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「…晴翔を殺したのは間違いだったんだと、あんたは気付いたはずだ。だから、明津優芽から真実を聞いた時、あんたは何も言わずに立ち去るしかなかった」
「真実?」
「晴翔は白岡蓮司を自殺に追い込んだ張本人じゃなかった。白岡蓮司の母親に問い詰められて、自分を強く否定されて、衝動的に殺してしまったことが間違いだったと、あんたはあの日に思い知ったはず」
そうだ。晴翔だ。それが全ての始まりだったはず。
衝動的な殺人。それがきっかけで菜穂子の認知が歪み、自分自身すら騙して戻れなくなって、連続殺人に至った。これが、この事件の真実のはず。
「間違いだと気付いてももう戻れなかったのは、晴翔を殺してしまったという事実から逃れることができなかったからだ。自分の間違いを正当化し、家庭内裁判という狂気的な正義に堕ちるしか、自我を保てなかったからだ。違うか?」
菜穂子の表情は何も変わらない。ただ少し眉を顰めて、審馬を見ている。
それでも、以前のように裁判を盾に否定してくることもなかった。それは、彼女が自分の犯した罪を認めることができた故なのだと思う。
それでも頑なに真実を語らないのは、「正義の裁判」こそが菜穂子が最後に築き上げた自我だからなのだろう。
もう、裁判を完遂すること自体が彼女の目的ではなくなっているのだ。
菜穂子の中に残っているのは、母として、人間として、壊れていくことを認めたくないという感情。彼女はそんな紙一重の均衡を保とうとしている。
止めて欲しいけれど、止めて欲しくないのだ。言いたいけれど、言えないのだ。
口にしてしまった瞬間に、裁矢菜穂子という壊れるまで這いつくばって生きた人間が崩れて無くなってしまうような恐怖が、彼女の中に残った唯一の自我なのだ。
審馬の腕を掴む彼女の手は僅かに震えていた。その手にもう片方の手を重ねて、審馬は揺れる菜穂子の大きな瞳をじっと見つめる。
ーーーでも…でもね。
再び、脳裏で綾香の言葉が反芻される。今までと同じように、いや、それ以上にそれは重要な言葉であるような気がして、審馬は菜穂子を見つめながら、綾香の言葉に耳を傾ける。
ーーー多分私は、杏や類を失う怖さに現実味があるから、自分で終わりにしようって思っちゃう前にストッパーがかかるんだと思うんだよね。
審馬の脳裏を駆け巡るのは、理解し合えなかった過去の綾香ではない。辛くて、苦しくて、紙一重の均衡を何とか保とうと必死になって、そうやって這いつくばって生きてきた今の彼女だ。
どんな感情も完全になかったことにはならない。誰かに無くしてもらうこともできない。けれど、自分自身で抱えて、整理して、納得して、深く厚みのある人として成長していくことはできる。そうして誰かのために優しく生きることはできる。
だから綾香は、前が見えない絶望の中から這い上がった今、過去の自分に微笑みかけることができるのだ。
ーーーあぁ、やっぱり私は杏を失いたくないんだって、絶対にこの手を離したくないんだって。イライラしちゃうこともあるしさ、しょっちゅうわーってなっちゃうけど、それでもどうしようもないくらい愛してるんだって、失う恐怖を味わって初めて、気付いた。気付いたというか、向き合えた、かな。
「…晴翔を、殺してないのか」
それは殆ど無意識的に言っていた言葉だった。だから、口にした後でようやくその意味を噛み砕く。
菜穂子は晴翔を殺していない。殺そうとしたけれど、やめた。
思い返せば、菜穂子の語る晴翔殺害の証言は他2人に比べて曖昧な点が目立った。それでも気に留まることなく審馬の中から流れ落ちてしまったのは、菜穂子の取り繕う言い分があまりに自然だったからだ。
菜穂子が目を見開いて審馬を見る。下唇を噛んで、小さく首を振って、彼女は狭い車の中で後ずさる。
重なった手を振り解こうとするのを無理矢理制止して、審馬は菜穂子の方へと詰め寄る。
「晴翔を、殺していないんだな」
窓を背に逃げ場を無くしてしまった菜穂子の顔の横に手をついて、審馬は言う。
菜穂子の証言を考えれば、加津子の薬を悪用し、晴翔に飲ませようと準備したところまではきっと本当だったはず。
けれど、やめた。直前で我に返り冷静になったのか、馬鹿馬鹿しくなかったのか。何にせよ、もうその時点で衝動的な殺意は消え失せていた。
それでも、事件は起きた。晴翔は母親が風邪薬だと偽って置いておいた薬を、疑いもせずに飲んでしまった。そして同級生の死という辛い現状から目を背けるように、酒を煽り眠りについた。
それが、自分を殺す決定打だったとも気付かずにーーー。
ーーーこれは審馬の想像に過ぎない。菜穂子自身も殺意を否定することは、きっとない。
最初は偶発的に起きた事件だったとしても、その後彼女が自己の崩壊とともに夫と姑を殺したのは紛れもない事実なのだ。
それでも、この真実には大きな意味がある。
白岡蓮司の母親に自分を否定されて、これまでの完璧に普通で、まともな親であろうとした努力全てがなかったかのような絶望に陥って、それなら終わらせてしまおうとぷつりと糸が切れるーーーそこまで追い詰められていながら、それでも自分の子どもを殺せなかったのだ。
殺さなかった、殺せなかったのに。
次回投稿は12/24(水)
を予定しております。




