95.理想と現実。
「ハナ様、陛下が『大使の間』にお出でになられるようにと……」
「……え? 今からですか?」
「はい」
今まで執務中に(それ以外にもだが)呼び出されたことのなかった花はセレナの言葉にかなり驚いた。
しかし、待たせてはいけないと急いで身支度を整え、呼び出された『大使の間』という皇帝が個人的な謁見を行う部屋へと向かう。
その一行はカイルと新しく増えた護衛の二人、そして迎えに来たルークの近衛二人にセレナという大所帯であった。
――― なんか、色々すみません。
大名行列とまではいかないが、その仰々しさに申し訳なく、少し恥ずかしく思いながらもなんとか平静を装って歩く。
そして、すぐに通された大使の間では、ルークとその後ろに控えるレナード、側近くにはディアンとセインが立っていた。
――― おおう!! お仕事中? のルークを初めて見た―!! これが噂のギャップ萌え!! いや、なんか違う。とにかく、かっこいいです!! いつも以上に偉そうで……いえ、威厳があると言うべきか……。
と、心の中で悶えながらも、花は完璧な所作でルークに挨拶をすると、皆にも会釈をして挨拶をした。
「ハナ様、お呼び立て致しまして申し訳ございません。ハナ様にどうしてもお会いしたいと言う迷惑な御方達がいらっしゃいまして、陛下は仕方なく――」
「どうでもいいから、さっさと呼べ」
楽しそうなディアンの言葉を遮って、ルークがセインへと促した。
セインは苦笑しながら控えの間に続くらしい扉を開くと、そちらにいる人物に声を掛ける。
「皆様方、どうぞお入り下さい」
そうして部屋に入って来たのはリコ、ザック、トールドと花の予想通りの人物だったのだが……。
「義姉上!!」
「ニコス!?」
軽い足音を立ててリコの後ろから駆け寄って来るのは、セルショナードの第三王子――今は王弟であるニコスだった。
「こんにちは! 義姉上」
「……こんにちは、ニコス」
驚いた花はそれでも膝をついて、嬉しそうなニコスに視線を合わせると挨拶を返した。
「ニコスも来ていたんですね? 全く知りませんでした」
「僕、マグノリアに遊学するんです。王宮に滞在させてもらうので、これからよろしくお願いします」
「……そうですか。では、こちらこそよろしくお願いします」
頭を下げるニコスを見て、なんとか微笑みながら花は応えた。
新王であるリコには子がいないので、セルショナードの第一王位継承権はニコスに在る。
その為、ニコスは人質となるのだろう。
だがニコスも自分の立場を理解しているようで、頭を上げると、まるで花を気遣う様に微笑み返した。
「僕、義姉上にまたお会いしたかったから、この国に来る事を望んだんです」
心配をかけないように笑うニコスの王族としての覚悟と意志の強さを見て、花は再び微笑んだ。
「ニコス……私の事は花と呼んで下さいね」
「あ! そうでした!! そうですよね!! では……ハナと」
「ええ」
なぜか妙に力を入れて納得するニコスを不思議に思いながらも花は立ち上がると、リコ達へと向き直った。
「セルショナードでは大変お世話になりましたのに、ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした」
「いや、こちらの方こそお礼を申し上げるべき立場だ。挨拶が遅くなってすまない」
頭を下げる花に苦笑してリコは挨拶を述べると、ルークの指輪が在る花の右手を取ってその甲に口づけた。
途端――ピシリと大使の間が大きく軋む。
挨拶だとわかっていても、その所作が恥ずかしくて頬を染めた花だったが、その音に驚いて辺りを見回した。
しかし、リコは気にした様子もなくクスリと笑って花の手を離し、続いてザックが相変わらず呑気な調子で挨拶をした。
「ハナ様、お久しぶりです。十日ぶりですかね? いや~ハナ様にご挨拶したいって申し上げても、なかなか通してくれなくて~。ちょっと遅くなってしまいましたよ」
「……お久しぶりです。ザックは全くお変わりないようで安心しました」
ニッコリ笑う花に、なぜかザックは胸を張る。
「私、これでも近衛と兼任して宰相補佐官になったんですよ!!」
「え……それは……セルショナードもずいぶん思い切った人事を……」
「ちょっ、ハナ様? どういう意味ですか?」
「あ! すみません! つい本音が!!」
「ハナ様、それはダメ押しにしかなってないですよ」
慌てた花の謝罪を聞いて、ザックは口を尖らせてぼやいた。
そんな二人のやり取りを見て笑いながらリコが説明する。
