿下と親しくなさらない方が宜しいのではありませんか?」


「どういう意味ですか?」


 鋭く反応したルークの冷ややかな気配に小さく身震いしながらも、テレンスは続けた。


「そ、それはその……非常に申し上げにくいのですが、今現在の殿下のご評判は芳しいものではありません。ですが皇女殿下は臣にも民にも慕われておられ、しかも陛下がとても大切になされておられる御方。そして何より……殿下、貴方様に次ぐ継承権を持つジャスティン殿とご婚約なされていらっしゃる。そのジャスティン殿もまた、臣民の間で非常に人気が高い。とすれば、この先は殿下のお立場を脅かす存在にしか成り得ないのです」


「馬鹿馬鹿しい。それが一体どうしたと言うのです? 私の立場などと……」


 ルークは祖父の言葉を下らない戯言(ざれごと)と笑い飛ばそうとした。しかし、先ほどの違和感をふと思い出す。

 まさかとは思いつつも、自分の不穏な疑念を消し去る為に金色に光る瞳を眇めて祖父達を真っ直ぐに見つめた。

 誰かのゴクリと唾を飲み込む音が、静かな部屋にやたらと大きく響く。


「――あなた方は姉上に危害を加えるつもりなのですか?」


「そ、そんな滅相もない!」


 驚き慌てて否定する祖父の言葉も無意味でしかなかった。

 低く押し殺した声で問うルークにその場の者達の感情が乱れ、一気に心の内が流れ込んで来たのだ。


「まさか、本気で……」


 シェラサナードだけではない、フランツを完全に亡き者にしようと国中へと遣わされた伯爵の手の者達。

 今までの信じられない謀略の数々。

 その中でも、幼き時に己を殺そうとした母の死の真相はルークを打ちのめした。

 心を病んだと実家へ戻った母は病で亡くなったのではなく、実の父である祖父によって殺されたのだ。


「あなた方は母を……あなたは実の娘までも殺めたのか!!」


 ルークの怒りは身肉(みしし)を切り裂く鋭い刃のように、テレンス伯爵達に突き刺さる。

 それでも伯爵は痛みを堪え、必死に弁明した。


「仕方なかったのです! あれは――あの娘は生母と言う立場を利用していつまた殿下に害を為すかわからなかった! ですから、我々は殿下の御為に止むを得ず――」


「私の為? 母を殺す事が私の為? そんな――」


 体から湧き上がる怒り、憎悪に蠢く闇を懸命に抑えながら悲しみに震えるルークの言葉は不意に途切れた。

 たった今感じた、ずっと親しんでいた力の消失。

 それは、フランツの命が尽きた事を示していた。


「――兄上……」


 一瞬の放心。

 そして遂に、ルークの力を縛る心の枷が壊れた。




*****




 王宮の回廊を自室へと向かっていたシェラサナードはハッと鋭く息を吸って立ち止まった。

 驚いた侍女が心配して問いかける。


「シェラサナード様、如何なされました?」


 その声も耳に入らない様子で、シェラサナードはルークの許へ戻ろうと焦り踵を返した。

 とそこへ、後ろから回された腕が力強く引き止める。


「――シェラ、行ってはいけない」


「ジャスティン!?」


 切迫したジャスティンの声が耳元に聞こえたが、次の瞬間にはもうその姿は消えていた。

 一瞬茫然と立ち尽くしたシェラサナードはすぐに我に返ると、震えて鈍る足をどうにか動かして走り出した。


 何も出来ない自分は神に祈るしかないのだ。

 悲しい宿命、苛烈な運命。もう十分ではないのか。

 救いが現れると言うならば、どうか今この時に――。


 そして、祈りの間へと足を踏み入れたシェラサナードは絶望のあまり、その場で泣き崩れた。


「あ、ああ……なぜ……」


 空に浮かんだ満ちた月は、禍々しいほどに紅く輝き、祈りの間を血の色に染め上げていた。




*****




「――殿下!!」


 ジャスティンはルークの許へと飛び、その身を切るような圧倒的な力に顔をしかめて歯を食いしばった。

 ルークから放たれた力は猛り狂いながら、それでもルーク自身が己の力から王宮を守る為に以前から施していた防壁魔法によって、今はまだ室内だけに留まっている。

 しかし、部屋の中は三度の惨劇の場と化していた。

 魔力が弱かった者達は一瞬にしてルークの暴走した力の犠牲となり、四肢がちぎれ無残な姿を残した屍と成り果て、伯爵やその息子達も体の至る所に裂傷が走り血を流して倒れている。

 出血量から見るに、もはや手遅れだろう。


「――ッ……リリアーナ!!」


 ジャスティンはリリアーナに呼びかけ剣を抜くと、黒い刀身に左手を滑らせながら何事かを唱えた。

 途端に虹色に輝き始めた剣をルークに向けて足下から払い上げる。

 すると驚く事に、部屋に満ちていたルークの力が剣へと集束されていった。

 だが、すぐにリリアーナが悲鳴を上げているかのように剣が啼き、ジャスティンは急ぎ部屋の中央で蹲るルークの意識を呼び覚ますように大声で叫んだ。


「殿下!! この力を――!!」


 ジャスティンが先程とは逆に宙から剣を振り落とすと、解き放たれた力はルークへ向かう。

 そして未だ暴れ出ようとする力と緩衝し、雷鳴のような轟音と共に一閃して消えた。

 ジャスティンは肩で大きく息をしながら、リリアーナだからこそ出来た途轍(とてつ)もない荒技に感謝と謝罪を込め、労わるように刀身に触れて優しく撫でてから鞘へと納めると、蹲ったままのルークに近付き跪いた。


「殿下……」


「――なぜ……なぜ私たちは血肉を分けた者同士で争い、殺し合わなければならない? これが宿命と、運命と言うならば、私は神が憎い!」


 血を吐くようなルークの悲痛な叫びにジャスティンは何も言えず、ただ黙って苦しむルークの側にいる事しか出来なかった。




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