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121.捨てる神あれば拾う神あり。

 

 春らしい暖かな陽気に誘われて、花は月光の塔からの帰りに少しだけ寄り道をして、庭園を見下ろせる回廊を進んでいた。

 庭園には緑の中に色とりどりの糸を織り込んだ絨毯にように、可憐な花々が咲き乱れている。


 穏やかな気持ちでそんな庭園を楽しみながらのんびりと歩いていた花は、ふと護衛達が身構えた事に気付いて顔を上げた。

 回廊の先には王太子が魔術師らしきローブを被った人物を従えて、壁に寄り掛かるようにして立っていた。

 側にはルークの近衛達もいる。

 そして王太子がゆっくりと身を起こした瞬間、花の傍にルークがレナードと共に現れた。

 その気配を感じてか、王太子はその唇を皮肉気に歪めて微笑む。


「……ずいぶん過保護ですね? それほどに大切なら、箱にでも閉じ込めて戸棚の奥にでも仕舞っておけばよろしいのに」


 本気とも冗談ともつかない王太子の言葉を聞いた皆は嫌悪に顔をしかめたが、ルークは無表情なまま冷たい声で答えた。


「出来るものなら、そうしている」


――― えええええ!? 


 怖い例えだな、と思っていた花は頷くルークに驚いた。

 だがルークは王太子に冷徹な視線を据えたまま、安心させるように花の手をそっと包み込んだ。


「さすがは冷酷非道と名高い皇帝陛下ですね。私の冗談にそのように返されるとは」


 厭な毒が滲み出る王太子の笑い声と共に、その場の緊張は高まっていく。

 思わず繋いだ手に力を込めた花の不安を和らげるように、ルークはゆっくりと親指を動かしてその華奢な手を優しく撫でた。

 その事に勇気づけられた花は、緊迫した状況にもかかわらず頬を染めて嬉しそうにルークを見上げて微笑むと、もう一度あたたかな手を強く握り返してから離し、王太子へ辞去の挨拶を述べようとした。

 早くこの場から辞した方がいいと判断したのだ。

 しかし、王太子はそんな花や沈黙したままの周囲の者達を無視して、楽しそうに再び口を開いた。


「そう言えば、陛下は確か皇太子時代には多くのご側室を……」


 花は続く王太子の言葉をそれ以上聞きたくなくて、何かを決意したように唇を引き締めると、突然その身を屈めた。

 皆がどうしたのかと見守る中、起き上がった花の右手には、なぜか片方の靴が握られていた。

 そして――。


「――てあっ!!」


 どこか気の抜けた掛け声を上げて、花はその靴を庭園に向かって勢いよく投げた。


「ハナ様!?」


 セレナが驚愕の声を上げ、レナードや他の者達も呆気に取られて花を見つめた。

 王太子もさすがに唖然として言葉を失っている。

 相変わらず突飛な行動をする花に、ルークだけが諦めたように溜息を吐いた。


「陛下――」


 靴の行方を追っていた花はルークへと振り返って申し訳なさそうに微笑むと、王太子へうわべだけの笑みを向けた。


「王太子殿下、大変申し訳ありませんが、逃げた靴を追わなければなりませんので、私はこれで失礼致します」


「……」


 淑女らしい上品な花の笑顔を前にして、その場の誰もが「逃げたんじゃなくて、投げたよな」との突っ込みの言葉を飲み込んだ。

 そんな微妙な沈黙は一瞬、突如ルークが花を抱き上げた。


「陛下!?」


「靴が片方なくては歩き難いだろう? だから私も一緒に追おう」


 うろたえる花に優しく微笑みかけたルークは、うって変わって冷ややかな視線を王太子へと向けた。


「それでは、私と妃はこれで失礼する」


 それだけ告げてあっという間に転移したルークに続き、皆が黙ったまま王太子に一礼してその場から消えて行く。

 そして後に残った王太子は、後ろに控えるローブを被った人物――ガーディに問いかけた。


「ガーディ、彼女はバカなの?」


「……殿下はどのように思われます?」


「そうだね……。僕はバカな人間は好きだよ、どうとでも使いようがあるからね。だけど、バカなふりした人間は大嫌いだよ。賢しくて、どうにも使えやしない」


「……」


 王太子はその覆った両目で全てを映しているかのように、庭園へと転移した花とルークを見下ろした。

 それから、少し離れた場所に現れたレナードへと顔を向ける。

 レナードはゆっくりと振り返り、王太子を仰ぎ見た。

 二人はそのよく似た顔をしばらく合わせていたが、やがて王太子が軽く手を振って踵を返すと、レナードも何事もなかったかのように姿勢を正して前へと向き直った。



**********



「ル、陛下!」


「どうした?」


「こ、ここは立入禁止の場所です!」


 ルークに抱きあげられて転移したのは庭園の中でも珍しい、『森』の植物で彩られた場所。

 そもそも庭園に立ち入る事が出来るのも限られた者達のみなので、普段から人気は少ないのだが、念の為に誰もいない事を確認して投げた花の靴は、思う位置より少しずれて落ちてしまったのだ。

