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107.戸締り用心。


「う~ん、う~、う~ん……」


 とある港町のとある宿屋。その一室から聞こえる奇妙な呻き声に、宿屋の主人は扉の前で眉をひそめていた。

 それというのも、この部屋のお客は今、花街へと出掛けていて留守にしているはずだったからだ。

 ひょっとして客の留守を狙った盗人か? と、主人が大きな片手鍋を握り締めて部屋の様子を廊下から窺っていると、後ろから当の客に声をかけられた。


「あれ~? おやっさん、何してんすか?」


「あ、お客さん。シー! 静かに。あのですね、なんか部屋から声がするんですけど……盗人ですかね?」


 やっと戻ってきた客にホッとしながらも、主人は人差し指を立てて静かにするよう促し、状況を説明した。

 その客は素直に口を閉ざして黙り込むと、主人と同じ様に扉へと耳を近付けた。


「あ、あ~……」


「お客さん、心当たりあるんですか? もし、お連れの方がいらっしゃるなら、ちゃんともう一人分払って下さいよ」


 どこか気まずそうに声を上げた客を見た宿屋の主人は、素早く頭を切り替えて商魂たくましく客に詰め寄った。

 すると客は慌てて首を横に大きく振り、弁解を始める。


「いや、違う違う! あれは……あれだ! の、呪いなんだよ!」


「呪い!?」


「そうそう。呪いのペンをだなあ、サンドル王国の神殿でお祓いして貰うっていう依頼を受けてだな……」


「そ、そんな物騒な物、持ち込まないで下さいよ!!」


 血の気の引いた宿屋の主人を安心させるように、客は震えるその肩を力強く叩いて人好きのする笑顔を浮かべた。


「大丈夫! そっとしておけば、今の所は他の人間に害を加える事はねえから。な?」


 どうにか言いくるめて宿屋の主人を追い払うと、その部屋の泊り客――ザックは、一度大きく溜息を吐いてから部屋へと入った。


「お前なあ、何をさっきから唸ってんだ? 便秘か?」


「おお、ザック。今晩は早いな? てことは、明日はいよいよ出発なのか?」


 ここ数日、酷い嵐で海が荒れていた為に、ザック達一行はサンドル王国へと渡る船の出るマグノリア帝国最南端の港町で足止めされていた。

 そして、今日になってようやく天候も回復し、明日には船が出港するそうだと供の者から伝えられたザックは、本来の宿へと戻って来たのだった。


「ああ、明日の朝一で出港だってさ。船乗りさん達は早起きだね~。で、呻き声の原因はそれか?」


 ザックは呻き声の主――アポルオンが手にしている書面を見て尋ねた。


「そうなんだよ、俺にはどうも理解できなくて……」


 頷いたアポルオンはザックへとその書面を差し出した。

 それを受け取ったザックは目を通すと、片手でごしごしと目を擦り、それからもう一度書面へと視線を落とし、更には裏面まで確認してしまった。


「……」


 しかし、何度見直しても、ザックの目にはたったの一行しか映らない。

 それはかなりの達筆で書かれた簡単な一言。『さっさと森へ帰りなさい』とあるだけ。


「あ、あ~……っと、うん。悪いが、俺にもちょっと意味がわかんねえな」


 ザックは目を泳がせながら、珍しく丁寧に書面を折りたたむとアポルオンへと返した。


「ま、まあ、あれだ! きっとサンドル王城に行けば、そこで詳しく説明してもらえるんじゃないか?」


「そうか! そうだよな!!」


 ようやく答えを見つけて喜ぶアポルオンから目を逸らしたまま、ザックはボソリと付け加えた。


「――だったらいいな」


「ん? 何か言ったか?」


「いや、とにかく! サンドル王国に入る前には気配を消してもらわないといけねえからな? もう勝手にペンから出て来るんじゃねえぞ?」


「おう! 任せとけ!!」


 こうして普通のペンに姿を変えたアポルオンを連れたザックとその一行は、翌早朝、晴れ渡った空の下、一路サンドル王国を目指して港町を出発した。

 その後――ザック一行がサンドル王城へと無事に入城を果たし、セルショナード王の名代として挨拶を済ませたとの報告を最後に、ザックと普通のペンの消息は途絶えたのだった。




**********




「ハナ様、申し訳ありませんが、今からお召替えをして頂けますでしょうか?」


「え? はい……?」


 今日は特に何も予定はなかったはずなのにと思いつつ、素直に従って着替えた花は、鏡に映った自分の姿を見て目を丸くした。


――― あれ? この恰好って……???


