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108.バカップルで行こう。


「ハナ、大丈夫か?」


 街中の人目に付かない路地裏に転移したルークは、腕の中の花に心配そうに問いかけた。


「……はい。大丈夫です」


 いつもの穏やかな笑みを浮かべて頷いた花は、ルークの腕の中から覗いた賑やかな街の様子にその瞳を輝かせた。

 ルークは色々な意味で安堵して嬉しそうな花を腕から解放すると、その華奢な手を握った。


「では、さっそく行こうか?」


 花はルークに手を引かれて、路地裏から雑踏の中へと紛れ込んだ。

 初めて歩くサイノスの街――その大通りには、目立つように色とりどりに飾り付けられた露店が立ち並び、その奥には様々な店が軒を連ねている。

 そんな活気に溢れた華やかな街をルークと一緒に手を繋いで歩いているなどと夢のようで、興奮が抑えられない。


――― はお! は、初めての!! で、ででで、デートです!! ルークと手を繋いでます!! ご飯のいい匂いもして、人がいっぱいで、どどど……どう、どう――!?


 知らずルークの手を握る手には力が入り、興味深く辺りを見回す花の胸は高鳴る。


「ハナ、少し落ち着け」


「はう!?」


 伝わる花の興奮を宥めるように、ルークは繋いだ手のその甲をゆっくりと親指で優しく撫でた。

 そのくすぐったいような、痺れるような感覚に震えが走る。

 花は何とか深呼吸を繰り返して気を落ち着けようと努力しながら、恥ずかしそうにルークを見上げた。


「……ルーク?」


「ああ。……それでいい」


 問うように呼びかけた花に応えたルークは少し歩みを緩め、握った花の華奢な手を持ち上げて口づけた。


「ルーク!」


「ハナにその名で呼ばれるのが好きだ」


 耳まで赤くした花を見下ろして微笑むルークに、上手く言葉を返す事ができない。

 このままきっと心臓が飛び出してしまう。

 それ程に花の胸はキュッと締め付けられたように甘く苦しかった。


「ど、どこへ……向かっているんですか?」


 辛うじて出て来た言葉は在り来たりの質問だったが、ルークは気にした様子もなく答えた。


「とりあえずは昼食にしよう。この先に昔よく利用した食堂がある。今は息子に代替わりしたらしいが、味も変わってないと聞いた。今からならそれ程には混んでいないはずだ」


「それは……すごく楽しみです!!」


 立ち並ぶ露店など心惹かれる物はたくさんあるのだが、やはりルークの――好きな人の楽しそうな過去に触れる事が出来るのは嬉しい。


――― それにしても……。


 花は先ほどから、かなりの視線を感じていた。

 それも特に女性から。

 見惚れるようにルークを見つめた後に突き刺さる視線が痛い。


――― ええ、おっしゃりたい事はよくわかります。どうもすみません。


 感じる視線をわざわざ確認しなくても、女性達の頭の中は覗けなくても、考えている事は間違いなくわかる。


「どうした?」


 女性達の気持ちは理解できても、落ち込んでしまうのは仕方ない。

 しかし、ルークに心配をかけてしまった事に慌てて、花は取り繕うように微笑んだのだが、間近にあるルークの顔は色素が変わってもやはり美麗すぎてうろたえてしまう。


「――ルークは……カッコ良いです。良すぎです」


「そうか?」


 顔を赤く染めて言う花を見てルークは不思議そうに眉を寄せた。

 前から薄々感じてはいたが、ルークはどうも自分の容姿に関心がないらしい。

 お妃候補の令嬢達は皇帝という地位だけでなく、その容姿にも惹かれているのだろうし、きっとそれらも関係なくルーク自身に惹かれている人もいるはずだと花は思うのだが、それを口には出さずにルークを一人占めしている自分は卑怯なのではないかと胸が痛む事もあった。

