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「何なんだ、あいつ」
そう言って、審馬は腕を組んで溜息をつく。そのままちらりと、久々に会った娘を見る。
前に会ったのは5年前。杏はまだ高校生だった。
5年経ったということは、成人式も、もう彼女にとって過去の話なのだろう。
そう言えば以前に、杏が大学に受かったのだと綾香から聞いていた気がする。
娘に興味がなかったというよりは、徹夜続きで頭が働いていない時に電話で聞いた話だったから、頭に留まる前に審馬の中から薄れてしまっていた。
高校生の時より、更に大人びたような気がする。髪が伸びて、明るい茶色に染めたからだろうか。流行よりは自分に合ったメイクや髪型、洋服で自分を着飾るようになったからかもしれない。
何であれ、腎移植という大きな壁を越えた娘が、今元気な姿でそこにいる。
「お前、高橋に何したんだよ」
「別に何もしてないよ。ただ、警察官ってお父さんみたいな人ばっかりだと思ってたから。なんかこう、顔怖い、威圧感、ザ、デカ、みたいな。だからあぁいう緩そうな人がいてびっくりして、逆ナンしてみた」
「署で逆ナンすんなよ」
「だって昔からお父さんの格言だったじゃん。ナンパは直感でしろ、って」
「そんな事言ったか?」
「言ってた言ってた。あたしがクラス替えとかさ、入学とかで友達できるかなってそわそわしてる時に、いっつも、『考える前にナンパしろナンパ』、『直感で気になった奴がいたら、お姉さん、その服滅茶苦茶似合ってるね、って声かけるんだよ』って。その度にお母さんがすんごい顔でお父さんのこと見てたの、気付いてなかったでしょ」
言ったような気もするが、覚えていない。当然、綾香が「すんごい顔で見ていた」ことも気付いてはいなかった。
杏の方に振り向く。「何?」と言いたげな顔でこちらを見上げる娘の姿を見ていると、5年分の後悔と思いが込み上げてくるようだった。
「綾香にくっついてきたのか」
「うん。だってなんか昨日のお母さん、なんかそわそわしてて変だったもん。まぁあと、別用もあったし」
「連続殺人鬼に会いに行くって?」
「まさかお母さんがそんな事言うわけないでしょ。普通にお父さんのところに行ってくるって。本当はテレビで報道されてた連続殺人鬼に会おうとしてたなんて、今のさっき知った話だよ」
先程綾香と会った時には気付かなかったが、あの場のすぐ近くに杏もいたのだろう。
菜穂子の方に走っていく母親の姿に、肝を冷やしたに違いない。
「…まぁでも、お父さんが心配だったのも本当だと思うよ」
杏が顔を上げて署の2階の方を見つめる。
そこは高橋が言っていた会議室がある方向で、おそらく今、綾香と類がいる場所。
「お父さんは基本的にダメダメだけど、刑事としては凄い努力家で才能がある人だって。だからいつか本当に、犯人に飲み込まれてしまうかもしれないって、離婚してからもお母さん、ずっと気にしてたから」
顔周りの髪を耳に掛けながら、杏はそう言う。
5年前に別れたその後、綾香は審馬のことなど気にも留めていないのだと思っていた。時折報告のために連絡を寄越すが、それも殆ど事務的な対応だったからだ。
それくらい、審馬と綾香には修復できない大きな溝があるのだと、ずっと考え続けてきた。
けれどそれは、審馬が自分に掛けていた重すぎる足枷だったのだろうか。
だって、そうでもなければ、別れた時には既に高校生だった杏はともかく、初めて会った息子が、審馬のことを父親だと認識できるだろうか。
母親が息子と写真を見ながら、これがパパなのだと語ることがなければ、5年も経った今、親子という関係が築けるだろうか。
綾香のことを考えて、ぐっと胸が苦しくなる。
溝はある。修復もできないかもしれない。
けれどこれは、どちらかと言えばこれからの審馬に与えられた最後の好機のように思えてしまう。
良いように考えすぎだろうか。たかだか電話越しに愛していると言ったところで、長年綾香の中で大きくなっていった蟠りはなくなりやしないだろう。
それでも、一歩前に進もうとして、良いのだろうか。
じっと、長年まともに向き合おうとしてこなかった娘の横顔を見つめる。
ーー前に進むためには、まず、目を逸らしてしまった娘と向き合わなければ。
「…杏。綾香から、どれくらい聞いているかは知らんが、5年前のこと」
「うん?」
杏が再び審馬の顔を見る。
瞬時に何の話か理解しておきながら素知らぬフリをするのは、彼女なりの優しさだろうか。
「…すまなかった」
あと、と審馬は言葉を続ける。
「ありがとう。立派に育ってくれて」
杏が照れくさそうに鼻を鳴らす。こめかみを掻いて視線を逸らした彼女は、裏口の扉に手を掛ける。
「ま、何でもいいけどさ。あたし、春から一人暮らしするから。今日は部屋の内見もあって、お母さんに着いてきたんだ」
「え、そうなのか」
「大学のキャンパスが変わるからさ。家からだと遠くて遠くて。何とかお母さんを説得して一人暮らしにこぎつけました」
「そう、なのか」
ドアノブを握ったまま、杏がゆっくり振り返る。意地の悪そうな笑みを浮かべて、彼女は口を開く。
「だから、悪いと思ってんなら、ちゃんとお母さんと面と向かってお話ししてくださーい」
言い逃げをするように、杏は署の中へと入っていく。その背中を審馬は慌てて追いかける。
「話して何とかなると思うか?綾香だぞ?一度決めたらまぁ折れねーじゃねーか」
「そうだねぇ。折れないねぇ。まぁでもあれは多分、前言撤回するのが苦手なだけだと思うけどね。だから、良くも悪くも強引に意見ねじ曲げて押し通してくるパパと合ってたんだよ」
「俺だって何の空気も読まずに意見してるわけじゃねーよ」
「まぁあとはあれじゃない?女好きなの直したら良いんじゃない?」
「無理だ」
「…きんも」
杏の軽口に、審馬は小さく息を吐く。無意識に口の端が上がっていた。
娘と並んで歩くのは、いつぶりだろうか。
同じ建物の中にいて、同じ方向へ歩んでいるのに、どこかぎこちない距離感がある。
それでも、親子として完全に失ってしまったわけではないのだろう。
ここからまた、新しい関係が始まっていく期待を、審馬は今度こそ手放さずにいられた。
ーー署の中は、いつもと同じ日常が流れている。
電話が鳴り、誰かが笑い、誰かが苛立ち、書類が積み上がる。
やがて、裁矢菜穂子という殺人鬼の名前は、誰の口からも聞かなくなっていった。
事件は過去になり、正義は記録になり、人は次の仕事へと押し流されていく。
それでも時間は止まらない。
夜は来て、朝が来て、また次の一日が始まる。
こうして、激動の四日間は過ぎ去っていった。
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次回、最終話ですಠ﹏ಠ
次回投稿は1/14(水)
を予定しております。