 しかし、ルークは気にした様子もなく、花壇の縁に花をそっと下ろして座らせた。


「この王宮で、私の立ち入れない場所があるのか?」


「陛下……」


 確かに、皇帝であるルークが立ち入れない場所など王宮内にはないだろう。

 答えを詰まらせた花にルークは意地悪く笑いかけて、すぐ近くの芝の上に落ちていた靴を拾い上げた。

 そして花の足下に跪くと、その無防備な裸の足へと靴を履かせた。


「ルッ、陛下!? その様な事をなさっては――!!」


 皇帝が跪くなどあってはならない。

 ましてや靴を履かせるなど、服従の意思を表す行為なのだ。

 ここは立ち入りを禁止されてはいるが、人目には付く場所だった。

 先程まで花達がいた回廊はもちろんの事、後宮のある棟や執務棟などからもこの景色を楽しめる。

 実際、数多くの視線を花は感じていた。


「陛下、お願いです。もう……やめて下さい」


 ルークは未だ花の足下に跪いて、その細い足首を掴んでいる。


「この王宮で、私の為す事を咎める者がいるのか?」


「陛下……」


 どうやらルークはこの状況を楽しんでいるらしい。

 いつものニヤリとした笑みを浮かべたルークはようやく花の足首を解放すると、その両側に手をついてグッと顔を近付けた。


「だが俺はハナに――心も、体も、全てを支配されている」


「ル、ルーク……」


 低く甘い声で囁くルークの金色の瞳から、どうにか真っ赤に染まった顔を逸らした花は、レナードや近衛達をチラリと窺った。

 が、皆は明後日の方向を見ている。


「人目が気になるのか?」


 笑いを含んで問いかけたルークは一度レナードへと視線をやると、一瞬後には花を抱き寄せて再び転移した。



*****



――― あれ? まだ庭園の中? 


 瞑っていた目を開いた花の視界いっぱいに入って来たのは、空を覆う程に鮮やかな緑。

 てっきり青鹿の間に戻るのかと思っていた花は驚いた。


――― って、違うんです!! あんなそんなな事なんて考えてませんでした!! そうじゃないんですー!!


「ハナ、大丈夫か?」


 一人羞恥に悶える花を見て、ルークは心配そうに眉を寄せた。

 どうも支離滅裂な花の思考は幸いルークには伝わらなかったらしい。


「は、はい! 助平さんですみませんでした! すごく元気です!!」


「そうか……」


 やはりルークには今ひとつ花が理解できなかったが、元気らしいので流す事にした。

 一方の花は改めて今いる場所を見回して感嘆の声を上げた。


「とても素敵な場所ですね……」


 そこは目に眩しい緑の葉を茂らせた蔦と蔦が絡み合い、まるで自然の鳥籠のような形を成して空を覆っており、人が二人やっとかがんで入れる程の空間を作り上げていた。

 木漏れ日は若葉だけでなく、穏やかに微笑むルークの繊細なプラチナブロンドの髪も明るく照らし、眩く煌めかせている。

 花は今まで何度も庭園を散歩した事があったのだが、こんな場所があるとは気付いていなかった。


「ここは……俺の秘密の場所だ」


「ルークの?」


「ああ、久しぶりに庭園に出て思い出したんだ。レナードもディアンも、ジャスティンさえも知らない。今も気配を誤魔化しているからこの場所にいる私達を知られる事もない。ずっと……兄上と俺の秘密の場所だった。……だが考えてみれば、さすがに庭師は知っているか……」


 最後は独り言のように呟いて小さく笑ったルークは、抑揚のない声で続けた。


「レナードとディアンとは一緒に育ったと言っても、幼い頃は常に一緒にいた訳ではない。数日に一度、昼間に訪ねてくる程度だ。それ以外の時間は一人で過ごす事の多かった俺の為に、兄上はお忙しいはずなのに出来る限り時間を作って会いに来て下さった。その時に教えて頂いた場所だ」


「ルーク……」


 幼い頃を懐古しながら語るルークの声はとても苦しそうで、花は投げ出すように芝についたルークの手に手を重ねた。


 今まで色々な噂を耳にしてきた花だったが、ルークの兄についてはどうやら禁忌とされているらしく、滅多にその名を聞く事はなかった。

 しかし、うっかり口をすべらす者、わざとらしく口にする者などもいた為にその存在だけは知っていた。――ルークによって皇太子の座を追われた悲哀の皇子と。


 ルークは無意識なのか、重ねられた花の手を強く握り返しはしたものの、その視線はどこか遠くを見ているようだった。


「俺は生まれるべきではなかったと何度も思った。母は俺を腹に宿した時から怯えて嘆き、そんな母を祖父や周囲の者達が必死で宥めていたが、伝わる母の負の感情はとても強く……。だから、母が俺を殺そうとした時も仕方ないと思った」


