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106.珍種じゃなくて新種です。

「……母上?」


 リコはすっかり衰えて棒きれのようになってしまった母の――クリスタベルの腕を優しくさすりながら、何かを必死で伝えようとするその口元に耳を近付けた。


「……私たちはただの駒……神は……楽しんでいるのかしら? 私たちが必死で抗い、絶望し……嘆き悲しむ様を見て……」 


「母上、何を言って……」


「運命とは……神の戯れ……私達を……破滅へと導くのは……神は――」


「まさか、そんな!!」


 母のかすれたか細い声は、それでもリコの耳にはっきりと届いた。

 そして愕然とした。

 『神』とは人々を救ってくれる存在ではなかったのか?

 確かに、満月の夜に捧げる祈りは形骸化してしまっているけれど、それでもリコは――ユシュタールの民は神を信じている。

 その神がまさか――。


「母上? 今のお言葉は……」


 嘘だと言って欲しい。間違いだと。

 意識が朦朧としている母に無理な願いを口にしそうになって、リコは慌てて口を噤んだ。

 母はもう何も見えてはいない、何も聞こえてはいないのだ。


「……創世と…終焉……全ての始まりも…そして終わりも――」


 弱々しく続いたその言葉を最後に、クリスタベルは息を引き取った。




**********




 耳に心地よく響いていたピアノの音色が鳴り止むと、リコは甦る母との記憶に蓋をするように大きく息を吐き出して立ち上がった。


「そろそろ行こうか」


 その言葉を合図に、一行はひと時の休憩を終えてすぐに準備を整え、セルショナード王城に向けて出発した。

 先ほどまで聴こえていたピアノの音色のお陰で、皆の顔には疲れも見えず、一様に明るい。

 今からなら夕刻には王城に着く事ができるだろう。

 それほどマグノリア王宮から離れているというのに、花の奏でるピアノの音色はまるですぐ近くにある神殿が鳴らす、時を告げる鐘の音のようにはっきりと耳に届いていた。

 少し集中して『果て』に意識を向ければ、輝く音色にゆっくりと『虚無』の勢いが衰えていくのを感じる事も出来た。

 花の演奏が終わると『虚無』は再び世界を飲み込もうと蠢き始めるのだが、それでも僅かに世界は抗う力を取り戻している。それを後押しするようにリコが力を注げば『虚無』の動きは鈍り、やがて窺うようにその場に滞留するのだ。


 リコはサンドル王国とマリサク王国の『果て』に力を注いでいるだけにすぎないが、それでも体から流れ出す魔力は膨大で、失われていく力に恐怖を覚えた。

 とすれば、今まで殆ど一人で世界の『果て』を支えていた皇帝の孤独と喪失感はどれ程のものだったのか。その途方もない強い力と精神力にリコは畏怖の念を抱かずにはいられなかった。

 その皇帝にとって花の存在はリコや皆が思う以上に癒しであり、救いなのだろう。


――― だが、ハナは……。


 あの日、ピアノの音色を初めて耳にしてから、どうしても母の最期の言葉――創世の神話の一節が頭から離れないのだ。

 リコはふと手綱を引いて馬を止めると、後ろへと振り返った。


「……神に対抗し得るは、神のみか……」


 マグノリアの方向に厳しい視線を向けて呟いたリコの声は小さく、葉擦れの音にかき消されていく。


「リコ様? 如何なさいましたか?」


「いや……すまない。何でもない」


 突然馬を止めたリコに驚いて訝しげに問うトールドに、リコはいつもの穏やかな笑みを浮かべて答えた。

 そして再び馬を歩かせ始めたリコはセルショナード王城へと続く道を真っ直ぐに、前を向いて進んで行ったのだった。




**********




 花は持っていたシューラをそっと置いて、残照がまだ淡く朱色に染め上げている黄昏時の街を窓から眺めた。

 ピアノが届けられてからも毎日シューラは弾いているのだが、今日は体調が悪く、すぐに弾く事を止めてしまった。


 久しぶりに月のものが来たのだ。

 今回もずいぶん遅れていたので気にはしていたのだが、ルークとの事を思えばまた別の心配もあったのであまり考えないようにしていた。

 考えるとどうしても深みに嵌り込んでしまうから。


 この世界は魔物を除けば、おおよそが地球と同じ生物で構成されているように思える。

 それでも確実に違う点が一つ。

 姿かたちは似ていても、全ての生物には大なり小なり器があり、魔力を持っているのだ。

 その中で、花だけが異質な存在。


 小さく息を吐いた花は、落とした視線の先にあった自分の手――その指先を隠すようにギュッと握りしめた。


――― 大丈夫。私は大丈夫。この世界で生きて行く。


 言葉にならない、形にならない恐怖に飲み込まれそうになる自分に必死で言い聞かせると、花は自身を落ち着ける為に何度も大きく深呼吸をして立ち上がり、セレナ達に声をかけた。


