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自らが蒔いた種によって、子どもの命の灯火が消えていく。違うのだと、そんなつもりはなかったのだと、叫んだところでもう二度とその目が開くことはない。
そうして菜穂子の認知は歪んでいったのだろう。これは必要なことだったのだと、為さねばならない正義だったのだと、自己防衛本能的に脳が錯覚していく。
そしてそんな歪んだ正義をあっけなく明津優芽に打ち砕かれてしまったのだ。
自分のしたことは最初から最後まで全て間違っていたのだと、それを認めて潔く自首をするには、菜穂子の目の前にあった現実はあまりに残酷だった。
菜穂子はもう、自らの足でその歪んだ正義から這い戻ってくることなどできなかったのだろう。間違った道だと気付きながら目を背けて進むしか、自分を保つ方法がわからなくなっていった。
菜穂子の薄い唇が震える。両目に涙を溜めて小刻みに首を横に振る彼女を、審馬は眉を顰めて見つめる。
見つけた。ようやく、本当の菜穂子がそこにいるような確かな感覚を抱く。
「…裁矢。息子を殺さなかったのは、あんたの中にあった、当たり前の人としての理性だったんじゃないのか」
戻ることのできない正義の裁判の中で、菜穂子は賢一郎を殺し、加津子を殺した。これは正しいことなのだと、成し遂げなければならない正義なのだと、最後に花楓に手を掛けようとしたのだろう。
その時、彼女は何を思ったのだろうか。頭を過ったのは最初に死んだ息子のことだろうか。
衝動的な強い憎悪はあった。けれど殺したかったわけじゃなかった。
その矛盾の中で壊れていった心の隙間から、花楓を見ていたのだろうか。
殺すのか?子どもを。殺せるのか?、と。
「それは、母親としての限界の先にあった、利己的だとか利他的だとか、そんな風に言葉にできるようなものじゃない、愛情だったんじゃないのか」
愛などというのは、あまりに陳腐な表現だ。菜穂子の内にある感情は、そんな単純なものではきっとない。
けれど他に正解の言葉があるだろうか。
愛は、美しい概念でも、救済のラベルでも、ロマンでもない。
利己でも利他でもない。言葉にできない何かを指すための、審馬の理屈では説明不能な残余が、愛なのだ。
口付けを交わしそうな距離感で、2人は見つめ合う。眉を顰め苦しそうな表情を浮かべる自分の姿が、菜穂子の瞳に映っている。
「あんたは、子どもを簡単に殺せるような、残忍な母親じゃなかったんだよ」
菜穂子の睫毛が震えると、それは頬を流れる一筋の涙へと変わる。
子どもを殺せるよう母親ではなかった。だからこそ、花楓は必ず見つけなければ。
残忍な殺人鬼だったとしても、残忍な母親には成り下らせないために。
「花楓の居場所を、教えてくれ。…これ以上、間違いを繰り返さないでくれ」
吐息とともに出たのは、祈りのような願い。
今更子どもを殺すつもりなどなかったなどと証言したところで、きっと菜穂子の罪状は変わらない。状況証拠は彼女の強い殺意を物語っている。
情状酌量の余地があるはずもなく、彼女には死刑が宣告される。
菜穂子自身もその現実をわかっている。だからこそきっと彼女は今までと同じように、これからも自らを庇うような発言をすることはないのだろう。
それでも、これ以上菜穂子に誰かを殺して欲しくなかった。残忍な母親だったのだと自らを責めて殺人鬼へと堕ちた彼女を、母親として救い上げたかった。
鎖が擦れ合う音がする。菜穂子の手錠の音だ。力が抜けたように両手を下ろした彼女は、ぼんやりと自らの拘束する手錠を見つめて、やがて項垂れる。
長い沈黙の時が流れる。
もうできることは全てやり切った。これで菜穂子が語らなければ、最早審馬にできることはない。
花楓の話を四方に報告すれば捜査員を総動員し捜し出すことはできる。だが、事態は深刻だった。菜穂子が花楓を殺すつもりで放置してきたのだとすれば、そこは衣食住が整った環境ではきっとない。
この真冬の気候化で10歳の子どもが飲まず食わずでいて、保って何日だろうか。
既に4日経過している。菜穂子の言う通り、生存している可能性は絶望的だ。
それでも僅かな可能性に縋りたくなるのは、菜穂子が壊れた理性の中で最後の頼みの綱として伸ばしたはずの手を突き放したくないからだ。
動機の墓守と揶揄されようとも、その道を突き進むことが信念なのだと考えてきた自分自身を信じているからだ。
こんな祈るような気持ちでいることは、いつぶりだろうか。どれほど待っても、菜穂子が答えを口にすることはない。
これが限界か。助けられたはずの命を助けられず、結局菜穂子の心も救えない。これが動機の墓守の限界で、越えることのできない大きな壁と挫折感なのだと諦めかけたーーーその時。
「…渋谷区南平台町115」
次回投稿は12/27(土)
を予定しております。




