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112.果たすべき約束。

 



  世界の創世と終焉 響き渡るは鐘の音 

    全ての始まりも そして終わりも 鐘の音と共に



 窓の外を眺めながら呟いたリコの言葉――創世の神話の一節は、部屋に控えるトールドの耳に届く事なくその場に落ちた。

 世界は今まさに、一陣の風のように駆け抜け広がる皇帝の力によって生まれ変わろうとしている。


「リコ様、今のは皇帝の……?」


 驚異的な力に圧倒されたように、掠れた声で問うトールドにリコは頷いて答えた。


「ああ。どうやらヴィシュヌの剣を抜いたらしい。しかし、『虚無』まで圧するとは……さすがと言うべきだな。だがこれからサンドルの王太子がどう動くのか……」


「では、このまま宝剣は皇帝の元へ?」


「いや、あれは一時的に皇帝へ預けたに過ぎない。近いうちに取りに行くつもりだ。そして、その時が……」


 続く言葉を口にする事が出来ず、リコはそのまま黙り込んでしまった。


 ――母との約束を果たす時が来るのだ。


 母の最期の言葉は皇帝に伝えた。

 しかし、母との最後の約束は誰にも知らせる事なく、ずっと胸にしまっている。

 そもそも自分がそれを果たす事が出来るのかさえもわからないのだ。

 出来る事ならば、その時が来なければいい。

 リコは無駄だと知りつつ、そう強く願わずにはいられなかった。




**********




「まさか『虚無』まで……」


 張り詰めた空気の中、驚愕に満ちたレナードの言葉にルークは応える事なく、黙ったまま剣をレナードの支える鞘へと戻した。

 ルーク自身、まさか『虚無』を圧するまでに力が影響するとは予想もしていなかったが、『虚無』へと届いた力が勝っていた訳ではない事には気付いていた。

 そこまで『虚無』の力が衰えていたのだ。

 それは間違いなく、花の奏でるピアノの音色に人々が明るい未来を信じ、希望の力が世界を満たしているからだろう。


 窓の外は嵐が過ぎ去った後のように清々しく澄み渡り、眩しい程に光り輝いている。

 だがなぜか、ルークは喜ぶべきこの現象に胸騒ぎを覚えていた。

 リコから聞いたクリスタベルの最期の言葉――創世の神話の一節が甦る。

 たった今、世界は終わりを迎え、新たに始まったのか。

 ほんの少し前まで鳴り響いていたピアノの音色は、未だルークの耳に残っていた。


「……レナード。近いうちにリカルドが剣を取りに来る。それまで、また頼む」


「……わかった」


 レナードは何か言いたげだったが、それでもルークの言葉に頷くと、剣を手に転移して消えた。


「苦しいのですか?」


 レナードが消えると、今まで沈黙を守っていたディアンがルークへと問いかけた。

 先程とはまるで逆の立場に、ルークは苦笑する。


「そうだな。剣は一時的に力を貸してはくれたが、結局は……私を強く拒絶しているようだ」


 そう答えてルークは消えた。

 執務室に一人残ったディアンはゆっくりと応接ソファへ腰かけ、考え込むように腕を組むと小さく呟いた。


「さて……これからどうなる事か……」


 この先、世界は大きく変わる。

 今まで皇帝の力を借りて『虚無』を抑えていた各国王家が、その不言の支配から逃れてどう動くのか。

 そして何より、サンドル王家――王太子が何を仕掛けて来るのか。

 ディアンはレナードが戻るまでの間、どこか痛みを堪えるように目を閉じていた。




*****




「何を見ているんだ?」


「ふぬ!?――陛下、いきなり後ろに現れるのは止めて下さいと何度もお願いしているじゃないですか……」


