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119.挨拶作法はお国柄。


「え? 陛下とですか?」


「ああ」


「……わかりました」


 花はたった今聞いた内容に戸惑いながらも頷いた。

 四日前に来訪したサンドル王国の王太子と対面する為に、仕度を整えて青鹿の間で待機していた花をルークが直接迎えに来たばかりか、公式に行われる謁見で花はルークと共に入室するように告げられたのだ。

 いくら相手が望んでいるとはいえ、他国の王太子との謁見に側室でしかない花が同席するだけでも恐れ多いのに大丈夫なのだろうかと、心配しつつ謁見の間へと向かう。

 そして到着した謁見の間では、堂々と進み入るルークに続いて、花も少し緊張しながら足を踏み入れた。

 レナードはその後に控えている。


 公式の謁見や朝議が行われる室内は、その歴史と国力を見せつける豪華絢爛な造りでとても広く、最奥には数段高くなった壇上があり、緻密な細工の施された重厚な玉座が据えられている。

 しかし、花は周囲の様子を窺う事なく、ただ真っ直ぐにルークの背を見つめていた。

 ルークは先に控えていたディアンの側近くまで進むと、壇上へは上らずに立ち止まり、花へと振り返った。

 その無表情の中にも優しさが滲む瞳に従って花はルークの隣に並び立つ。

 王太子は軽く立礼しているが、その侍従達は膝をついて頭を下げ、立ち並ぶマグノリアの政務官達は深く頭を下げていた。


「皆様方、どうかお楽になさって下さい」


 ディアンの言葉を合図に皆が顔を上げると、花は失礼にならないようにそっと王太子を窺い、わずかに目を見開いた。


――― え?……あの人が……?


 目にした王太子の姿に驚く花の視線に気付いたのか、王太子はルークから花へと顔を向け――盛大に噴き出した。

 そのまま堪え切れない様子で声を上げて笑い始める。


――― えええっ!? なんで!? 


 訳がわからずうろたえる花だったが、周囲の者達も唖然としている所を見ると、やはり訳がわからないらしい。

 その中で一人、不快感を隠さずに立つルークへ花は恐る恐る視線を上げると、この場で話しかけてもいいものかとためらいつつ遠慮がちに小声で尋ねた。


「あの……サンドル王国では初対面の相手を笑うという挨拶習慣が……?」


「――ないな」


「ですよね……」


 アンジェリーナとの対面事を思い出した花の一縷の望みをかけた問いは、残念ながら否定されてしまった。

 そして王太子は必死で笑いを抑えようとしながら、それでも未だ止まらないままに謝罪と弁明の言葉を口にする。


「いや、し……失礼。今までずっと疑問に思っていた事が……クッ……あまりにも単純な答えだったもので思わず……。大変、申し訳ない……」


 ルークはその真意を測るように厳しい顔つきのまま王太子をしばらく見据えていたが、結局その謝罪を受け入れた。

 それからは慣例通りに謁見は進められ、花はその間ずっと黙ってルークの傍に立ち、色々と考えを巡らせていた。


 サンドルの王太子については、今まで何度か噂で聞いた事はあった。

 しかし、目の前にいる王太子はレナードを若くしたような――神様に良く似た雰囲気なのだが、明らかに違う点が一つ。

 それは、両目を覆う黒い包帯のような布を巻いている事だった。


――― 王太子さんは目を怪我しているのかな? でも、やっぱりなんで笑われたんだろう……?


 やがて形式に則った挨拶が終わると、張り詰めていたその場の空気がわずかに弛んだ。

 と、いきなり王太子はその柔らかな亜麻色の髪を揺らして花へと向き直った。


「先程は大変失礼した。ですが、決して貴女を笑った訳ではないのですよ。それに私は目で見る事は出来ませんが、代わりに色々と感じる事が出来るので不自由はしていません。ひょっとして、ご側室殿は私の目の事をご存じではありませんでしたか?」


「え? いえ……あの……はい……」


 まるで花の心の中を覗いたかのような言葉に動転して、花はまともな返事が出来なかった。

 そんな花に王太子は優しげに微笑みかける。


「我が国は以前起きたマリサク王国との戦で多くのものを失いました。私の視力はその一つに過ぎません。ですが物の形を映す事は出来なくても光は感じるのです。闇の中に在って尚、光を求めてしまう己が煩わしく、こうして全てを闇に閉ざしているのですよ。しかし、このまま貴女の側にいられるなら、私の目も癒えるのかも知れませんね」