「あの、これはいったい……?」


 なんだかとても楽しそうに見上げているセレナとエレーンに疑問を投げかけた花だったが、二人は微笑むばかりで答えは得られない。


「あまりお待たせしてはいけませんわね。さあ、ハナ様」


 結局、花は不思議に思いながらもセレナに促されて居間へと戻り、そこにいた人物を目にして驚愕した。


「ルッ――陛下!?」


「ハナ」


 花に優しく微笑みかけるルークの姿があまりにも違うのだ。

 いや、美麗な顔はいつもと変わってはいないのだが、髪色がプラチナブロンドからよくある茶色に、瞳の色も金色から少し濃い琥珀色へと変わっている。

 また衣服も普段の豪奢な衣装から、花がセルショナードでリコ達と旅をしていた時にリコが着ていたような一般貴族の略装を身に纏っていた。


「その姿も可愛いな」


 驚いて茫然としている花に構わず、ルークはその頬に軽くキスを落とした。

 花もまた、若い貴族令嬢達が街へと遊びに行く時のようなあまり目立つ事のない簡素な衣服に着替えていたのだ。


「陛下……あの、これは……」


 戸惑いを隠さない花にルークは悪戯っぽく笑いかける。


「街へ行こう」


「え?」


「今からならちょうど昼食時だ。街の食堂で何か食べよう」


「それは――」

「大丈夫だ」


 王宮から離れても大丈夫なのかと心配の言葉を口にしようとした花を、ルークは穏やかに遮った。


「今はリカルドと……ハナのお陰でかなり力に余裕が生まれている。だから、少々王宮から離れたとしても何も問題はない」


「……本当に?」


「ああ」


 ルークの言葉に花は込み上げる涙を必死に堪えた。

 ずっと――何十年も王宮から出る事の叶わなかった、それほどに負担を強いられていたルークが街へと出られるのなら、ルークが少しでも義務から解放されて息抜きが出来るのなら、これ程に嬉しい事はない。

 涙を浮かべながらも嬉しそうに微笑む花を見て、ルークは少し困った様に微笑み返すと、今度は唇に少し長めにキスをした。


「へ、陛下……」


 レナードやセレナなど、まだ周囲に人がいる事を思い出した花は顔を赤くして、力ない抗議の声を上げた。

 それを意に介した様子もなく、ルークは花の頬に手を添えて何事かを呟いた。


「……今のは?」


 何だかよくわからないのだが、何か今までと自分が違う気がして花は自身を見下ろした。

 そして目の前のルークもまた何か違う気がして、首を傾げる。


「俺とハナの気配をかなり弱めた。街では目立たない方がいいからな」


「気配を……弱める……」


 ユシュタールの人々は自身の持つ魔力をオーラのように纏っている。

 魔力が強いとそれだけ気配も強く現れ、近しい人には香りのように移すので、花がセルショナードでリコ達に匿われていた際にはルークの気配を隠すために色々と苦労したのだが……。


「――気配って簡単に隠したり出来るんですか?」


「ん? ああ、ある程度の魔力がある者なら自身の気配くらいはな」


「そうですか……」


 ある程度と言っても、恐らくルークやディアン、ザックくらいの力の強さは必要なのだろう。

 納得したように呟いた花は、なぜか急にニッコリ笑ってルークを見上げた。


「それで今まで陛下は女性関係を知られる事がなかったんですね?」


「………何の事だ?」


「アンジェリーナ様がおっしゃっていました。陛下もディアンも女性の気配を上手く隠してしまわれるって」


「……」


 相変わらず花は微笑んでいるのだが、その真意が読み取れず、困惑したルークは思わず目を逸らし、そのまま側で固まったように直立しているレナードへ視線を向けた。

 しかし、当然ながら、レナードにこの微妙な空気を緩和する術があるはずもない。

 母の名前が出た事ですでに動揺していたレナードは、更にルークの視線を受けて限界に達した。


「し、しまった!! もうこんな時間か!! そ、それでは、私は予定が予定しておりますので、これにて失礼です!!」


「……」


「……」


 動揺しすぎたレナードは、白々しさを越えた怪しい発言をして逃げてしまった。

 その後に訪れた気まずい沈黙。それを破ったのはセレナだった。


「ハ、ハナ様、あの……付添いを連れていない若い娘は悪漢に狙われやすいので、必ず陛下のお側にいらっしゃって下さいませ」


「あ、はい。わかりました。気を付けます」


 ようやくいつもの笑顔で応えた花に安堵して、ルークは気を利かせたセレナに感謝するように軽く頷いた。

 そして強く花を抱き寄せる。


「では、行こう」


「え?」


「それではハナ様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」


「あ――」


 まさか転移して街へ行くとは思っていなかった花はルークの言葉に驚き、見送るセレナとエレーンに挨拶も返せないまま、青鹿の間――王宮を後にしたのだった。




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