110.太陽でライブ。
「お~い。いい加減に起きろよ」
暗い路地裏で失神していた男達は誰かに強く蹴飛ばされて意識を取り戻した。
口調はゆったりとしているが、扱いはかなり乱暴だ。
「な、なんだ?」
「くそ! 何しやがる!」
未だ痺れるような感覚に囚われながらも、どうにか起き出した男達は目の前に立つ若い男二人をさっそく威嚇し始めた。
「んだ? どこのお坊ちゃんだ!?」
「てめえら、ふざけんな!!」
だが二人の若者は堪えた様子もなく、呑気に何かを話し合っている。
「このままこいつらを捕縛して警備詰所に連れて行くのは面倒だよな?」
「やはり警備兵を呼んだ方が早いか」
それを聞いた男達はいきり立って若者二人に数人がかりで飛びかかった。
「この野郎!!」
「ふざけた事いってんじゃねえぞ!」
が、あっという間に叩きのめされる。
「な、なんだ!?」
まだ体が動かずに見ていた者達も、当の返り討ちにされた男達も何が起こったのかさっぱりわからなかった。
ただ、地に叩き伏せられた者達の呻き声が暗い路地裏に不気味に響く。
その中で、ようやく意識を取り戻した頭目が若者二人を見て悲鳴じみた声を上げた。
「ひいいっ! き、きき騎士じゃねえか!?」
頭目は二人の圧倒的な魔力に恐れ慄いている。
その様子を訝りながら、目を凝らして若者二人の姿を見た男達もようやく気付いた。
「そ、その剣!?」
誰かの上擦った声が上がる。
貴族の若者が腰に剣を佩いて街へと遊びに来る事は珍しくもないが、目の前の若者二人の剣には、その柄の先に騎士の証である銀色の盾に交差した剣の紋章が刻まれているのだ。
ちなみに紋章にある剣の色で所属する隊が分かるのだが、男達がそれを知るはずもない。
「き、騎士は一般人に手を出したら、い、いけねえはずだろ!?」
「そそ、そうだ!!」
「……なあ、ランディ。自称一般人の方々が何かほざいていらっしゃるようだが、どうする?」
「そうだな。確かに騎士団には厳格な規律があって、一般人に力を揮う事は許されていないからな」
ランディと呼ばれた若者の言葉に男達はホッとして気を弛めたが、それもつかの間――。
「だが、残念な知らせがある」
続いたランディの言葉は一旦そこで途切れ、男達に厳しい視線が向けられた。
「お前達は犯罪者であって、一般人とは認められない」
「と言う訳だ」
もう一人の若者が馬鹿にした調子で蒼白になった男達に笑いかける。
すると、男達の中の一人が這うように逃げ出し、続いて動ける者達は一目散に逃げ出した。
だが、ランディが転移して前方へ現れ、男達の行く手を遮る。
「逃げるなよ」
たったそれだけ呟いたはずなのに、なぜか男達の体は何かに縛られたように動けなくなり、地面へと再び倒れた。
「アレックス、そっちは終わったか?」
「ああ」
その場に残っていた者達も、もう一人の若者――アレックスに捕縛されていた。
「お、俺達は何もしてねえ!! 変な兄ちゃんにいきなり襲われたんだ!!」
「そ、そうだ! なのにこの仕打ちは許せねえ!!」
「俺達が犯罪者だって証拠はあるのかよ!?」
「確か規律を破った騎士には厳しい罰則があるんだろ? へへへ。どうする?」
「今、俺達を解放するなら許してやるぜ?」
捕縛されて尚、白々しく無実を訴えて食い下がる男達に二人は呆れたように大きく息を吐いた。
「ランディ、こいつらうるせえ。どうする? 口も縛るか?」
「そうだな……」
頷きながらランディは男達を見下ろした。
「確かに、騎士団の規律を破った者には厳しい罰則が待っているな」
ランディの言葉に男達は顔を輝かせ、口々に「俺達は被害者だ!」「責任を取らせてやる!」と叫びだしたが、それを意に介した様子もなくランディは続けた。
「だが、やはり残念な知らせがある」
再びそこで言葉を切ったランディは、一番口やかましく罵っていた男の腹を片足で踏みつけて身を屈めた。
「私達は近衛隊に所属する騎士であり、近衛騎士には如何なる規律も、その行動に制約もない」
秘密を囁くようなランディの小さな声がその場に浸透するには少々時間がかかった。
近衛騎士に命令を下す事が出来るのは皇帝、皇太子、そして皇帝の正妃の三人のみである。
非常時に自身で判断して迅速に動けるように、その三人以外からの束縛を受ける事がないのだ。
それ故に、近衛騎士には高尚なまでの人格が求められる。
「こ、近衛騎士って皇帝……陛下の……?」
大通りの喧騒が遠く聞こえる中、誰かの呆けたような声がようやく重苦しい沈黙を破った。
「え? だって……え?」
「まさか……さっきの?」
「いや、そんなわけ……」
次々と上がる声は理解できないと言うより、理解したくないと言ったものだった。
そして再び、恐る恐るランディとアレックスの――近衛騎士が佩いている剣へと目を向ける。
その柄にある騎士の紋章――銀色の盾に交差した金色の剣が光り輝き、男達はその眩しさに目を閉じた。
こうして、サイノスの街で長い間警備兵達が手を焼いていた無法集団は頭目を筆頭に幹部達が捕らえられ、壊滅する事になったのだった。
*****
「おばさん、大丈夫でしたか?」
「ああ! お嬢さん、あんたも無事だったんだね? よかった、よかった」
