1. 創世
大人になっても書く設定集
太初に、世界は無であった。
然るに、ある瞬間、神が発生した。
その神はこの世そのものであり、その方が自然に在るがゆえに、その原力もまた自ずと動力を有した。
神の誕生に導かれ、自ずとメデム(空間)、アキ(時間)、オセ(精神)、ペデイン(物質)が形成された。
このような存在の発生は神の本意ではなかったため、無分別な雑神の再臨を防ぐべく、世の原力が放恣にならぬよう制約を課した。その規律をアイオニック・メネスと呼ぶのである。
アイオニック・メネスとは、その神の摂理の下にある世界の規範であり、真理であり、神の現身そのものであった。
この創約により、メデム、アキ、オセ、ペデインは自らが規制されることとなり、新約を認めることができず、神に対抗し始めた。これをマグナイと称された。
メデム、アキ、オセ、ペデインは神に抗うため、本来は独立的であったその存在を互いに結びつけ、連結した。これをメディア四徒と称する。
されど、神は世そのものであり、メディア四徒もまた、結局は神が管掌する世界の一部であるため、その御心に逆らうことはできなかった。
結局、メディア四徒は敗北し、神は彼らを世界とアイオニック・メネスの一部として配列し、その役割を規定し、制約した。
そうして初めて、神の誕生と同時に始まった昏乱は安定し、世の万事はその方の御心に従い、調和を成した。
平和がどれほど続いたであろうか、神は自らの意思で一つの被造物をお創りになり、その名をアクリプスと名付けられた。
彼にこの世を管掌せよと命じ、ご自身はその姿を隠されたのである。
アクリプスは独り残り、世界の中央に正方形の円を生み出し、周辺の四徒を連結した。
そうして初めて、我々人間が存在し、実質的に体感できる小世界の形態が、ようやく形成されたのである。
その方が姿を消されると、アクリプスと四徒は自らの被造物を創り、その被造物もまた自らの被造物を創り、その連結線は永劫へと続いて世界を満たしていった。
本来、空虚に近かった世界は、徐々に満たされ、複雑になるにつれて活気が生まれたが、
その多様性は、一方では衝突と混乱を惹起した。
神の後継者であり代理人であるアクリプスは、これを調停しようとしたが、
四徒は、自らの被造物の創造はアイオニック・メネスに反するものではなく、自分たちは原初の神の支配下にはあっても、副神の意に従う必要はないと、アクリプスの調停を拒んだ。
四徒はアクリプスに先行する存在であったため、彼らの反発をどうすることもできなかった。
その時、神が啓示された。「被造物の創造は、世を明かすものであるがゆえに、アイオニック・メネスにおいて許されたものである。
汝らよ、知るべきである。その明かりは無から生じたものではなく、私、すなわち神を材料とすることが、その原由である。
明かりが強ければ強いほど、自らの本を弱めることになる。これを自覚せねばならぬ。」
これにアクリプスと四徒は感化され、相互の合意により新約を定めた。
それをデメディック・メネスと呼び、被造物の創造を制限し、被造物間の上下に境界を設け、その境界の間に障害物を置き、被造物の連鎖線に限界線を定めたことで、
世の明かりは、適切に制御されることとなった。
その被造物は、世の万事を構成しており、
その被造物の連鎖線の極端に位置するのが、我々人間である。
俗に人間が神と称するものの大部分は、この被造物を指すのである。
しかし、本来の神の意味は、ただ最初に誕生した神のみを指すのである。
汝らよ、知るがよい。世の万物の存在は、その方の名残りであり、すべてはその方へと向かうのである。
その方は、遥か彼方に外在すると同時に、我々の内に内在しているのである。
汝らよ、また知るべきである。人間は、それ自体が神の皮相の被造物であるがゆえに、それ自体では完全な存在ではない。
不完全な感覚で世を視、認め、覚り、行うがゆえに、
世、すなわち神を知る過程で、必然的に変質が生じるのである。
それは、どうすることもできぬ自然の摂理であり、我々の存在そのものの限界なのである。
故に、同じ理を見ても、相互の認識に差異が発生する。それはあたかも、個人個人がそれぞれ一つの世界を持つかのようである。
同一の神を視ても差異が生まれ、互いを異端と呼び合うにまで至るのである。
自らの小世界の向こうに、多重世界があることを知るべきである。
また、我が世と彼の世は、結局はその方の世界の中にある同一のものであり、
そのすべての被造物の中に、神は在るのである。




