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113.手洗い励行。


 始まりは南にあるとある小さな街だった。

 激しい腹痛と発熱を伴う病を何人もの人々が同時に発症し、急速に街へと広がり始めたのだ。

 幸い殆どの者が十日程で回復する事が出来たのだが、お年寄りや子供達のような特に魔力が弱い者の中には意識障害を起こすなど重症化する者もいた。

 街を管理する役人はすぐにこれを領主へと報告したが、領主が重く受け止める事はなかった。

 庶民の間で流行っている病など、魔力の強い貴族階級の者達にとっては取るに足りない問題であったからだ。

 そうして遂には死者まで出る最悪の事態になったにも関わらず領主が動く事はなく、何も対策が取られないまま、流行り病は夏の訪れと共に人口の密集する各街を中心に大陸中に蔓延する事になった。



 初めに領主が報告を受けてから約二十日後、他の者によってようやく報告を受けたマグノリア帝国皇太子のフランツィスクスは激怒した。

 だが、その領主を咎めるよりもまずは先にやらなければならない事があると、各地に魔力の強い政務官を向かわせ、病についての調査に乗り出した。

 そして、予想以上に深刻な状態である事に重きを置いた皇太子は、すぐに治癒魔法の扱える者――近衛騎士達を各地に派遣する事を朝議で提案したのだが、皇帝を始めとした多くの高官――貴族達は難色を示した。

 近衛騎士は皇家の為に在る。

 それを、下々の者達の為に奉仕させるなど以ての外だと、渋る皇帝とそれに追随する貴族の説得に皇太子が時間をかける間にも、流行り病は益々広がっていったのだった。



 彼らの言う「下々の者達」がいなければ自分達の生活さえも成り立たない事になぜ気付かないのかと、セインは苛立つ気持ちを抑え、仕事の手を止めて休憩がてら窓の外を眺めていた。

 このサイノスは他の街よりも比較的魔力の強い者達が集まっている為に流行の兆しはまだ見られないが、それも時間の問題だろう。

 思わず溜息を洩らしたところに屋敷から驚くべき知らせが届き、セインは疲れも忘れて急ぎ王宮を後にした。


 嫡男であるヴィートが久しぶりに帰宅したというのだ。

 十八歳の誕生日を迎えた日の朝、『青い鳥を探しに行ってきます』との手紙だけを残し、行方知れずになってからもう何十年経つのか。



「ヴィートは!?」


「先程、お部屋に――」


 珍しく転移して戻って来た主人に驚いた様子もなく答える執事の言葉を最後まで聞かず、セインはヴィートの部屋へと向かった。

 そして、簡単なノックをすると返事を待つ時間も惜しいとばかりに扉を開け……すぐにそっと扉を閉めた。


「……」


 セインは今見たものが信じられなかった。

 もう一度確認する勇気もない。

 思わずよろめいて廊下の壁へと凭れかかったセインの耳に、執事の冷静な声が入って来た。


「旦那様、恐らくそれは誤解です」


「ほ、本当か?」


「はい」


 縋るように聞き返したセインに向けて、執事ははっきりと頷いた。


「あの男性の衣服は私が脱がしました。浄化魔法でもどうにもならない程に汚れ、擦り切れておりましたので」


 その言葉を聞いたセインはようやく安堵した。

 先ほど扉の向こうでセインが目にしたのは、息子の寝台に裸で眠る見知らぬ男の姿だったのだ。


「……で、ヴィートは?」


 部屋にヴィートの姿はなかった。

 ではどこにいるのかと思い尋ねたセインの問いに、今まで冷静さを崩す事のなかった執事が僅かに顔を曇らせて、懐から折りたたまれた料紙を取り出した。

 それを受け取ったセインはそこに書かれた内容に目を通し、再びよろめいた。


『 面白い事を言う男を拾いましたので、父さんへのお土産にする事にしました。

  それでは久しぶりに、ルークと愉快な仲間達に会いに行ってきます。    』


 そう書かれた料紙を震える手からはらりと落としたセインを気遣いながら、執事はゆっくりと状況説明を始めた。


「――あの男性を肩に担がれて戻られたヴィート様は、客間ではなくご自分のお部屋に寝かされてすぐにお出かけに……。あの男性はその時から意識がないのですが、少々衰弱しているだけで、命に別状はないようです」


