101.心裏に真理。
「あなた方は何をそのように反対されるのです! ハナ様がご正妃になられるのに不都合な事がどこにありましょうか!?」
「不都合だらけではないですか! 確かにハナ様は素晴らしいお力を有しておられる。しかし、ハナ様は何の身分もお持ちでなければ、その出自も確かではないのですぞ!」
「何をおっしゃられるか! ハナ様はそこにおられるセイン殿の――カルヴァ侯爵家の養女となられた。よって御身分は申し分もなく、しかもユシュタルが皇帝陛下の許にお遣わしになられた方なのですよ!?」
「それは確かな事なのですか!? 陛下には未だハナ様の事を詳しくお教えしては頂けませぬ。ですからハナ様が本当にユシュタルより遣わされて来られたのか我々が知る術はないでしょう? それに、侯爵令嬢となられたからと言ってその出自までは変わりませぬ!!」
世界が希望の光で包まれた奇跡の一夜がまるで幻だったかのように、翌朝からはまた醜い争いが朝議の場で始まっていた。
花を正妃にとの声がいよいよ高まっているのだ。
しかし、相変わらず一部の貴族達から反発の声が上がり、あの夜から三日経った今も結論に達する事はなかった。
マグノリアは絶対君主制とはいえ、正妃に関しては皇帝の一存で決められるものではなく、内大臣ドイルのような最上位貴族過半数の承認を要するのだ。
それもまた、遥か昔の醜い権力争いから生まれた因習であった。
ドイル達とて、仮に自分達の娘を後宮に送り込む事が出来たとしても皇帝の寵愛を得る事がもはや難しい事ぐらいは理解していた。
花の右手小指には間違いなく皇帝のものである指輪も在るのだから。
だが娘を正妃の座に就かせる事さえできれば、例えただの飾りに過ぎないとしても権力は握れる。幸い、花の後見についたセインには権力に対する欲がない。
とすれば次代の皇帝についても上手く事を運べるかも知れないのだ。
「では先のセルショナードのようにハナ様が奪われでもしたらどうなされる? ここ最近の王宮内の騒動でもわかるようにハナ様を手に入れんと暴挙に出る者達は多い。その者達を抑止する為にもハナ様には確固とした地位が必要なのです!」
「それについては心配する必要もないでしょう。力ある術者に聞いた所によるとハナ様のあのお力は『果て』にまで届いたそうです。ならばわざわざ危険を冒してまで王宮に忍び込むより、自国でハナ様のお力が届くのを待てばよろしいのですから」
「なんと悠長な! それはあまりにも暗愚というものです!」
「何をおっしゃられるか!! 失礼にも程がありますぞ!! そもそもあなたは――」
際限なく馬鹿馬鹿しい内容で続く議場に花のピアノの音色が優しく響きはじめた。
すると途端にそれまでの尖った空気は消え失せて、皆が心の平静を取り戻していく。
そして、結局何の結論も出ないままこの日の朝議も終わりを迎えたのだった。
*****
「いや~なんか他人ん家のケンカって見てると面白いですね~」
「……」
ザックの呑気な発言を聞いた近衛のアレックスは色々な突っ込みを全て飲み込んで黙って立っていた。
先ほどまでザックはコッソリ(でもないが)朝議の場に潜り込んでいたのだが、今はルークの執務室でなぜかお茶を飲んでいる。
セルショナードとの講和条約は無事に締結したが、未だに細かい調整などがあり他の者達が奔走している中、する事のない(はずもないのだが)ザックは暇を持て余しているのだ。
「ってか、なんであの人達ってあんな堂々と陛下の御前でその寵妃であるハナ様の事を貶められるんすか? すげえ度胸ですよね。それともひょっとしてただの馬鹿なの?」
「ええ、限度を超えた馬鹿なんです」
ザックの言葉にディアンが微笑んで答えた。
「粛清とかしないんすか? あんなの潰してしまえば早いでしょ?」