「そうだったな。で、何を見ているんだ?」


 急に現れたルークに驚いた花は何度目かの抗議を試みたが、相変わらずルークはそれを軽く流して再び花に問いかけた。

 そして花もその事はもう諦め、窓の外を指さして答えた。


「……あの木に花が咲いたんです。先ほど急に……まだ硬い蕾だったので少し驚いたんですけど、すごく綺麗ですよね?」


 窓の外では早咲きの白い花が風に柔らかく揺れ、春の到来を告げている。

 その様子を嬉しそうに話す花を、ルークはそっと抱き寄せて輝く黒い瞳を優しく見下ろした。


「ルーク?」


 穏やかに微笑むルークは今までよりもどこか雰囲気が違う。


「ハナのお陰だ」


「え?」


 唐突な言葉に戸惑う花を見つめたまま、ルークは続けた。


「『虚無』が動きを止めた」


「それは……」


「長い間続いた暴走が鎮まったんだ」


「……本当に?」


 俄かには信じがたい言葉に、思わず花は聞き返してしまった。


「ああ。ハナが……ハナのお陰だ」


 大きく頷いたルークは、今にも泣きそうな顔で花を強く抱きしめた。


「……ルーク」


 長い間、ユシュタールの人々を、ルークを苦しめていた虚無が鎮まり、世界は崩壊の危機から脱したのだ。

 ルークが重い枷から解放された喜びに溢れる涙を抑える事なく、花はルークのあたたかな胸に頬を寄せて力強い鼓動を感じていた。

 その確かな音が、花の心に巣食う不安を和らげてくれる。

 花は今こうしていられる奇跡にただ深く感謝して、ルークの腕の中で幸せを噛みしめた。



*****



 しばらく二人で穏やかな時間を過ごした花は執務に戻ったルークを見送った後、寝室の長椅子に力が抜けたように座り込んだ。

 ルークと離れると、途端に襲ってくる不安。


 花が『神様』から与えられた使命は音楽で皆を癒す事。

 ユシュタールが崩壊の危機から救われた今、この世界の人達にとって『癒しの力』はどこまで必要なのだろうか。

 ひょっとして、花はもう使命を果たし終えたのかも知れない。


――― 怖い。この先が見えない。


 花は俯き、震える体を抱きしめた。

 その動きに合わせて、黒く艶やかな髪の毛がさらりと肩で揺れる。

 視界の隅に映るそれを追い出すように花はギュッと目を閉じ、爪を自身の体に食い込ませた。

 それから、気を落ち着ける為に何度か深呼吸を繰り返していると、控えめに扉をノックする音が静かな寝室に響いた。


「ハナ様、カルヴァ侯爵夫妻がお見えでございます」


「……はい。今、行きます」


 ようやく叶うカルヴァ侯爵夫人との面会に、花はもう一度深呼吸をすると、ゆっくり立ち上がって居間へと向かった。



*****



「んまー! なんてお可愛らしい!! あなた、でかしたわ!!」


 花を一目見た瞬間、カルヴァ侯爵夫人はそう叫んでセインへと親指を立てて見せた。

 セインは諦観した様子で頷いている。

 噂には聞いていたのだが、アンジェリーナとはまた違った意味で強烈な存在の夫人に、花は思わず礼儀正しく挨拶する事さえ忘れる所だった。


 夫人は上位貴族の伯爵令嬢でありながら幼い頃より剣を振るい、やれ盗賊退治だ、やれ魔物退治だと国内中を馬に乗って駆け巡っていたらしい。

 そして、先頃のセルショナードとの戦では、センガルの街を含むサラスティナ領の伯爵が右往左往する中、隣に領地を持つカルヴァ侯爵家はいち早く皇帝から領地の私兵を動かす許可を得て夫人が領地に戻り、サラスティナ領地の民の避難を最優先にサラスティナ丘の攻防戦に加わり、援軍が到着してからは後方支援に徹して戦争被害の拡大を出来得る限りの力で食い止めたのだった。

