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114.神様の意地悪。


「花様、実はとても急な話ですが、美津は明日でこちらをお暇させて頂くことになりました」


 ある日、告げられた美津からの突然の言葉。

 花は美津の真剣な表情、厳しい声に不安を覚えながら、それでも笑って尋ねた。


「……おいとまって何? 明日何をするの?」


「花様はずいぶんご立派に大きくなられましたからね。それに比べて美津はもうすっかりおばあさんになってしまいました。ですから、花様のナニーを引退させて頂くのです」


「……いんたいって……やめるってこと?」


「ええ……。そうでございます」


「なんで!? みつはまだおばあさんじゃないよ!? それにわたしはまだ大きくないよ!? まだ一年生だし、背だってクラスで三ばんめにちっちゃいし、それに……」


 なんとか自分がまだ小さい子供だと主張しようとする花の手を強く握り、美津は悲しそうに微笑んで首を振った。


「明後日には奥様がお生まれになった赤ちゃんをお連れになってお戻りになります。花様はお姉様になられたのですから、赤ちゃんに笑われないように頑張って下さいませ」


「でも、でも……赤ちゃんにはみつが必要でしょ? みつが赤ちゃんのお世話をしてあげないと――」


 大きな瞳に涙を溜めながらも、どうにか泣く事を我慢して縋るように見上げた花の言葉は途切れてしまった。

 ずっと側にいたから、母親よりも側にいてくれたから、美津の表情でその気持ちもわかる。


「赤ちゃんには新しいナニーが付きますから。花様はお姉様として赤ちゃんの――お坊っちゃまの面倒を見てあげて下さいね」


「そんなの……新しいナニーがいるなら、わたしは必要ないもの。それにわたしはまだ子どもだから……夜に一人でおトイレに行けないから、みつがいないとおねしょしちゃうよ。でんしゃだって一人でのれないから学校に行けない。みつがいないと何もできないよ……」


 今までこれほど駄々をこねた事はなかったが、それでも花は必死だった。

 どうすれば美津が辞めないでくれるのか、側にいてくれるのか。

 溢れ出してこぼれ落ちた花の涙を、美津は優しく拭いながら、宥めるように穏やかに微笑んだ。


「花様ならきっと大丈夫でございます。それに明日からはお車で通学されるようにと旦那様が手配して下さいましたから、もう電車に乗る必要はございませんよ。しばらくの間は家政婦の谷野さんが付き添ってくれますからね。それでももし……もし寂しいような事がございましたら、美津にお手紙を書いて下さいませ」


「……おてがみ?」


「はい、お手紙です。美津を花様のナニ―から文通相手にさせて下さい」


「ぶんつう……?」


「ええ。お手紙を交換する事です。花様からお手紙が届きましたら、すぐに返事を書かせて頂きますから」


「……きっと……きっと、まいにち書くと思う……」


「それでは、毎日書いて下さいましたら、一週間に一度まとめて送って下さいませ。でないと、切手代がたくさんかかって、花様のお父様がお困りになってしまいますから」


「……わかった」


 クスリと笑って大きく頷いた花は、ふと子供らしからぬ思い詰めた表情で美津を見つめた。


「……ほんとうは……みつは……わたしが…ゆうかいされたから……わたしのせいでおこられてやめちゃうの?」


 その言葉に美津は鋭く息を呑んだ。


「――何て事をおっしゃるのですか!? そのような事は決してございません!!」


「ほ、ほんとうに? わたしがわるい子だから、みつはやめちゃうんじゃないの? サンタさんだってずっとずっと来てくれないもの。みんな、みんな、わたしがわるい子だから……」


 堪え切れず、遂に大きな声で泣き出した花を美津は強く抱きしめた。

 花が声を出して泣くなど、もうずっとない事だったのに。

 美津もその目に涙を滲ませて、花の泣き声に負けない程の大きな声で気持ちを言葉にした。


「花様はとってもとっても良い子です!! すごくすごく可愛くて、賢くて、美津の自慢のお嬢様です!! 美津は花様が大好きです!!」


「……ぜ、ぜったい?」


「ええ、絶対ですとも!!」


 やがて花が少しずつ落ち着いて来ると、美津はその腕を緩めて優しく背中を撫でながら、少し涙の混じった声で穏やかに囁いた。


「美津は花様の笑顔が大好きです。ですから花様、どうかもう泣かないで下さい。可愛いお顔が台無しですよ。美津は花様にずっと笑っていて欲しいですから……それとも美津が変な顔をしないと駄目ですか?」