物騒な内容を発言しているとは思えないほどザックの口調は明るく、ディアンも更にその笑みを深くする。
「この国は、例えるなら老朽化した屋敷のようなものなのです。――古い屋敷というものは自らの重みで沈んでいく。そして土台は地に埋まり柱は腐っていきます。しかし、腐った柱を一度に取り除いてしまえば、屋敷は崩壊を免れません。ですから、一つ一つ丁寧に土台を掘り起こして腐った柱を取り除き、新しいものにすげ替えていくしかないのですよ。幸い我が国には新しき柱となる優秀な人材はたくさんおりますから、この先、腐った柱を取り除くのに何の不都合もありませんがね」
「へー! なるほどね!!」
ディアンの言説に納得顔で答えたザックは、側にいたレナードに小声で訊いた。
「で、あんたの兄さんは何て言ったんだ? かいつまんで教えてくれ」
「え?……要するに、あれだ……一度に粛清を行うのは無理って事だ」
「ああ! そう言うことか!! あんた頭いいな!!」
「いや、それは……」
慣れない褒め言葉にレナードはうろたえ、そんな二人を微笑ましく――黒く微笑んで見ていたディアンは再び口を開いた。
「セルショナードでは、この度の変事で優秀な政務官達だけが残り、愚鈍な政務官達は一掃できたそうで羨ましい限りです。ああ、そういえば子育てに失敗した方はいらっしゃるようですが……まあ、政治的手腕と子育てとは結び付かないのでしょうねぇ」
「へ~誰だろ? 俺の知らない奴かな~? あ、王の話し合いが終わったみたいですんで、これで失礼しまーす!」
ザックは思い当たる人物がいないのか考えるそぶりを見せたが、リコの動きを気配で悟ると、さっさと消えてしまった。
「……自由すぎるだろ」
呆れたようなレナードの呟きが急に静かになった執務室に響く。
もちろん自由に振る舞う事を容認しているのは自分達だが、ザックは予想の範囲を超えている。
「まあ、それが彼の才能でしょう」
爽やかに微笑みながらもディアンは先ほどからずっと黙ったままのルークへ問いかけるような視線を向けた。
「――潮時だな」
無機質な声で吐き出したルークの言葉にディアンの顔から笑みが消えた。
「では、いつ?」
「明日にでも」
「かしこまりました」
レナードはルークの言葉を聞いて一瞬眉を寄せたが、二人のやり取りからその真意を悟ると息を呑んだ。
「ルーク……」
思わず洩れ出たレナードの声を最後に重たい沈黙が部屋に落ちたその時、扉をノックする音が静かに響いた。
「ランディです」
近衛のランディが今回新たに組み直された王宮警備についての報告に訪れたのだ。
それから、暫くその報告に耳を傾けていたルークは突然手を挙げてランディを遮ると、扉の内側に控えているアレックスに声をかけた。
「アレックス、行ってこい」
「しかし……」
「ハナではもう対処しきれんだろうから、お前が行ってこい」
「アレックス、ややこしい事になる前に……お前が対応した方がいい。ここはいいから行って来てくれ」
「……かしこまりました」
最初はためらいをみせたアレックスも、ルークの重ねた言葉とレナードの後押しを受けて拝命の敬礼をすると、ランディを一度チラリと見てから消えた。
「ランディ、あなたも気になるでしょうから行っても構いませんよ?」
「――私には関係のない事ですので」
ディアンの笑みを含んだ急な言葉にもランディは真面目な顔を崩さずに答えると、先ほど中断した報告を淡々と続け、詳しい内容が記された書類をルークへと提出して執務室を後にした。
「なかなか強情ですね」
「そうだな」
「これだけお膳立てされてるのになあ」
「……」
その方面に関してはいつも鈍いレナードの驚きの発言を聞いてルークとディアンは黙り込んだ。
「どうかしたのか?」
自覚のないレナードは訝しげに問いかけたが、二人とも答える気はないらしい。