「エヴァーディオ殿下!」


 ディアンのきつく咎めるような言葉に、王太子はわざとらしく驚いて再び謝罪の言葉を口にした。


「ああ、これは申し訳ありませんでした。紹介もされずに話しかけるなどと、また失礼をしてしまいましたね。では改めて……」


 そう言うと王太子は左足を引いて浅く腰を落とす、紳士らしい仕草で挨拶をして見せた。


「初めまして、ご側室殿。私はサンドル王国の王太子、エヴァーディオ・サンドルと申します。どうぞ、ディオとお呼び下さい」


「……こちらは、皇帝陛下のご側室であられるハナ様です」


 ディアンの紹介を受けて、花も軽く両膝を折って挨拶を返す。


「初めまして、……殿下。花と申します」


 その様子を周囲は固唾を飲んで見守っている。

 そして、王太子が敬意を表す為に花の手を取ろうとしたその時――。


「触れるな」


 今までずっと沈黙を守っていたルークが花を抱き寄せ、静かに、だがはっきりと告げた。

 途端にざわりとその場が揺れ、謁見の間には緊張が走る。

 しかし、王太子は気にした様子もなく唇だけで微笑んだ。


「噂通りのご寵愛ぶりですね。私が触れる事さえ許して下さらないとは。何もいきなり彼女に噛みついたりはしませんよ。ましてや……その血を奪おうなどとはね」


 その言葉にルークは表情こそ崩さなかったものの、花を抱く腕に思わず力を込めた。

 花からは困惑と不安が混じった気持ちが伝わる。

 すぐにルークは力を抜いて花へ安心させるように微笑みかけると、王太子へと冷厳な表情に戻った顔を向けた。


「――レナード」


 ルークは王太子から視線を逸らすことなく、後ろに控えるレナードを呼んだ。

 それに応じてレナードが側近くに寄り、花へと耳打ちするように囁く。


「ハナ様、お部屋までお送り致します」


 花は小さく頷くと、再び王太子へと軽く膝を折って退室の挨拶を述べた。


「殿下、お会い出来て嬉しゅうございました。それでは、私はこれで失礼致します」


「ああ、またね。花ちゃん」


 返された王太子の言葉に、花は思わず息を呑んだ。

 しかし、どうにか動揺する気持ちを隠してその場から辞すと、ホッと息を吐いた。


「ハナ、大丈夫か?」


 心配そうにレナードが小声で問う。


「はい、大丈夫です。あ、でも……あの……」


 いつもの笑みを浮かべて答えた花だったが、すぐに何かを言い難そうに口ごもった。

 それをレナードは周囲を気にしてか、言葉遣いを改めて促す。


「ハナ様、どうかしましたか?」


「いえ、あの……王太子殿下はおいくつなんでしょうか?」


「……詳しくは知りませんが……二百歳は超えているはずです」


「そうですか……」


 レナードにしては珍しくどこか冷たさを含んだ言い方だったが、花は別の考えに囚われていてその事に気付く事はなかった。

 それきり花達一行はどこか不自然に沈黙したまま、青鹿の間へと戻ったのだった。




**********




 夜になって寝室に下がってからも、花は昼間の王太子との謁見の事が忘れられず考え込んでいた。


――― どうして王太子殿下は私の事をちゃんと『花』って呼べたんだろう……? それも『花ちゃん』って……。


 退室の挨拶の時、王太子ははっきり『花ちゃん』と口にしたのだ。

 その声といい、口調といい、まるで神様に呼ばれたようだった。

 神様と過ごした時間は僅かではあったけれど、それでも花の中に強烈な印象として残っている。


――― サンドル王国の訛りとか……? うーん、でもアンジェリーナ様はみんなと同じ『ハァナ』だしなあ……。それにしても、レナードより若く見えて二百歳超えてるとか、この世界の年齢って本当によくわからないなぁ。


 考えれば考える程に何もかもがわからなくなり、花は結局いつもの「まあ、いっか」でそれ以上悩む事を止めた。

 それからふと、花はルークが寝室で書類を読む時にいつも座る椅子へと視線を向けた。

 椅子の横には小さなサイドテーブルがあり、その上には数冊の本とあまり重要ではないらしい書類が乱雑に重ねて置かれている。


「……」


 ルークの存在を感じて何だかくすぐったく思いながら、花は一番上に置かれている書類をそっと手に取った。

 この世界の文字はまだ上手く書けないが、読む事は初めから出来るので、書類の一番下にある流れるような綺麗な書体で記された文字を口に出してみる。


「ルカ……ル、ルカしゅてファン……ルカシュたファ……。ル・カ・シュ・テ・イ・ン・ファ・ン」


――― うーん。一つ一つを文字で追えば言えるのに、なんで一度には言えないんだろう? 上手く発音出来ないなぁ……。


 ルークの正式名称をちゃんと言ってみたくて、その署名を見ながら口にするのだが、どうしても上手くいかない。

 以前、ルークが口にした発音は耳に残っているのでそれを意識して言おうとするのだが、母音の問題なのか、どうしても引っかかる場所があるのだ。

 ぶつぶつ呟きながら夢中で練習をしていた花はルークが現れた事にも全く気付いていなかった。

 そしてルークは、怪しい呪文を唱えているような花に、声を掛けるべきか悩んでいた。


「……」


「ル、ルカシュ……ルカすた――ぎゃっ!! ルカたん!!」


 ようやくルークに気付いた花が驚きのあまり上げた悲鳴はどこかおかしい。


「……ルカたん?」


「ち、ちがっ! 違うんです!! あの、ルークが! ルークの名前が……」


 顔を真っ赤にして狼狽する花の言葉に、ルークは花が何を口にしていたのか思い当った。


「今のは俺の名前か?」


 そう問われた花は、無駄な弁解は諦めて素直に頷く。


「はい。でも……やっぱり上手く発音出来ません」


 ルークは穏やかに微笑むと、落ち込んだ様子の花をそっと抱き寄せた。


「ルークでいい。『ルカシュテインファン』は確かに俺の正式名称だが、今は皇帝としての公式名でしかない。以前も言ったが、ハナにルークと呼ばれるのが好きだ」


 その優しい言葉を聞いて、嬉しそうにルークを見上げた花は窺うように首を傾げた。


「ルーク?」


「ああ」


「ルカたん?」


「……それは勘弁してくれ」


 困ったように眉を寄せるルークに、花は悪戯っぽく笑った。

 ルークはそんな花を罰するように抱きしめる腕に力を込め、逃れようとする花の柔らかな唇に甘く噛みついたのだった。




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