 でもこれだけは譲れない。

 あたたかなルークの手に縋るようにギュッと力を入れると、ルークは立ち止まって繋いだ手とは別の手を花の柔らかな頬に添えた。


「ハナは可愛い。可愛すぎる」


「く、こっ――!!」


「くこ?」


 ルークの言葉を聞いた花は身体中の血液が顔に集まっているのではないかと思う程に、顔が熱くなって思考が停止しそうになる。

 上手く呼吸さえ出来ない。

 それでも喉に詰まった息と同時になんとか言葉を絞り出した。


「ここっ、これがバカップルって奴ですね!?」


「……バカップル?」


「いえ……すみません。何でもないです。ちょっと憧れてただけなんです」


「……そうか」


 相変わらずルークには花の言葉の意味が理解できなかったが、いつも通り気にしない事にして、再び花の手を引いて歩き始めた。

 それから雑多な通りを抜けて道を一本脇に入ると、町並みは少し落ち着いた雰囲気に変わり、そこに素朴な趣の食堂があった。


 ルークは花の背に手を添えて店内へと導き入れると奥に空席を見付け、そこまで花を連れて行き椅子を引いた。

 完璧な紳士だ。


「……ありがとうございます」


 王宮では皇帝という立場上決して有り得ないルークの行動に花は驚いて、小さな声でしかお礼を口に出来なかった。


「ハナは特に苦手な物はなかったな? 注文は任せてもらっていいか?」


「はい。お願いします」


 今度ははっきりとルークに答えて、花は店内を失礼にならない程度に見回した。

 小じんまりとした店構えとは逆に奥行きがあって意外と広い店内は、板張りの床と壁、それに頑丈そうな木材で出来たテーブルと椅子が並べられ、それぞれのテーブルの上には小さな空き瓶に数輪の野花が挿して置いてあり、素朴な空気の中に柔らかさを醸し出している。

 そして、まだお昼前だと言うのにテーブル席もカウンター席も多くのお客で埋まっており、花と同じ様に男性に連れられて訪れたらしい女性客の姿もあった。


 すぐに運ばれてきたのはイギリスの大衆料理のフィッシュアンドチップスのような料理でワンディッシュ式に豪快に盛り付けられたものだった。

 周りを見ても皆同じ料理のようで、どうやらこのお店の定番料理らしい。

 そして何より、昼間だと言うのに皆が水代わりに葡萄酒などを飲んでいる。

 地球でもランチの際にワイン等を軽く飲む習慣もあるが、どうもこの世界の人々はアルコールに強いらしく食事の際には当然のように酒類が出て来るのだ。

 しかも、お酒を全く飲まない花が匂いだけですぐに気付く程にかなりアルコール度数が高いものが多い。


「あの……ルークもお酒の方がいいんじゃないですか?」


 花に付き合ってなのか、ルークもレモネードのような柑橘系飲料を頼んだらしい。


「いや、別に構わない。それより食べられそうか?」


「はい」


 嬉しそうに答えた花はルークに倣ってビネガーソースを料理にかけると、一口サイズにナイフで切り分けて口へと運んだ。


「おいしい!」


「そうか、なら良かった」


 思わず感嘆の声を上げた花に、ルークは安堵したように微笑んだ。

 昔、花がイギリスへ留学した際にうんざりする程に寮で出された物と違い、しつこい油っぽさがなくあっさりとして、それでいて香辛料が効いていて香ばしく食欲をそそられる。


「これ……何のお肉なんですか?」


 興味深そうな花の問いに、ルークはニヤリと笑って訊き返した。


「知りたいのか?」


「い、いえ……やっぱりいいです」


 やはり世の中には知らない方が良い事もあるのだろうと思い、慌てて引き下がった花を見たルークは、今度は楽しそうに笑った。


「マダラだ」


「え?」


「マダラの肉だ」


「ええ?……ルークは意地悪です」


 からかわれていた事に気付いた花は、少し拗ねたような声で応えた。

 ルークは未だに楽しそうに笑いながら、それでも謝罪するようにテーブルの上に置かれた花の手を優しく撫でる。


「マダラはかなり珍しい魚だが……そもそも、海から遠く離れたこのサイノスではあまり海魚を食べる事は出来ない。それをこの店では独自の取引先があるらしく、割と安価で提供してくれるから人気があるんだ」