「……ソフィアへは……?」


「一番魔力の強い馬で、一番魔力の強い者をすぐに使者に立たせました」


「……そうか」


 侯爵家の領地でも流行り病は猛威を振るい始め、その対応にソフィアと次男のラルフは数日前から領地へと戻っていた。

 普通なら領館へは馬で四日はかかるが、有能な執事の機転で魔力の強い者が使者に立ったのなら、遅くても二日弱で着くはずだ。

 そしてソフィアが急ぎ戻るのに一日強で計三日。

 ユース侯爵夫妻は同じく流行り病の対応で領地へ戻っており、ジャスティンはとある任務で他国へ訪問中である。

 皇子殿下――ルークと、レナードがあの二人――ヴィートとディアンを抑える事が出来るのも恐らく二日が限度。


「……ソフィアが戻るまで残りの一日……」


 呟いたセインは、目を閉じて何も起こらない事を強く願った。

 だがその願いも虚しく、翌日からなぜか次々と近衛騎士を各地に派遣する事を反対していた貴族達に不幸が続く事になった。

 それは面白すぎ――いや、気の毒すぎて誰もが口にする事が出来ない程の不幸であり、その者達はしばらく朝議を欠席する事になった為、近衛騎士派遣案は何とか皇帝の許可を得て可決されたのだった。

 ちなみに、セインの計算? よりも事件が早く起き始めたのはルークとレナードが二人の行動に賛成はしないまでも反対する事なく、止めるよりも度を超えないように抑える事に専念したからだとか何とか……。




**********




「あの……大丈夫ですか?」


 サトウさんの事を詳しく知りたくて勢いよくセイン達へと詰め寄った花だったが、昔を思い出すようにしばらく黙り込んだセインがなぜか急にグッタリしたように見え、一気に冷静さを取り戻した。

 そして心配を口にした花に、ソフィアが安心させるように微笑んだ。


「ええ、大丈夫ですよ、ハナ様。セインは少し……思い出疲れしてしまったのですわ」


「そうですか……」


――― お、思い出疲れって何だろう? サトウさんってそんなに変わった人だったのかな?


 セインの疲労の原因はサトウさんではなくヴィートなのだが、今のところ花がそれを知る事はない。


「それで……カズゥオの事でしたわね」


「はい」


 少し考え込んでから切り出したソフィアの言葉に花ははっきりと頷いた。

 そんな花に、ソフィアは申し訳なさそうに表情を曇らせて続けた。


「残念ながら、私達はそれほどカズゥオの事は知らないのです。やはりヴィートに聞いてみないと……。どこの国の出身なのかもわかりませんし、なぜあの様な知識と技術を持っていたのかもわからないのです」


「……あの様な? カズオさんと言う方はいったい何をなされたのですか?」


 内心ではソフィアの言葉に花は落胆していたが、何か少しでも手掛かりを知りたくて続きを促した。

 そこへ、気を取り直したらしいセインがソフィアから引き継ぐ形で口を開いた。


「そうですね、何からお話すればいいのか……。カズゥオがヴィートに拾われて我が家に来た時、この国――この大陸には前代未聞の流行り病が蔓延していました。正確に言うならば、その病は以前よりありましたが、あのように大流行する事などなかった。――我々の魔力は、国土が広がり、人口が増えて行くに従い、弱くなっていたのです。その事に気付かずに、人々は今までと変わらない生活を続け……病が流行り始めた時も、何が原因かなどと全く分かりませんでした」


 どこか悔恨が含まれたような苦い表情のセインは一度大きく息を吐くと、再び続けた。


「私達は……自分達が適度な生活魔法を扱える者達を雇って快適な生活を送れていたものですから、街で生活している者達への配慮を怠っていたのです。人々の魔力がそこまで低下している事にも気付いていませんでしたし……。カズゥオに「この病が流行るのは不衛生だからです」と言われても初めは何の事かわかりませんでした。サイノスの街では浄化魔法くらいならそれなりに扱える者が集まっているので不自由しているようには見えず、恥ずかしながら自分達の領地にある街や村も同程度だと認識していましたから……」


「――私達は魔力の弱い者達に対して、何をして守ってやれば良いのかもわからないまま、重症者に治癒魔法を施す事で精一杯でした。しかし、いよいよサイノスでも病が流行り始め、王宮でも魔力の弱い者達の間で広がって……皆が戦々恐々とした所に、カズゥオがとても簡単な事を提案したのです」


 自分自身にどこか呆れているような、そんな口調でソフィアは説明を始めた。


「手をよく洗う。生水・生ものは口にせずに十分に加熱して、調理器具に浄化魔法を施す。無理なら熱湯消毒という方法もあると教えてくれて……。たったこれだけの事を王宮で働く者達に徹底するように通達して、あとはとにかく浄化魔法で消毒というものをしたのです。すると驚くほどの効果が見られたので、すぐに街でも実行するように布令を出し、地方に派遣された者達にも治癒魔法と同時に浄化魔法を徹底させて……それでようやく流行り病も終息しました。それからはヴィートとカズゥオが何やらごそごそと始めたかと思ったら「街中を清潔に保つ為にも下水が必要だ!」と言いだして……。フランツ殿下に――いえ、とにかく担当部署を設ける事にして今のような街の整備に乗り出したのです」