花とルークの無事な姿を見た露店の店主はホッと胸をなでおろすと、続け様にしゃべり出した。
「いやね、あんた達があの男達と行っちまった後に、どこぞの貴族の坊ちゃん達が数人やって来て、散らかった物を片付けるのを手伝ってくれたんだよ。幸い商品には殆ど傷が付かなかったし、坊ちゃん達も店の物を買ってくれたりで助かったくらいさ。最近はお貴族様も捨てたもんじゃないよ。やっぱりハナ様のお陰かねぇ? 街のみんなも明るくなって戦争前の活気に戻ったし、そんな中でさっきの奴らだけがいつまでもゴミクズみたいにのさばって……。魔力が強いだか何だかで警備兵達も役に立たなくてねえ。で、結局は警備兵が駆け付けて助けてくれたのかい?」
「はあ……」
あまりの勢いに押されて、花は気の抜けた返事しか出来なかったのだが、ルークに至っては口を閉ざしたまま僅かに後退している。
そこへ、ルークの背に誰かが突き当たった。
「おっと、ごめんよ」
それは十歳くらいの少年だったが、ルークはすぐにその細い腕を掴んだ。
「――盗った物を出せ」
「ええ? お兄さん、何の事?」
「いいから、出せ」
断固としたルークの態度に、少年――スリの少年はしぶしぶ懐からルークの皮財布を取り出して返した。
そのやり取りを、花は未だ大きな声で話し続ける店主に圧倒されて気付いていない。
ルークが黙ったまま財布から銀貨を一枚取り出して渡してやると、喜びに顔を輝かせて受け取った少年は「お兄さん、ありがとう!」と言って走り去って行った。
その後ろ姿を見送って、大きく息を吐いたルークは花へと向き直って驚き慌てた。
「待て! ハナ、それは――!!」
が、時すでに遅し。
花は店主から貰った綺麗な水色の飲料を飲み干してしまった。
「ルーク?」
不思議そうに問いかける花にルークは答える事なく、花を抱き寄せると店主に水を頼んだ。
花が口にした飲料は女性でも水代わりに飲む物なのだが、カフィアよりも多くアルコールが含まれているのだ。
すぐに王宮に戻らなければと考えながら、ルークが店主から水を受け取る為に手を伸ばしたその隙に、花はその腕からするりと抜け出していきなり駆け出した。
「ハナ!!」
驚いたルークの呼びかけにも止まる事なく、花はすぐ側の広場中央にある噴水の縁にトンッと勢いよく飛び乗って、急ぎ駆け寄るルークへと振り向いた。
そしてニッコリ笑って右手を天へと真っ直ぐに挙げると、高らかに名乗りを上げた。
「いちばんっ! こいずみ はな! 元気いっぱい歌います!!」
「ハナ……」
ルークが心配そうに見守る中、花は陽気に歌い始めた。
そんな花を「なんだ、なんだ?」と初めは面白おかしく見ていた周囲の者達は、すぐに心奪われたようにその場に立ち尽くして聴き入った。
その明るい歌声に誘われたかのように、太陽が雲間から顔を出して柔らかな光を花へと降り注ぎ、季節外れの温かな風は戯れるように花へと纏い、その美しい旋律を出来る限り遠くへと運んでいく。
穏やかな陽光の中で楽しそうに歌う花の姿は眩しいほどに煌めいて、皆の胸にその美しさを刻みつける。
春風のようなぬくもりに包まれた真冬の奇跡はやがて終わりを迎えたが、皆の心は明るい光で満たされていた。
花は一度ゆっくり息を吐き出すと、ルークに向かって嬉しそうに微笑んだ。
「ルーク! 大好き!!」
大きく叫んで飛び付いた花をルークはしっかり抱きとめると、愛おしそうに頬を寄せ、そして唖然として自分達を見ている周囲へ目を向けた。
花はルークの胸に顔を埋めてすでに寝息を立てている。
「……騒がせてしまったな」
そう呟いて苦笑したルークは、花を抱いたままその場から消えた。
同時に、周辺から何人もの若者の姿までもが一瞬にして消える。
「……え? 今のって……」
呆気に取られたような誰かの声が噴水の水音しかしない広場に小さく落ちた。
そこから次第に驚きの声は大きくなり、辺りは騒然となっていく。
「今、二人同時に転移したか?」
「まさか……」
「いや、でも確かに……」
「それに詠唱もしないで転移できる者があれほど……」
人一人を抱えて転移するなど、街の人々は見たことも聞いたこともなかった。
しかも、今思えば消えた二人を守るような布陣で立っていた若者達――その者達は詠唱なしで転移して消えたのだ。
そして何より、あの歌声。
「あの娘さん……」
「ルーク、大好きって……」
「その名前って確か……陛下の……?」
「まさか本当に今のは……?」
その場にいる者達は思わず自分を見下ろした。
大した器ではないが、それでも魔力は一杯に満たされ、怪我や持病に悩んでいた者達もそれが癒えている事に気付く。
「――ハナ様だよ!!」
あの露店のおばさんが迷いない声で叫び、そこから広場、大通り、サイノスの街は興奮に満ちた歓喜の声に包まれていった。
こうして、花とルークの初デート――お忍び街中散策はサイノスの街に小さな奇跡と大きな喜びをもたらして終わった。
その後、皇帝陛下とハナ様のお忍びデートの噂はあっという間に広まり、二人の仲睦まじい姿が少々大げさに語られると同時に、陛下がハナ様を無理に閉じ込めているといった馬鹿馬鹿しい噂は消えていったのだった。