「ルーク!!」


 痛いほどにルークの悲しみが伝わり、思わず花は膝立ちになってルークを抱きしめた。

 ルークは微かな驚きを見せたが、そのまま花の胸に頬を寄せて目を閉じた。


『あれは呪われた子なのよ!! やがて世界を破滅させる大禍になるわ!! だから今のうちに――!!』


 今でもはっきりとルークの脳裏に甦るあの時の母の嘆き、狂乱した叫び。

 そんな暗い記憶に割り込むように、花の澄んだ声がルークの耳に届いた。


「私は例えルークが悪の大魔王だとしても、ルークがルークであればそれでかまいません。私はそのままのルークが好きです」


「大魔王……」


 相変わらずの言われ様にルークは苦笑を洩らした。

 それでも、数日前に自分が伝えた言葉そのままに、気持ちを伝えてくれる花の優しさが嬉しくて愛おしい。

 強く花を抱きしめ返して、今度はあたたかな想いを口にする。


「ハナに出会えて、こうしてハナを抱きしめる事が出来て、俺は生まれてきて良かったと強く思えるようになった。だから……ありがとう」


「私も……何度でも言います。この世界にルークがいてくれて、生まれて来てくれて、本当にありがとうございます」


 何度伝えても足りない、ありがとうの気持ち。

 例え世界が破滅へと歩んでいるのだとしても、愛する相手を想う気持ちがあれば立ち向かえる。

 耳に響く花の優しい鼓動が厭な記憶を一つ一つ消してくれるようで、ルークは花を抱きしめる腕に更に力を込めた。


「……ルーク」


「ん?」


「我慢しないで、私の胸で泣いてもいいですよ?」


「……」


 風光る、長閑な昼下がりの出来事だった。




**********




「え? シェラサナード様が?」


「はい」


 もうすぐ夕の刻という頃になって急に入ったシェラサナードからの面会の申し込みに花は驚きながらも了承した。

 初めて会う事になるルークの身内であり、あのジャスティンの妻となった人。

 期待と緊張に浮つく心をどうにか落ち着けて、花はシェラサナードを迎えた。


「初めまして、ハナ様。ジャスティンの妻のシェラサナードと申します」


「は、初めまして、花、です」


――― ふぬうぅぅ!! ダメだー!! 鼻血出そうです!!


 花は興奮のあまり身悶えしそうになる自分を必死に抑えた。

 柔らかな金色の巻き毛に、薄い水色の瞳を細めて微笑むその優しい顔にはルークの面影も見える。

 シェラサナードは眩しいほどに美しい人だった。


「ずっとご挨拶に伺いたかったのですが、中々機会がなくて、こんなに遅くなってしまいました。申し訳ありません」


 頭を下げるシェラサナードに、花は慌てて感謝の言葉を述べた。


「いいえ、そんな! こうしてお会いできただけでとても嬉しいです。わざわざお越し頂いてありがとうございます」


 それからどうにか応接ソファへと移り、和やかに会話が進められていたのだが、一杯目の紅茶を飲み終えた所でシェラサナードはゆっくりカップをテーブルに置くと、真剣な面持ちで花を見つめた。


「私、今日はとても大切な事をハナ様に申し上げたくて……。大変申し訳ありませんが、お人払いをお願いできますか?」


 突然の言葉に戸惑いつつも、花はカイルへと窺うように視線を向けた。

 すると、以前に伯爵令嬢のイザベラと面した時とは違い、相手がシェラサナードだからなのか、カイルは僅かにためらいを見せたが小さく頷いて、居間から出て行った。

 同時に、セレナとエレーンも静かに出て行く。

 それを見届けたシェラサナードは申し訳なさそうに口を開いた。


「無理を言って、ごめんなさいね。でも防音魔法ではなくて、二人きりでお話したかったの。ここはルークの力がとても強く働いているから大丈夫だと思って。それに防御魔法は私も得意なのよ」


 先程までより少し砕けた口調で謝罪したシェラサナードはちゃめっけを見せて笑った。

 つられて花も微笑む。

 しかし、シェラサナードの笑顔はやがて憂いを帯び、少しの沈黙とためらいの後に再び口を開いた。


「ハナ様には知っていて欲しくて……。ルークと兄であるフランツの間に起きた忌まわしい出来事――その真実を」




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