そして日常は少しずつ変わっていく
翌朝、エリシアは普通に現れた。
本当に、普通にだ。
昨日までの暴走が嘘みたいに、
いつもの貴族服を着て、背筋を伸ばし、
不機嫌そうな顔で空き家の前に立っている。
「……遅い」
第一声がそれだった。
(俺、呼ばれてないよな?)
「おはようございます」
とりあえず挨拶しておく。
「挨拶なんていらないわ。
それより、今日は何をするの」
(え、俺が決めるの?)
「特に決めてません」
即答。
エリシアは、露骨に顔をしかめた。
「は?」
「昨日は、偶然うまく条件が揃っただけなので」
「……つまり?」
「今日は、
何も起きない可能性が高いです」
一拍。
「……信じられない」
「正常な反応だと思います」
エリシアは腕を組み、
しばらく俺を睨んでから、
深くため息をついた。
「……まあいいわ」
(え、いいんだ)
「じゃあ、
何もしないなら何もしないで、
様子を見るわ」
「それが一番です」
「……本当に嫌な言い方ね」
(褒め言葉だと思っておこう)
空き家の中は、相変わらず静かだ。
椅子も机もないので、
二人とも床に座ることになる。
エリシアは最初、
露骨に嫌そうだったが、
三分後には文句を言わなくなった。
(やっぱり、楽なんだよな)
「……ねえ」
少し経ってから、エリシアが言った。
「昨日のあれ」
「どれです?」
「木片が光ったやつ」
「はい」
「……家では、
ああいうこと、させてもらえない」
(来たな)
声は淡々としているが、
言葉の端が、少し硬い。
「立って、
正しい姿勢で、
正しい時間で、
正しい回数」
指で数える。
「全部、決まってる」
「貴族教育ですね」
「そうよ」
エリシアは鼻で笑う。
「“特別扱いは甘え”ですって」
(実家、強そうだな……)
「昨日みたいに、
座るなんて論外」
「でしょうね」
「音がうるさいなんて言ったら、
“慣れなさい”で終わり」
「便利な言葉です」
「……あんたも、
そう思う?」
少しだけ、視線がこちらに来る。
「慣れる前に壊れる人もいます」
即答。
エリシアは、ほんの一瞬だけ、
安心したような顔をした。
すぐに、元に戻ったけど。
「……その言い方、
うちの家で言ったら、
追い出されるわよ」
(追い出されるのは俺じゃなくて、
言った本人だと思うけどな)
「言いません」
「え?」
「実家では」
俺は肩をすくめる。
「ここでしか、言いません」
エリシアは少し驚いた顔をして、
それから、ふっと笑った。
「……卑怯ね」
「褒め言葉として受け取ります」
「そういうとこよ」
二人で、しばらく黙る。
静かだ。
何も起きない。
魔力も、暴れない。
「……ねえ、カイ」
「はい」
「もし」
言葉を探す間。
「もし、
うちの家の人たちが、
ここに来たら」
(あー……)
「……どうするつもり?」
どうするも何も。
「多分、
すごく嫌われますね」
「でしょうね」
即答だった。
「でも」
少しだけ考えてから続ける。
「昨日よりは、
マシな顔で会えると思います」
「……どういう意味?」
「エリシアが、
ちゃんと息をしてるので」
一拍。
「……意味分かんない」
そう言いながら、
声は少し柔らかい。
空き家の窓から、
風が入ってくる。
エリシアは、
無意識に肩をすくめなかった。
(積み上がってきてるな)
実家は、まだ遠い。
でも確実に、
この静かな時間を壊しに来る。
その時までに、
どれだけ“何もしない時間”を
積み上げられるか。
多分、それが勝負になる。
――今はまだ、日常だ。
少し変で、
少し不便で、
でも、妙に居心地のいい。
そんな日常。