 その功績に皆が口を揃えて「さすが『帝国一の女傑』」と褒め称えて? いる。

 また戦後はセンガルを始めとした各地の復興に力を注ぎ、ようやくサイノスへと戻って来たのだ。


「あ、あの……侯爵夫人、この度は――」

「んま! ハナ様ったら、そんな他人行儀な! どうぞ、ソフィアとお呼び下さいな」


「……では、ソフィア。あの――」

「ところでハナ様は何色がお好きかしら? 情熱の赤? 静寂の青? 癒しの緑? 陽気な黄色かしら? それとももっと淡いお色の方がいいかしらねぇ?」


「……淡い方が好きです。水色などが――」

「まあ、やはり素敵なご趣味ですわ。私も水色は大好きですの! では、さっそく水色を基調にしたドレスを新調致しましょうね! 他にも淡い色でたくさん!」


「え? あの……」


 形式通りの挨拶を無事に終えて、花は養子縁組のお礼を言おうと何度も口を開くのだが、どうも上手くいかない。

 当惑した花がセインへ視線を向けると、セインは申し訳なさそうな顔で小さく首を振った。

 なんでも、幼馴染という立場で子供の頃からソフィアの無茶にいつも付き合わされていたセインは、「彼女を止める難しさに比べると、愚鈍な政務官達を抑える事など大したことではありません」と、常々言っているそうだ。



「私、もうずっと娘が欲しくて欲しくて……。それなのに産まれて来るのはむさい息子だけ。三人も子供に恵まれたと言うのに全員男だなんて。娘が産まれたら刺繍を教えたり、一緒に買い物に行ったり、剣の稽古をしたりしたかったのに……。まあ、刺繍なんて出来ないんですけどね。ですから、ハナ様をご養女とさせて頂けるなんて嬉しくて! すっかり遅くなりましたけど、これから侯爵家として色々とお支度をさせて頂きますわ。まったく、殿方は気が利かなくて困りますわよね?」


「はあ……」


 何かと突っ込み所があった気はするが、花は呆けたような返事しかできなかった。

 どうもこの手のタイプは花の周りにいなかったせいか、上手く対応する事が出来ない。


「ああ、それと……息子のラルフとハロンも近いうちにご挨拶に伺わせて頂きますわ。今はまだ領地でのあれやこれやの雑務に追われていて、サイノスに戻って来るのはもう少し先になりそうで……。本当にご挨拶が遅くなって申し訳ありません」


「いいえ、どうぞ気になさらないで下さい。私の方こそお礼を申し上げなければなりませんのに……。本当にこの度はありがとうございました。これからもよろしくお願い致します」


 やっとお礼らしき事が言えた花はホッとしたのだが、ある事にふと気付いた。


「あの……ところで、ご長男のヴィートさんは……?」


 セインとソフィアには三人の息子がいるはずなのに、先程のソフィアの言葉の中には長男の名前がなかったと思い尋ねた花だったが、その問いにソフィアどころかセインまでもが何かを喉に詰まらせたように咳き込み始めた。


「だ、大丈夫ですか?」


「え、ええ……ゴホゴホ。……大丈夫です」


 心配して立ち上がりかけた花に向かって急ぎ応えたセインは何とか落ち着きを取り戻すと、なぜか言い難そうに口を開いた。


「ハナ様、申し訳ありませんが、その……ヴィートは今ちょっと……行方不明でして……」


「ええ!?」


 再び心配に顔を曇らせ驚く花に、ソフィアが慌てて口を挟んだ。


「いいえ、ハナ様。ご心配はいりませんのよ。あの子は『今』と言うより常に行方不明なので。少し内気で、あまり人前には出て来ないんです」


「そ、そうなんですか……」


 常に行方不明を少し内気で片付けていいものかと思いつつ、花は相槌を打った。


「私ももう何十年も姿を見かけてないのですよ」


 困ったように言うセインにソフィアも続く。


「私は数年前に影なら見かけたのですけど……」


「そう言えば、あの子とまともに会話したのはいつだったか……」


 どこか遠くを見て呟くセインにソフィアが答える。


「そうですねえ。確か百年程前にカズゥオを拾って来た時じゃないかしら?」


「ああ、彼か……」


 何を言えばいいのか分からず黙って二人の会話を聞いていた花は、耳にした人物名にハッと息を呑んだ。

 そして震える声を必死で抑えて確認する。


「あ、あの……カズゥオって……サトウ・カズオさん――カズオ・サトーさんですか!?」


「え、ええ……」


 突然切迫した様子で身を乗り出した花に、セインとソフィアは驚いたように目を見開いていたが、花は礼儀も無視して更に詰め寄った。


「詳しく教えて下さい!! その人の事を!!」




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