97.謝罪は誠意を込めて。
ニコスやリコ達と対面した二日後、花はニコスに王宮案内をしていた。
以前は毎日の日課だった散歩も、セルショナードより戻ってからは取りやめていたので、ルーク達との遠足以来、久しぶりにのんびりと王宮内を歩く。
とは言っても、護衛の四人とセレナ、そしてニコスの侍従に護衛の二人という大所帯だとあまり寛げはしないのだが、花はなるべく気にしないようにしていた。
「やっぱり、セルショナードの王城と違って広いですね」
「そうですね。でも、造りはあまり変わらないのでしょう?」
「はい、だから迷わずにすみそうです」
安心したように言うニコスに、花は微笑んだ。
「でも話に聞いていた通り、この王宮には魔力がとても満ちているから、転移も楽にできそうです」
「そうなんですか?」
「はい、歴代皇帝の力もとても強く感じますし、それに何より陛下の力がすごいです」
興奮した様子のニコスは自分を落ちつけようと、ふうっと息を吐いた。
「やっぱり陛下はすごいです……兄上もここにきてより一層お力を増したようですし……僕は敵いそうにないです」
悲しそうに呟くニコスを見ていられなくて、花は立ち止まると膝をついてニコスの手を握り締め慰めの言葉をかけた。
「そんな事ないと思います! ニコスはまだまだこれから成長するんですから!!」
「そうですか!? じゃあ、僕、ハナを諦めなくていいんですね!!」
「……え?」
ギュッと花の手を握り返して嬉しそうに笑うニコスに、何か間違えてしまったような気がした花だった。
そうして、お昼過ぎに訪ねてきたニコスとお茶を楽しんだ後の王宮案内は、あっという間に夕の刻を回り陽も落ちてきたので、最後に『月光の塔』を見てから今日は終わりにしようと、塔へと向かっていた。
「ハナ、今日は満月ですね」
「ああ! そうですね!!……では、今日は雲も少ないので、もうすぐ綺麗なお月さまが顔を見せてくれますね」
ニコスの少し期待のこもった言葉に花は微笑んだ。
――― そうだった、今日は満月か……ということは、私がこの世界に届けられてちょうど……百日になるのかな?
などと考えながら、長い渡り廊下を終えて塔へと足を踏み入れた。
その時――
王宮を揺るがすように大きな音が鳴り響いた。
それはまるでノートルダム大聖堂の鐘の音のように高く、低く、強く、優しく、鳴り響く。
その音を耳にした瞬間、花は考えるより先に走りだしていた。
「――ハナ!!」
切迫したニコスの声が後ろに聞こえる。セレナや護衛達の声も。
それでも花は皆が追ってこない事に気付きもせず、祈りの間へと繋がる階段を駆け上った。実際の大聖堂の鐘の音と違い、すぐに鳴り止んでしまった音に花の焦燥は募り、更に足を速める。
はやく! はやく!! はやく!!!
