第5話 保留にされた婚約話
昨日のクローディアの様子はおかしかった。
リオノーラはクローディアの後ろをついて行きながらそう思った。
デイミアンはクローディアについて楽しそうに話してくれた。幼なじみということからして、付き合いも長い。きっと二人は親しい関係のはずだ。だが、クローディアは彼のことをわずらわしい人と言った。
二人の認識にどうしてそこまでの違いがあるのだろうか。
「私たちは寮へ戻ろうと思うのですけれど……リオノーラ、どうかしましたか?」
思わず立ち止まってしまっていると、クローディアが振り向いてこちらを見た。彼女は不思議そうにリオノーラを顔を覗き込んでいる。
「いえ、少し考え事をしていまして……」
まだ自分の知らないクローディアがいる。デイミアンは彼女の弱さを知ってほしいと言っていた。きっと、自分はまだ彼女のことを理解しきれていないのだろう。
(もっと、クローディア様のことを調べる必要がありますわね……)
リオノーラは顔を上げると、背筋を伸ばして笑みを浮かべる。
「クローディア様。私、少し用事がありまして……。今日はここで失礼してもよろしいですか?」
「あら、そうなんですか? わかりました。ごきげんよう、リオノーラ」
クローディアは気にした様子もなくそう言った。だが、彼女の隣に控えていたシャノンはじっとこちらを睨むように見ている。
「リオノーラ。変なことしてないよねぇ?」
「も、もちろんですわ!」
笑顔が引きつらないように、何とか表情を作る。シャノンはじとっとした目でこちらを見ていた。
「シャノン、行きますよ」
だが、クローディアに声をかけられ、彼女のあとをついて行くように歩き出した。
リオノーラはほっと息を吐くと、目的の場所へと歩きはじめた。
着いたのは昨日も訪れた教室だ。その中を覗いて、目的の人を探す。
「今日はデイミアン殿下はいないぞ」
後ろから声をかけられて見る。そこにはデイミアンの騎士、エルウッドがいた。彼は少し呆れた様子でこちらを見ている。
「昨日はたまたまデイミアン殿下に声をかけられたのかもしれないけど、あの人はお忙しい人で……」
「あ、いましたわ」
「いたって、何が?」
「あなたですわ。あなたを探しに来ましたの」
「俺に?」
「ええ。お話が聞きたくて。今、時間あるかしら?」
「…………」
エルウッドは何か考える素振りを見せたが、にこりと笑った。
「いいよ、昨日の裏庭に行こうか」
裏庭に来ると、昨日と同じようにベンチに座った。今回はエルウッドも隣に座る。彼は相変わらず笑みを浮かべながら、警戒したような目でこちらを見ている。
「それで、何の用かな?」
「デイミアン殿下とクローディア様のことを聞きたいのです」
「お二人のことを? どうして?」
「昨日のお二人の様子が……なんだかおかしかったので」
「……どんなふうに?」
会話からすると、クローディアがデイミアンのことを嫌っているかのように聞こえた。だが、遠くにいるのに、二人ともお互いのことを見ていた。まるで、互いのことを気にしているかのように。
「クローディア様はデイミアン殿下のことを悪くおっしゃっていましたわ。けれど、デイミアン殿下はクローディア様のことを大切な妹のようにお話されていました……。それがどうも違和感を覚えたのです。本当はお二人は仲が良かったけれど、何かあって今の関係になったのではないかと思いまして……」
「ふーん……そう」
エルウッドはじっとこちらを見ると、腕を組んだ。
「デイミアン殿下が言っていたように、お二人は幼なじみの関係だ。ずっと一緒にいたと言ってもいいくらい仲が良かった」
「では、どうして今はあのような関係ですの?」
「二人の婚約の話が保留になったからだ」
「……婚約の話?」
リオノーラは首をかしげる。
「誰と誰の?」
「デイミアン殿下とクローディアに決まっているだろう?」
「……えええええっ!」
驚きのあまり、思わず立ち上がってしまう。
「騒がないで。静かに座って」
エルウッドに言われ、素直に座る。
「お二人は婚約者だったのですか?」
「婚約者になる予定だったんだ。だけど、十二歳のころかな。やむを得ない事情で保留になった。それからだよ、二人の関係がギスギスしはじめたのは」
二人が婚約する話があったことは驚いた。だが、考えてみれば普通なのかもしれない。クローディアは公爵家の令嬢。身分も申し分ない。それに、幼いころから顔を合わせていたということなら、最初からそういう話が出ていたのだろう。
「どうして、二人の婚約は保留になりましたの?」
「それは俺の口からは言えない。けど、デイミアン殿下の本意ではなかった。だから、殿下はずっとクローディアのことを気にされているんだ」
どんな理由があったかはわからない。だが、婚約者になる予定だった女性をずっと気にしている。デイミアンは優しい方だと思った。
「そう聞くと、まるでデイミアン殿下がクローディア様に恋されているように聞こえますわね」
「その通りだよ」
「え?」
「デイミアン殿下はクローディアのことを想っている。だから、ずっと気にされているんだ」
思考が停止した。あまりの情報に頭がすぐに理解してくれない。
「だからこれは、二人の問題だ。君はこれ以上、何かしない方がいいよ」
エルウッドはじっとこちらを見た。その表情はどこか同情的だった。
「どうして、それを私に教えてくれたのかしら?」
「君はクローディアの近くにいるからね。知っておいた方がいいと思ったんだよ」
彼はそう言って立ち上がる。
「じゃあ、俺はもう行くよ」
それだけ言うと、そのままその場から立ち去ってしまった。だが、リオノーラはすぐに動くことができなかった。
夜、回らない頭のまま外を歩いた。星空が見たくなったからだ。
空を見ながら、大きく息を吸う。冷たい空気が体に染みていった。
昼間の話は衝撃的だった。このことをどれくらいの人が知っているのだろうか。クローディアは知っているのだろうか。
デイミアンはいろんな令嬢に優しくしている。誰か一人を想っているようには見えなかった。もしかしたら、これを知らされたのは自分だけかもしれない。
考え事をしながら歩いていると、前にクローディアと遭遇したところまで来てしまった。
今日もクローディアは来ているだろうかと思い、こっそり様子を窺う。見れば、前と同じようにクローディアがそこにいた。
彼女は何かを月に照らしている。それはきらりと輝くものだった。
「デイミアン様……」
彼女はぼそりとそう呟いた。
(どうして、デイミアン殿下のお名前を……?)
そう思いながらじっと目を凝らしてみると、小瓶であることがわかった。そして、その中に入っているものを見て、思わず声を漏らす。
「……シュガー」
その声が聞こえたのか、クローディアがこちらを見た。彼女は顔を真っ赤に染めて、小瓶を背中に隠す。
「リオノーラ、あなたまた外に……。もしかして、見ましたか?」
「はい。シュガーですわね。……クローディア様は何を願われていたのですか?」
シュガーはおまじないに使うものだ。月の光を浴びさせることで、妖精が願い事を叶えてくれる確率が上がるといわれている。……彼女はそれを行なっていた。
クローディアは恥ずかしそうに目を背ける。
「えっと、私は……」
「デイミアン殿下の名前を呟かれてました。……王子に関係することですか?」
クローディアの目元に涙があふれる。その姿が美しかった。
空には星が瞬いている。風が吹けば、木の葉が音を立てた。クローディアは風に揺れる長い髪を耳にかけて、こちらを見る。
「……驚かないで聞いてくれますか?」
クローディアは顔を赤くしながら、涙をぬぐう。
「……私は、デイミアン様に恋をしているの」