「少しだけ寝室で休みますので、何かありましたら声をかけて下さい」


「あまりお辛いようでしたら医師に薬を処方して頂きますので、どうか我慢なさらずにおっしゃって下さいませ」


「ありがとう。でも、それ程ではないので大丈夫です」


 心配するセレナとエレーンに微笑みかけて寝室へ入ると、行儀が悪いとは思いつつドレスのまま寝台に横になった。


 眠るつもりはない。ただ少し休みたいだけ。

 体の奥深くから力が失われていくような倦怠感。


――― 疲れたな……。


 ふと浮んだ言葉に、花自身が驚いて閉じていた目を慌てて開けた。


――― あれ? 私、疲れてるのかな? そっか、そうだよね……。


 やっぱり疲れているから、すごく色々な事があってストレスが溜まっていたから、だから生理も遅れたのだと納得して、花の気分は少し浮上した。

 そして腹部の鈍痛を逸らす為にゴロリと寝返りを打った花は広い寝台を目にして、とある問題に気付いた。


――― ルークに……なんて言えば……?


 便利な浄化魔法のお陰で、『漏れない、臭わない』事はすでに実証済みで心配はないのだが、前回と違って今はルークと並んでただ寝ている訳ではない。

 とすると、こういう場合にはどうすればいいのか。

 花は痛みも忘れて勢いよく起き上がると、ウロウロと部屋の中を歩き回り始めた。


――― こういうのって自分から言うものなのかな? それは恥ずかしいよね? うーん。……それとなく察してくれないかな? って、それはそれで嫌かもー! じゃあ、どうすればいいの? みんなどうしてるんだろう? 


 色々と考えるのだが、空回りするだけで結局どうすればいいのかがわからない。

 しかし、花は突然ピタリと歩みを止めると、ゆっくりと書物机へと振り向いた。

 書物机にある一番の上の抽斗(ひきだし)――鍵は掛けていないが、セレナ達も勝手には触らないその抽斗を開ける。


「……」


 抽斗の中には、最近では滅多に開く事がなくなった『生まれて来た事を後悔させてやるリスト』と、その下に例の本が隠れるように収まっているのだ。

 花はリストの下から例の本――アンジェリーナから贈られた『<図解付き>愛の技巧と焦らしのテクニック』を取り出して恐る恐る開いた。


「………………。」


 何頁かパラパラと簡単に目を通した花はそっと本を閉じて抽斗へ仕舞うと、窓辺へと近付いてすっかり宵闇に包まれた街を見下ろした。


「………ふふ」


 薄闇の中、静かな寝室になぜか放心したような花の乾いた笑い声が響いたのだった。




*****




「何だ、それは?」


 その日、ルークは久しぶりに鍛錬場でレナードを相手に剣を握ったのだが、政務官達を刷新したお陰で執務が滞る事もなく、寧ろいつもより早い時間に青鹿の間の寝室へと訪れる事が出来た。

 そして目にした物に、驚くよりも半ば呆れて花に問いかけた。


「枕です」


「それは見ればわかる」


 答えた花に、ルークもすぐに応えた。

 寝台の中央には枕がいつかと同じ様に並べられて左右に区切られているのだ。


「こっちが私の陣地で、そっちがルークの陣地です」


「……何の為に?」


「え?」


「何の為にお互いの陣地が必要なんだ?」


「え……えっと……」


――― 何の為って聞かれても……どう答えればいいの? えっと……えっと……。


 前回は上手くいったので(朝には意味を為してなかったが)、今回もこれで押し通すつもりでいた花は理由を聞かれて困惑してしまった。

 必死で考えを巡らせた花の口からどうにか出て来た答えは……。


「障害です」


「……障害?」


「あの……あ、愛は……障害がある方が燃えるんだそうです。だから……これから数日障害があればきっと……」


「ああ、……なるほど」


 ようやく納得したらしい言葉をルークからもらえた花はあからさまにホッとして微笑むと、いそいそと自分の陣地に横になり目を閉じた。

 が、――穏やかでない気配を感じて再び目を開けた。


「ルーク!?」


 ルークは愛の障害(まくら)を次々に寝台から落としている。

 そしてあっという間に全てを取り除くと、驚き起き上がろうとした花を強く抱き寄せた。


「待っ――」


 抗議しようと開いた花の口はルークによってすぐに塞がれてしまった。

 やがて唇を離したルークはそれでも強く花を抱きしめたまま、掠れた声で囁いた。


「どんなに障害があろうとも……俺はハナを諦めない」


「ルーク……」


 その言葉に喜びとも不安ともつかないよくわからない感情が押し寄せ、花はルークから身を引く事も忘れて金色に光る瞳を見つめた。

 ルークはそんな花を見つめ返して優しく微笑むと、腕を緩めて軽くついばむようなキスを繰り返し、いつものニヤリとした笑みを浮かべた。


「今はここまででいい。だが、この先は……待てば待つ程にきっと燃えるんだろう?」


「え?」


「期待して待っていればいいんだな?」


「ええ!?」


 今度は楽しそうに弾んでいるルークの言葉に、花は安堵しつつも激しく動揺して金色の瞳から目を逸らした。

 次の日、花はアンジェリーナに宛てて『超初心者にお勧めの本があれば教えて下さい』との手紙を送ったのだった。




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