もつれそうになる足を叱咤して息を切らしながら、ようやく辿り着いた祈りの間。
その扉に手を掛けようとして、突如それは阻まれた。
「ハナ!!」
珍しく焦った様子のルークが後ろから花を抱き寄せたのだ。
「ルーク!?…離して!!」
「ダメだ!!」
花はルークの腕から逃れようと必死で抗った。
「ハナ! ここに何者かが侵入したんだ!!」
「違う違う!! ルーク、違うの!!」
その瞳に涙を浮かべ、切望の滲んだ声で花はルークに向き直って訴える。
ルークは花を抱きしめて、宥めるようにその背を何度も優しく叩いた。
「とにかく落ち着いてくれ、ハナ……」
徐々に落ち着いた様子を見せ始めた花の顔を覗き込んで、ルークもまた落ち着いてゆっくりと説得する。
「何者かの気配はもう感じられはしないが、危険がないとは言い切れない。だからハナを入れる事はまだ出来ない」
だが、花は黙って涙を流しながら首を何度も振る。
気持ちが昂りすぎて言葉にならない。
そこへ、リコが現れ、続いてジャスティン、レナード、ディアン、ザックと現れたのだが、皆一様に青ざめていた。
「レナード、悪いが室内を確認してくれ」
ルークは花を抱きしめる腕に力を込めてレナードに命じると、扉から数歩下がった。
花は焦れる気持ちを抑え、黙ってそれに従う。
大きく頷いたレナードは、警戒しながら扉に手を掛けた。
皆が危急に備えて構え、そして扉は開かれた。
「――なっ!?」
そのまま室内へ足を踏み入れたレナードの驚きの声が聞こえる。
「何だこりゃ?」
ザックの気の抜けた声も。
花はルークの腕の中からそっと室内を窺い、そして震える手で口を押さえた。
皆が不思議そうに、祈りの間の中央に突如現れた物体の周りに身構えながらも徐々に集まっていく。
「…………ピアノです」
未だ室内へとは近づこうとしないルークに抱きしめられたまま、花は震える指の隙間からなんとかか細い声を出した。
「……ピアノ?」
ルークは花に優しく尋ねた。
「ええ、ピアノです」
答える花の声は涙に濡れている。
危険はないと判断したらしいルークは、やっとその腕から花を解放したが、そのまま震える花の手を強く握り、警戒しながらも祈りの間へと導いた。
夢にまで見たピアノが目の前にある。
その黒く艶めいて光輝くグランドピアノを花は信じられない思いで見つめた。
「これがピアノってやつなのか?」
以前の花の言葉を思い出したらしいレナードが、少し呆けた様子で花に問いかけた。他の皆は訳が分からないといったように眉を寄せている。
花はピアノから目を離さずに何度も小さく頷いた。
「――イテッ!!」
ピアノに触れようとしたザックが、その手をすぐに引いて呑気に笑う。
「あー、なんかすっげえ強力な防御魔法が施してますね~」
「え?――」
「ハナ!!」
驚く花をルークは再び強く抱き寄せた。
その場の者達も皆、一気に緊張したように構える。何もわからないままに皆の視線を追った花が目にしたのは、ヒラヒラと舞い下りて来る一枚の紙。
ゆっくりと揺れ落ちるその紙をジャスティンがさっと取り、目を通して一瞬眉を寄せた。
そして、黙ったままルークへと差し出す。
受け取ったルークもまた、目を通して眉を寄せる。
ルークの腕の中からチラリとそれを覗き見た花は礼儀も忘れ、慌ててその紙を引っ手繰った。
「ハナ?」
常ならぬ花の態度に驚くルークにも気付かない程に、花はそこに書かれた内容に呆然としてしまった。
それは、日本語で書かれた神様からの手紙。
『 花ちゃんへ♡
ごめんね、うっかりピアノを届けるのを忘れていました。テヘ☆
神様より 』
「う、うっかりって……」
やがて、ポツリと呟いた花は手紙をギュッと握りしめてわなわなと震えだした。
もはや涙も乾いている。
「ハナ、大丈夫か?」
心配そうなルークの声に答える事もできない。
皆も訳が分からないまま怪訝そうに見つめる中、花の身体は力を失くして、ふらりと傾いだ。
「ハナ!!」
ルークは慌てて花を抱きとめた。
「ハナ!!」
「ハナ様!!」
皆も心配して駆け寄って来る。
どこか怪我でもしたのかと、ルークは花の身体をさっと調べたが、特に異常はみられない。
なんの魔力も感じられなかった為にうっかり花に渡してしまった紙が、何か悪影響を及ぼしたのだろうかと、ルークは後悔した。
「ハナ、どこか痛むのか?」
「……って……」
「どうした?」
花の口から零れる小さな声を聞き取る事が出来ない。
そして、もう一度口を開いた花を見て皆が耳を澄ましたのだが……。
「………テヘ☆ってなんなのぉ……」
切迫した空気が漂う祈りの間に、脱力した花の声が静かに響いたのだった。