98.希望の光。
「ハナ、大丈夫か?」
心配に顔を曇らせて問うルークに、花はなんとか深く長く息を吐き出して気を落ち着けると微笑んで答えた。
「はい、大丈夫です。少し……ええ、少し驚いてしまっただけです」
――― 神様のいい加減さに……いや、いい加減どころじゃないよね?
神様に不満を募らせながらも体に力を入れると、ルークの手を借りてしっかりとその場に立った。
そして、安心してもらう為に周りにもその笑顔を向けた。
いつの間にか、ニコスや護衛達も祈りの間へと駆け付けている。
――― ……大事になってる気がする。もう! 神様ったら、なんでこんな大騒動にしてくれてるの!? もっと穏便にできなかったのかな!? 私の時はもっと……あれ? でもすぐにルーク達が来たんだっけ??? とにかく、あの音が――音!!?
花はハッとすると急いでピアノに近付き、その手で触れようとした。
「――ハナ!!」
が、それは再びルークによって阻まれた。
「ルーク!! 放して下さい!!」
花の苛立ちを含んだ声にルークはわずかに怯んだが、それでも花を放す事はなかった。
「ハナ! 危険だと言ってるだろう!!」
「でもっ!!」
先程の音はピアノが乱暴に扱われた為に鳴り響いたような音だった。その為、どこかを傷めたのではないかとの心配が花の心をあっという間に占め、ザックの言っていた防御魔法の事はすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。
花はルークに捕らえられながらも、開いた屋根から弦の張った内部を覗きこんだ。
ざっと見ただけでは、ピアノが傷ついているのかどうかはわからない。それでもひとまずの無事を確認した花はいくぶん落ち着きを取り戻した。
と、同時にルークだけでなく、皆が驚き呆気にとられて花を見ている事に気付く。
「あの……ごめんなさい……」
取り乱した自分が恥ずかしく、そして申し訳なくて花は顔を赤くして俯いた。
「ハナ……その防御魔法は私にも解く事が出来ないほど強力なものだ」
「はい」
「だから触れると危険な事はわかるな?」
「はい」
「それでも大丈夫だと思うのか?」
「はい……え?」
「その紙には何が書かれているんだ?」
「そ、それは……」
なんとか逸る気持ちを抑えてルークの静かな言葉に頷いていた花は、最後の問いに何と答えればいいのかわからずに言葉を詰まらせた。
――― え、えっと……今ここで神様の事を言ってもいいのかな? でも、ルークは神様の事を嫌っているようだったし……それに上手く説明できる自信がない……。
動揺しながら花は救いを求めるようにチラリと周りを窺ったが、更に焦ってしまうだけだった。
皆も興味深く花の答えを待っているのだ。
「これは……あの……」
――― どうする? どうすればいいの? えーん!! 神様のバカー!!……でも……。
心の中で一通り泣きごとを言った花はそれでも覚悟を決めた。
ゴクリと唾を飲み込んで、クシャクシャになってしまった神様からの手紙を更に強く握り締めると、顔を上げて微笑む。
「これは、あとで説明します」
「え……」
堂々とした花の後回し宣言に皆が言葉を失う。
その中、ルークだけは微笑む花を真っ直ぐに見つめ、花もまた強い意思を込めて見つめ返した。
やがてルークは諦めたように大きく溜息を吐くと、頷いた。
「……わかった」
「ええ!?」
ルークの承諾にザックが驚きの声を上げる。
だが、花は嬉しそうに振り返ると、恭しくそっとピアノに触れた。
そして、何事もなく無事な様子の花に皆が驚愕しているのにも気付かずに、なだらかな曲線を描く側板を優しく撫でながら正面へと向かい、恐る恐るその鍵盤蓋を開いた。
「ハナ!!」
今度はリコが焦ったように花の手を取った。
「リコ!!」
次から次へと現れる障害に花は限界に近かったが、次いだザックの言葉に思わず拍子抜けしてしまった。
「ハナ様、大丈夫ですか!? なんかすげえ、歯をむき出してますけど!!」
「は……?」
一瞬、何を言ってるのかと思ったが、どうやらいつもの冗談ではなくザックは本気らしい。しかも、それは皆が同意見のようで一様に険しい顔をして、剣を佩いている者は柄に手を掛けている。
皆からピアノへ視線を落とした花は、確かに蓋を開けたピアノが大きく歯をむき出しにしている怪物のように見えない事もない事に気付いた。
――― こ、ここは笑ったらダメだよね? というか……さすがにもう泣きたいんですけど……。
込み上げる笑いが涙に変わりそうで慌てて俯いてしまった花の手を、ルークはリコから解放した。
「――陛下!!」
リコの抗議を無視して、ルークは花に優しく囁いた。
「聴かせてくれ、ハナ」
「……え?」
「それがずっと望んでいた楽器なんだろう? その音色を聴かせてくれ」
驚いて顔を上げた花にあたたかく微笑みかけてルークは後退すると、花から、ピアノから少し離れた。 まるでもう邪魔はしないとでも言うように。
そのルークの行動に、リコも皆も警戒しながらも従う。
「ルーク……」
花は涙を堪えて、ルークに感謝の気持ちを精一杯の笑顔で返した。
そして改めてピアノに向かう。
指が、体が震える。
高鳴る期待と少しの不安、溢れる想いを胸に花は指先に全ての神経を集中させた。
ポーン――と柔らかく響いた音は静寂の中に沁み込んでいく。
皆がその音色に息を呑む。
先程の、心に恐慌をきたすような音とはまるで違う、澄んだ美しい音。
花はまっすぐに通る音にホッと安堵の息を吐き出して、耳に、指に、体に懐かしく響く音に心を浸した。
それから和音もいくつか奏でてみたが、調律に狂いはなく、またどこも傷んだ様子もなかった。それどころか柔らかな軽いタッチは花の指によく馴染む。
花は無意識に椅子を引き出して腰をかけると、全てを忘れて弾き始めた。
何カ月もピアノを弾いていなかった花の指は、それでも自然と鍵盤の上を走りだし、徐々にそのなめらかさを取り戻す。
心から希う楽しみ、喜びを、花はその指から紡ぎ出していく。
希いを言葉にできなくても、想いを音楽で伝えることができる。
澄んだ音色は空気を揺らし、さざ波となって皆の心を優しく揺さぶった。
花の歌声は浄化、奏でるピアノの音色は希望。
不安に満ちた心を、未来の見えない暗い道を、明るく照らす光となる。
やがて優しい音色は風になって海を渡り、光となってユシュタール中に降り注ぐ。
それはまるで、祝福の鐘の音ように鳴り響き、皆の心にあたたかな希望の光を灯したのだった。




