表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/58

13-11

小説の更新情報は下記の傘花SNSよりご確認いただけますm(_ _)m


Instagram:@kasahana_tosho

 視線を上げる。入口の扉の前に立ったまま微動だにしない菜穂子と目が合って、そのまま暫く見つめ合う。


 菜穂子は哀しみと苦しみと後悔と絶望が入り混じったような表情をしていた。彼女のその一言では言い表せないような感情が、吐息となって体の外に吐き出されていく様を、審馬はただじっと見つめる。


 ーーやがて、遠くの方から救急車のサイレンの音が聞こえてきた。徐々に音はこちらの方へと近付いてきて、そして止まる。


 すぐに救急隊員が四方とともに倉庫の方へとやってきた。菜穂子は何を話すこともなく、静かに入り口を彼らに譲る。


 娘が担架で運ばれていく様子を菜穂子はただ見ていた。その視線が、ちらりと花楓が抱えていた絵を捉える。


 毛布の下に隠れて先程は気付かなかったが、花楓は額縁のない1枚の絵画をずっと抱えていたのだ。救急隊員に取り上げられそうになっても、無意識的にか自分の胸元へとぐっと引き寄せている。


 花楓の眉が微かに動く。閉じた瞼がピクリと反応して、ゆっくりと大きな瞳が開かれる。


「ママ…?」


 多くの大人がいる中で、最初に少女の目に止まったのは母親だった。


 花楓の声に、東が菜穂子の手錠を隠すように彼女の前に出る。菜穂子も娘のところに駆け寄るような素振りは見せなかった。すぐに花楓から目を逸らして、菜穂子はパトカーの方へと歩き出す。


「ママ…っ、待って」


 花楓が担架から起き上がろうとする。救急隊員がそれを制するように声を掛けるが、彼女の体は衰弱し切っていて、体を起こす力も残っていなかったのだろう。花楓は絵画を抱えたまま、力が抜けたように再び担架に体を預ける。


 何も言えずに、審馬はただ担架の後ろについていく。


 花楓にとっては、これが母親と直接話せる最後の瞬間で、もう二度と家族として同じ時を過ごすことはできないなどと、そんなことは知る由もない。


 そんな目の前の現実が、審馬の心を深く抉っていくような気分だ。


 救急車の前に辿り着いて、花楓は当然母親が共に車に乗ってくれると思っただろう。けれど母親は何も言わずにパトカーへ乗り込もうとして、彼女は焦ったように再び口を開く。


「ママ、待って…行かないで。一緒に来て」


 そう言って、花楓はずっと胸に抱えて離さなかった絵画を菜穂子の方へと差し出す。


「これ…ママが探しておいてねって言ってた、おじいちゃんの絵…あったよ。私、ちゃんと見つけたよ」


 花楓の言葉に菜穂子は眉をひそめて、そして揺れる瞳を固く閉じる。


 その言葉一つで、菜穂子の事件当時の様子を嫌でも脳が想像する。


 無造作にキャリーケースを倉庫に捨て去る。鍵をかけて、娘が静かに死んでいくのをただ待つ。


 そんな非情な殺人鬼は、そこにはいない。

 

 母親として、娘に声を掛けている。キャリーケースの中、苦しくなかった?大丈夫?そんな優しい言葉は審馬の想像でしかないが、きっと条件反射的に口にせずにはいられない。


 ママは行かないといけないところがあるから、おじいちゃんの絵を探しておいて欲しいの。この間お話しした、おじいちゃんが昔住んでいたところの絵。凄く綺麗で、でも少し寂しくて、一度見たら忘れられない絵。おじいちゃんはどこかに無くしちゃったって言ってたけど、きっとここにあるはずだから。ママの代わりに、お願いーーー。


「ママっ…行かないで…置いて行かないで…」


 手を伸ばそうとして担架から落ちそうになる花楓の体を、審馬は救急隊員とともに支える。


 何か言わなければ。今、伝えなければ。そう強く心が揺さぶられて、審馬は菜穂子の方に振り返る。


「良いのですか」


 言ったのは審馬ではなかった。じっと菜穂子の方に目を凝らすと、東がパトカーの中に逃げようとする彼女の腕を強く掴んでいた。


「あの子に声をかけてあげなくて、良いのですか」


 菜穂子が動きを止めて、ゆっくりと東の方を見る。何度か瞬きをして、目の前の現実から逃れるように目を逸らした菜穂子は、けれど唾を一つ飲み込んでから花楓の方に振り返る。


「…私は、あの子を愛せなかった。愛して、あげられなかった」


 そう言って、菜穂子は再びパトカーに乗り込もうとする。


 愛してあげられなかった。その言葉は、花楓の出自が物語っている。菜穂子はきっと、花楓の生そのものを受け入れられなかったのだろう。


 けれどだからと言って、それが本当に全てだったのだろうか。何の感情を抱かずに、10年という長い時をともに過ごしたと言うのだろうか。


 だとしたら、花楓はあんなにも溢れる思いで、「ママ」と母親に言葉を投げかけることができただろうか。


「…それでも、あの子のために、あの子の未来のために、考えて、悩んで、我慢して、投げ出したくなってもぐっと堪えるような日々が、あったのではないのですか」


 東はもう菜穂子の腕を掴んではいなかった。ただ、真剣な眼差しで菜穂子の背中を見つめている。それでも菜穂子がその場から一歩も動けなくなってしまったのは、東の言葉が彼女の心を突き刺したからだろうか。


 今回の事件を通して、東もきっと自分なりに多くのことを考えたのであろう。それを頭の中で整理しながら、彼女は言葉を紡いでいく。

次回投稿は1/3(土)

を予定しております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