「すごいですね……」


 感嘆したように花は呟いたが、心の奥深くではなぜか(おり)のようなものが溜まっていた。

 花にとっては当たり前の事が当たり前ではない世界、魔力に依存しているこの世界で全く魔力のない花。

 最初は気にもならなかったはずなのに、この世界に馴染もうとすればするほど居心地の悪さを感じてしまう。


「カズゥオはその知識にも驚くべきものがあったけれど、それ以上にその言動が変わっていましてね……」


 再び疲れたような表情で呟いたセインに、ソフィアが同意する。


「ええ、そうでしたわね。まあ、ヴィートと気が合うくらいですから。ずっと「水を汲み上げる為に魔力を動力にするには……」なんてぶつぶつ言って……って、あら? なんだか話が逸れてしまったわ。申し訳ありません、ハナ様」


「いいえ。その……すごく興味深い話でした。……王宮のおトイレは勝手に水が流れるので最初はすごく驚いて……」


 セルショナードを旅した時に気付いたのだが、街にあるトイレは一階以外には設置されておらず、王城では各部屋にありはしたが、さすがに感知式はなかったのだ。


「ああ、それはカズゥオが言うには『遊び心』だそうです」


「遊び心?」


「ええ。何でも王宮の魔力は有り余っているので、魔力をデンリョクの代わりに出来た記念にと」


「そうなんですか……。って、え? 電力!?」


「は、はい。私もその辺りの事は良く分からないのですが、詳しくお知りになりたいのでしたら、担当官を呼びますが?」


「い、いえ、そこまでは……。お気遣いありがとうございます」


 結局、サトウさんが何者だったのかははっきりと知る事は出来なかったが、どう考えても花と同じ時代の日本人としか思えなかった。

 ヴィートに聞けばもっと詳しくわかるだろうが、今はこれ以上の事は諦め、とても大切な事を一つだけ確認する。


「あの……それで、その……カズオさんは今は?」


 その問いにセインとソフィアは一瞬顔を見合わせたが、すぐにソフィアが当時を思い出すようにして答えた。


「それが……ある日突然「やるべき事は果たしたので、もう行かなければなりません」と何度も頭を下げながらお礼を口にして……お礼を言わなければならないのはこちらの方だと言うのに。それからすぐに屋敷から出て行ってしまったので……」


「――やるべき事は……果たした……」


 青ざめて呟いた花を見て、心配そうにソフィアが尋ねる。


「ハナ様、大丈夫でございますか? ご気分でも――」

「いいえ! 大丈夫です。ええ……大丈夫です」


 慌てて微笑んだ花は、そのまま何とか笑みを浮かべて最後にもう一度だけ念を押すように訊いた。


「では、その後のカズオさんの事はご存じないんですね?」


「ええ、ヴィートなら知っているとは思うのですが……。それでも今はもう彼の魔力だと亡くなっているのではないかと思います。あの頃で百歳は超えていたでしょうから」


「ひゃ、百歳?」


「ええ、年齢を聞いた訳ではありませんが、あの時すでに壮年の頃は過ぎていましたので」


「あ……ああ、なるほど」


 この世界の平均寿命の事を思い出して納得した花だった。

 その後は、好みのドレスのデザインなどを聞かれて侯爵夫妻との時間を過ごしたが、花はいつもの微笑みを浮かべて機械的に答えるだけで精一杯だった。



 夕の刻を回り二人を見送った花は、寝室に下がるとそのままトイレへと急いだ。

 そして何度も吐いた。

 夫妻と話している時からずっと、きつく締め付けられるような酷い頭痛に耐えていたのだ。

 やるべき事を果たして消えたと言うサトウさんの事が頭から離れない。

 

 胃の中の物を全て吐き出してようやく落ち着いた花は、なんとか洗面台で口をゆすぐと、力なくその場に座り込んで俯いた。

 その震える肩で揺れる髪、膝を抱えた頼りない手――その指先に弱々しく光る爪。


 最初は気のせいだと思っていた。

 一向に伸びる気配のない髪の毛に、やすりを掛けている訳でもないのに伸びない爪。

 セレナもエレーンも何も言わないが、最近はさすがに不思議そうにしている。

 まるで体が時間を止めてしまったようで、何度も何度も自分の胸に手を当てて、確かな鼓動を感じてはホッと息を吐く。

 その繰り返しの中でも、いつか止まってしまうのではないかという不安が、今はっきりとした恐怖になって、深い闇へと花を引き摺り込もうとしていた。




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