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3-1

小説の更新情報は下記の傘花SNSよりご確認いただけます(-_-)


Instagram:@kasahana_tosho


 3


 ※ ※ ※


 その親子は、いつも自販機のアイスを食べていた。


 ショッピングモールの一画。時刻は大体16時頃。


 店内に入って一番初めに目に飛び込んでくるのはカプセルトイの列であるはずなのに、子どもはそんなものには目もくれず、アイスの自販機に一目散。


 自販機近くのベンチに座って、母親と息子、2人で分け合いっこしながら食べている。


 私はそんな親子を、大量のショッピングカートを押しながら毎日目にしていた。


 私の仕事はこの店内に散らばったショッピングカートを回収することだ。


 規模の大きい店では、あちらこちらにショッピングカートを取り出し返却する場所がある。その置き場を均等に、そして過不足なく整理するのが私の仕事だ。


 ただのショッピングカートだけであればそこまで苦労はしないのだが、ここではチャイルドシートを備えたものを3種類、カート上で精算ができてしまう機器を搭載したものも取り揃えていて、ショッピングカートだけでも5種類も運用している。だから、私達のようなカート回収係がいなければ、到底この店内のショッピングカートを客の不自由なく回す事はできないだろう。


 私はこの仕事を始めて2年になる。長年勤めていたバス会社を定年退職し、この仕事に就いた。


 40年近くも働いて、最初は仕事なんてもう一切しないつもりでいた。けれど家でたった1人過ごす寂しさは、仕事が忙しく充分に休息が取れないことより私には耐えられなかった。


 仕事に打ち込み過ぎて、すっかり家族というものをおざなりにして生きていた。出世してこそ、金を稼いでこそ男の生き様という時代を私は生き抜いてきて、家族のことなど全て妻に任せきりだった。そうして気付けば、妻も子ども私の周りからいなくなっていた。


 定年退職後も同じバス会社で働き続ける選択肢もあった。だが、一度綺麗すっきり辞めてしまった手前、またお世話になるのも何やら気が引けてしまって、それならとたまたまアルバイトを募集していたこのカート回収の仕事に就いたというわけだ。


 この2年間、私はひたすらショッピングカートを動かしてきた。勿論、その他の雑務もあるのだが、多くの時間をショッピングカートを押すことで過ごしているように思う。たまに同僚と酒を飲みに行って、けれど特に大きな面白みがあるわけでもなく、ただ平凡に同じ毎日を過ごす。


 そんなある日、その親子を見かけたのだ。


 幼稚園の帰りだろうか。制服を着た4、5歳くらいの男の子が、自販機の届かないボタンに必死に手を伸ばしている。母親が「どれなの?これ?」と言ってボタンを押してしまうと、「ハルが押したかったのっ」と子どもが駄々をこね始める。


 母親の大きな溜息がここまで聞こえてくるようだった。彼女の背中からは疲れ切った雰囲気が隠さず漏れている。


 彼女は怒るのだろうか。わがまま言わないで、と、そんな言葉が聞こえてくるような気がした。


 けれど、その母親は違った。疲れ切った背筋を整えて、子どもを抱きかかえる。「じゃあ、ママの押してくれる?」と若干棒読みではありながら、そんな優しい言葉を子どもに投げかけている。


 機嫌を直した子どもと2人でアイスを食べる。食べ終わったら、すぐに店から出ていく。


 私はその親子を毎日見かけた。平日の大体15時。やがてその時刻は、短くとも私にとって価値のあるものになっていた。


 季節が巡っていく。過ごしやすかった気候は徐々に暑さを増していき、子どもの服装はいつの間にか可愛らしい白色と水色の制服に変わっていた。母親の服装もそれに合わせてかゆったりとした涼し気なワンピースに変わって、そんな彼等の姿から、私は夏の到来を感じていた。


 親子は今日もショッピングモールに訪れる。子どもがアイスに飽きてきてしまったのか、以前と比べると来る回数はぐっと減ったけれど、それでも1週間に一度、親子は必ず自販機の前に現れた。


 あれ?そう言えば最近見ていないな、と思ったのは、夏の暑さも随分と和らいで来た時だ。


 2週間、いや、3週間近く、あの親子を見ていない。


 一体どうしたのだろう。あんなに足繁く自販機に通っていたのに、子どもはすっかりアイスに飽きてしまったのだろうか。


 それとも、何かあの親子にあったのか。


 ぞくりとした。微笑ましいあの親子に万が一のことが起きていたらと想像したら、これまでの人生で一度も味わったことがないような息苦しさに襲われた。


 けれど、私にはあの親子に何があったのか、それを知る権利も方法もなかった。あの親子はただの客で、私もただのショッピングカート回収係なのだから。


 それ以上の関係など、夢にも思っていなかったのだから。


 そのまま時は過ぎていく。親子が訪れなくなってから、2ヶ月近く経っただろうか。


 ある日、店内であの子どもを見かけた。時刻は大体19時頃。例のアイスの自販機の前でだ。


 子どもの隣にいたのは母親ではなかった。背の高い見知らぬ男性が、疲れ切った顔で子どもの背中に向かって「走んな!」と怒鳴っている。


 昔は多くの女性から言い寄られていた私から見ても、その男は色男に見えた。そして、子どもと顔がよく似ている。


 父親だろうか。思えば、ずっと母子を見ていたのに父親を見たのは初めてだった。


 子どもがアイスの自販機の前で止まる。食べたいアイスのボタンが押せなくて、父親に抱っこをせがんでいる。父親は心底面倒臭そうに「どれ?これ?」と子どもに聞いて、さっさと自分でボタンを押してしまう。


 駄々をこねるのかと思った子どもは、父親が相手であったせいか、小さく「ハルが押したかったのに…」と呟いただけだった。けれどすぐに、自販機の横にある椅子でアイスを食べたいと言い始める。父親は「車に戻ってから」と返事をするけれど、当然子どもが頷くはずもなく、椅子で食べたいと泣き始める。


 子どもが納得しないのは当然のように思えた。自販機近くのベンチで食べるアイスは母子にとって大切なもので、子どもはその時間をきっととても楽しみに思っているはずなのだ。


 ちらりとたった1回来ただけの父親が、その価値を理解できるはずもない。


 他人事なのにその価値を理解できていない父親に憤慨している自分に驚く。しかもたかが、子どもがベンチでアイスを食べたいと駄々を捏ねただけだというのに。


 母親はどうしてしまったのだろう。2ヶ月前までは特に何事もなく元気そうにしていたのに。

次回投稿は6/21(土)

を予定しております。

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