 そう言って少し離れた美津の顔を見て、花は噴き出した。


「わたし……今まで、そのかおよりおもしろいもの見たことない」


「まあ、失礼な!」


 わざと怒った声で抗議する美津に花はいつまでもクスクスと笑っていた。



*****



 それから花は日記のように毎日手紙を書いて、約束通り週に一度美津へと送り、美津からの返事を毎週受け取った。

 また美津は毎年、運動会と音楽会には来てくれ、一度だけ特別に花火大会にも連れて行ってくれた。

 そして六年生になった花は、大きな合唱コンクールに出場する事を美津に手紙で知らせた。


『 ~今度、文化ホールで開催される合唱コンクールに出場できる事が決まりました。

  私はソロパートも歌うので、ぜひ見に来て下さい。~            』


 だが残念な事に、その返事はどうしても用事があって見に行けないとあり、手紙の中で何度も謝罪する美津に、花は気にしないようにと返事を書き、残念だけれど頑張って歌うと添えた。


 コンクールでは見事金賞を受賞する事ができ、特に花のソロパートが好評で、そのニュースは新聞の地方欄に小さな写真付きで掲載された。

 それは担当の音楽教諭がその場で許可しての事だったのだが、記事を見た花の父親は激怒した。


「花!! お前は小泉の家名に泥を塗る気か!!」


 記事の内容は金賞を受賞した学校代表の生徒達を褒め、その中でも際立っていた花の歌声を褒めているものだったのだが、目立つ事を嫌う父親にとっては許せるものではなかったのだ。

 保護者の許可を得もせずになんて事をするのだと父親が強く学校へ抗議した結果、責任を取って音楽教諭が辞任するまでの事態になった。


 花はその騒動の間、何度も謝罪の言葉を口にし、それ以外はただ黙ってやり過ごしていた。

 クラスメイトからの冷たい視線も、蔑んだ言葉も、教諭達からの腫れ物を触る様な態度にも、何も気付かない振りをして。

 そんな状況の中で届いた美津からのお祝いの電報に花はとても喜び、そして慰められた。


『 花様、おめでとうございます!!

  さすが私のお嬢様です! 新聞記事に載っていらした花様のお姿もとても素敵でした。でも実物の方が何倍も素敵ですけどね!

 さっそく切り抜いてファイルしました。自慢のお嬢様ですから、私も鼻が高いです。これ以上高くなったらクレオパトラも真っ青ですよ。

 本当に、おめでとうございます!!                      』


 美津の人柄が滲み出ている明るい文面を読んで花は笑っていたはずなのに、いつの間にか涙がこぼれ落ちていた。

 美津は笑顔が好きだから泣いてはダメだと思っても涙は止まらず、これは嬉しいからだと言い訳して、電報を届けてくれたぬいぐるみを強く抱きしめて声を出さずにしばらく泣いた。

 もうこれからは泣かない、これが最後だと誓って。

 だけど、花の世界の神様はとても意地悪だった。



*****



「花、今から急いで制服に着替えて来なさい」


「はい……?」


 珍しく夕方に帰宅した父親に突然そう告げられた花はよくわからないまま、それでも疑問を口にする事なく素直に従い、待機していた車に乗って父親と一緒に出掛けた。

 父親は車の中で隣に座った花に一度も目を向ける事なく、仕事の話を携帯電話相手に続け、その間ずっと花は邪魔にならないように黙って窓の外を見ていた。

 やがて車が乗り付けた場所は、お通夜が行われている葬儀場だった。

 嫌な予感がして花の背に冷たいものが走る。

 花は大声で叫び出しそうになる口を震える手で必死に抑えて、奥にある祭壇中央の写真を見ていた。


 訳がわからない。

 昨日も楽しい内容の手紙が届いたばかりなのに。

 どうして美津はいつも突然いなくなるの?




 私をおいて行かないで……。




 堕ちていく。

 心が、体が、暗くて心地良い闇へと深く深く沈んでいく。

 これが現実なのか、夢なのかもわからない。

 ただ悲しくて、苦しくて、楽になりたくて。


 ふわりとした感覚にそのまま身を預けて、全てから手を放そうとした。

 その時――。



  『――ダメ!!』



 突然心に響いた声に、花は一気に覚醒した。

 ぱちりと目を開けて、ふらつきながらも寝台から身を起こす。


「……だれ?」


 誰もいるはずのない寝室を見回して問いかけるが、当然返事があるわけもない。


――― 夢?


 先程、寝台に倒れ込むようにドレスのまま横になってしまった為に乱れた自分の姿を見下ろして花は苦笑した。

 少し眠ったからか、気分はかなり良くなっている。

 花はゆっくり息を吐いて立ち上がると窓辺へと近づき、宵闇に包まれている街の上空に浮かぶ月を見上げた。


 しばらくぼんやりと月を見ていた花は、書物机の抽斗(ひきだし)――例の本が納めてある抽斗の隣から小さな箱を取り出してそっと蓋を開けた。

 それはリコからもらった、クリスタベルの形見の真珠。

 窓から差し込む柔らかな月の光に反射して、花の冷えた心をあたためるように優しく輝いている。

 花はその繊細な海の宝石を手のひらに取ると、まるで祈りを込めるように胸に抱いてゆっくりと目を閉じた。




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