「陛下、事件です」
「事件だな」
「え? どこで?」
「では私はすぐにでもメーシプに教えたいのでこれで失礼いたします」
「ああ」
「え? 何を?」
戸惑うレナードの疑問の声を無視してディアンは消えてしまい、ルークもそのまま目の前の書類に視線を落とした。
「え???」
結局、レナードがその答えを得る事はなかった。
ただ、ユース侯爵家執事のメーシプが書き記している『おぼっちゃま成長記録』には新たな一頁が加わったのだった。
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花にとって神様がピアノを届けてくれた事は、例え今までうっかり忘れられていたとしても、とても嬉しく感謝してもしきれないほどの喜びだった。
しかし、問題が一つ。
ピアノに施された防御魔法があまりにも強力で花以外は誰も触れない為に、移動させる事が出来ないのだ。
その為、花は毎日午前と午後の二回、月光の塔へと通う事になった。
本当ならば何時間でもピアノに触れていたいのだが、やはりセレナや護衛達を待たせてしまう事が申し訳なく、一歩(二時間)だけと決めた。それでも待たせすぎではないかと心配したが、皆の強い否定を受けて有難く甘えさせてもらう事にして、その時間を大切に過ごしている。
そして花達は今、月光の塔へと向かっているのだが……。
「ザック殿、妹にはもったいない程の有難いお話ではありますが、ハナ様の侍女としての職務もありますから……」
「え~、でも決まった相手はいないんだよね? ハナ様だってご自分の侍女が幸せになれるなら応援してくれますよね?」
「え? それは……セレナが幸せになれるならもちろん……」
「私はハナ様の侍女でいられるのが一番の幸せなんです!!」
「俺、強気な女の子って大好きなんだよね~」
月光の塔へ続く渡り廊下で繰り広げられているこの賑やかな光景も、もう三日目になっていた。
ザックは花達が後宮を出た所で大抵ふらりと現れるのだが、どうもセレナの事を気に入ったらしく、いきなり求婚したかと思ったら断られ、それでも懲りずに毎回口説いているのだ。
しかも今日はセレナの兄であるアレックスも加わって更に賑やかになっている。
――― うーん、こんな時って私はどうすればいいのかなぁ? 人の恋路を邪魔すると馬に蹴られちゃうしなぁ……。でも、セレナってたぶん……。それにザックがこんなにしつこいのも、らしくないっていうか……???
花がザックと行動を共にしたのは二週間ほどだが、それでもなんとなくザックの恋愛傾向は把握していたつもりだった。
だがそれも間違いだったのかと悩む。
そもそも花にはルーク以外に恋愛経験がないので、正直こんな場面でどう対処すればいいのか全くわからない。
そうこうしているうちに、祈りの間へと一行は到着した。
花の姿を確認した警備の者達は嬉しそうに顔を輝かせて扉を開けてくれる。
そんな彼らに花は微笑んでお礼を言うと、高揚する気持ちを抑えてピアノへと近づいた。
あの日から祈りの間には警備兵が常駐するようになったのだが、花がピアノを弾く時間帯は希望者が殺到し、公平を期する為に新たに王宮警備が編成し直されたほどだった。
また、警備兵達の仕事はもう一つ増えていた。
それは少しでも近くで花の奏でるピアノの音色を聴きたいという民達が王宮周辺に集まって混雑するようになり、騒動を避ける為に警備が必要になっているのだ。
とはいえ、問題が起こる事はまずないだろう。
そこに集まる者達の顔はみんな前向きで明るく希望に溢れ、思いやりに満ちている。
やがて響き始めた柔らかな音色に、人々は心を寄せて穏やかなひと時を過ごす。
花の奏でる優しい音楽は人々を温かく包み込んで世界を癒し、希望に満ちた光となって日々を明るく照らすのだった。