「なるほど」


 ルークの説明を聞いた花は先ほどの事も忘れ、納得して頷いた。

 二人は食事をもう終わらせる所だったが、気が付けば店内は先ほど以上にかなり混み合い、給仕の若者が忙しそうに立ち働いている。

 カウンターの奥では店主が絶えず鍋を振り、その隣では奥さんらしき女性が揚げ物をしていた。

 そこへ、花達が座っているテーブルの空いている椅子へ、酒が入っているらしいグラスを持った男がどっかりと腰を下ろした。


「わりいが、相席いいか?」


 もうすでに座っている男に花は戸惑って目の前のルークを窺うと、ルークは一瞬周りに視線を向けたが、すぐに男へと冷たい視線を投げかけた。


「俺達はもう出るから、構わない」


 ルークの返事を聞いた花は、残っていた飲料を飲もうと慌ててグラスを手にした。

 その花の右手小指に男はチラリと視線を向け、それからルークにのっそりと顔を近付けて花には聞こえないように小声で話し始めた。


「兄ちゃん、政略結婚だったのか? それだけ男前ならもっと良い女と結婚できただろうに、もったいねえな……。なあ、上手い商売の話があるんだがどうだ? 見た所、どっかの貴族の次男坊くらいだろ? それで、あの嫁さんの家に婿養子に入ったのか?」


 ルークは男の不愉快な言葉を顔色一つ変えずに聞いていた。

 花は二人の邪魔をする事はせず、さり気なく視線を逸らして店内の賑わいを見ている。


「ハナ……悪いが、水を一杯貰って来てくれないか?」


「あ、はい。わかりました」


 ルークに申し訳なさそうに頼まれた花は、頷くとすぐに席を立った。

 その背を見つめるルークに、男は下卑た笑いを浮かべる。


「兄ちゃん、話がはええな。これからあんな女より――ッ!?」


 言いかけた男は声を喉に詰まらせた。

 ルークがテーブルに置いた男の手――その僅かな指の隙間にナイフを突き立てたのだ。

 それは一瞬で、指先から危険を感じるまで男はルークが皿からナイフを取った事にさえ気付かなかった。


「失せろ」


 たったそれだけの一言に、なぜこれ程の恐怖を感じるのか男にはわからなかった。

 男にとって目の前の若造は一財産築けそうなほど綺麗な顔を持っただけの、大した魔力もないお坊ちゃんにしか見えなかったはずなのに。


 ルークは動かない男を目にして呆れたように大きく息を吐き出すと、ナイフを引き抜いて皿へと戻し、男の腰かけている椅子をテーブルの下から勢いよく蹴った。

 と、椅子は見事に男の尻の下から滑り出て、頼る物のなくなった男は後ろへ無様に転がり倒れてしまった。

 大きな物音に店中の注目が集まる中、よろよろと起き上がった男は青ざめた顔のまま、それでもルークに向かって「覚えてやがれ!」とお決まりの文句を吐き捨てて逃げ出したのだった。



「どうしたんですか?」


 水を持って戻ってきた花に、ルークは何事もなかったように微笑みかけた。


「いや、何でもない。どうやらあの男はかなり酔っていたらしい」


「……そうですか」


 納得してはいないだろうが、それ以上は何も言わずに水を差し出した花から、ルークは礼を言って受け取ると一気に飲み干して立ち上がった。


「行こう」


 代金は注文した時点で支払う仕組みなので、そのままルークは花の手を取って店を出ると、再び大通りに向かって歩き出したのだった。




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