「陛下の御前に出るにはそれなりの地位が必要なんだが、前回使者として訪問した折の官職が……免職になって以来、誰も引き取り手がなくてな……。結局、メルクが引き取ったんだ。まあ、トールドが同じ宰相補佐官として、任務はしっかりこなしてくれるからそれは安心なんだが」
「……なるほど」
部下の不始末は上官の責任。
何かと問題児であるらしいザックは親の責任と言う事で、父親であるメルクが引き取ったのだろう。
そういえば、メルクは魔力が強い割に老け込んでたなぁ……などと、花はメルクを思い出しながら、トールドと簡単な挨拶を交わした。
「ちょっと、王まで何いってるんですか!?」とのザックの抗議はみな無視している。
そこへ、今まで黙って成り行きを見ていたマグノリア側――ディアンが口を開いた。
「一通りの挨拶も無事に終わった様ですし、もう思い残すこともございませんね? では、協議を再開致しましょう」
その言葉に従って花は退出しようとしたのだが、そこへニコスが慌てて声を上げた。
「ハナ!! 待って下さい!!」
「――ニコス? どうしたんですか?」
踵を返しかけた花はニコスへと視線を合わせる為に再び膝をついた。
その花の両手をニコスはギュッと握りしめる。
「僕、ハナにお願いがあるんです」
「はい、なんですか?」
「僕と結婚して下さい!」
再び大使の間が軋む。
そして、その場の空気が固まった。
が、ザックは「王! 先を越されちゃいましたね!!」などと陽気に笑っている。
「………はい???」
ずいぶん遅い花の反応にも、周囲の反応にも気付いていないのか、ニコスは無邪気に笑う。
「僕、先日八歳になったんです。だからあと十年経ったら成人するので、僕の正妃になって下さい」
――― あ、なんだ、十年後か……って、安心してる場合じゃなくて。えっと……これは、いわゆる幼稚園の先生に憧れるような感じのものなのかな?
そんな事を考えながらも花は上手い言葉が見つからず、曖昧にしか応えられない。
「あの……でも私、ニコスよりかなり年上ですし……」
「おや、陛下は理由にならないようですね」
ディアンが楽しそうに呟く。
「たったの十三歳じゃないですか。ハナは陛下と百二十歳以上も離れているんですよ? 十三歳なんて問題じゃないです」
「え?……ああ!! 本当ですね!!……そうか、そんなに……」
「………」
皆が今更な事実に驚いているらしい花を見て驚く。
「……人質は殺してもよい決まりだったな?」
「いやいや、ないない!! 曲解しすぎだ!!」
今まで黙っていたルークが発した言葉はとても物騒なもので、レナードは慌てるのだが……。
「では、交渉決裂ということで、再び開戦しますか?」
「何言ってんだ!! ディアン、お前も止めろ!!」
煽るディアンに止めるレナードの苦労も空しく、花とニコスには届かないのか二人の危険な? 会話は続く。
「……ダメですか?」
「ダ、ダメって言うか……私は一応陛下の側室ですから……」
「………」
動揺する花の言葉はその場に微妙な沈黙を落とすのだが、やはりザックだけは「あ、一応なんだ」などと呑気に笑っている。
「だけどハナは前に言っていたじゃないですか。兄上のお顔が一番の理想だって」
「ニコス……」
困ったような声はリコのもの。
「僕は兄上によく似ているって言われるから、剣の稽古も魔法もここでいっぱい勉強して強くなって、大きくなったらハナの理想の男になります!!」
「そそそ、それは、その!……や、やっぱり理想と現実は違うっていうか……」
ニコスの暴露話に狼狽してしまった花は自分が何を口走っているのか分かっていない。
「現実とは常に残念なものですよね、陛下」
「………」
「王、よかったですね!! 理想だそうですよ!! 問題は中身ですかね?」
「………」
どうにも収拾のつきそうにないこの場を治めたのは、心なしか引きつった笑みを浮かべたセインだった。
「――さっ、それではニコラウス殿下はご到着なされたばかりでお疲れでしょう。お部屋にご案内致しますのでどうぞこちらへ」
「あ、じゃあ僕ハナと一緒に――」
「ハナ様はこの後にご予定がございましたね?」
無邪気なニコスの言葉を遮ったセインは、まるでディアンのような笑顔を花に向けた。
「えっ……と、ありましたです。はい」
ぎこちない返事をした花は、素直にセインに従うニコスを見てホッと胸を撫で下ろした。
そうして、花も立ち去った後の大使の間には、どうにもならない程の微妙な空気が残ったのだった。




