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ーーー私っていう1人の人間としてじゃなくて、親として勝手に評価されて、勝手にレッテルを貼られて、それでもぐっと我慢して、それが杏のためだからって、それが親になるってことだからって、親の務めだからって、悔しくても泣きたくても、…頑張って、頑張ってるのに…駄目な親って言われるこの気持ちがっ!…貴方にわかるわけがないよね。
誰から見ても、理想な妻、理想な嫁、理想な母。
菜穂子は日常に溶け込んだ「普通」で「理想的」な人間であり続けようとしたのだろうか。
それが、母親という立場によって崩れていく。母親という立場だから、崩されていく。
ーーー杏のためならどんなに傷ついても良い、辛いことは何でも乗り越えられるって思えるほど、私は強い母親にはなれない。
息子の過ちを裁いた。だからこれは正当な裁き。
その菜穂子の当初の言葉こそが、事件の真の動機?
人は本当に「裁き」などという大義で他者を殺せるのか?ましてや自分の子どもを、家族を。
裁きという言葉で正当化したその裏にある泥臭い人間味こそが、この事件の真実だ。
自分という理想的だったはずの人間像が子どもの存在によって崩壊していく中で、菜穂子は一体何を思い、何を考えたのだろうか。
そこにあったのは、絶望と自我の崩壊だろうか。
全て審馬の妄想でしかない。菜穂子と綾香は違う。同じ母親という立場であっても同じ母親ではない。
けれど綾香を苦しめた現実が、菜穂子をも苦しめていたかもしれない。
戻らなければ。そして、菜穂子に問うてみなければ。
答えは、彼女の中にしかない。
「何?あんたは、私のせいであの女が家族を殺したんだとでも言いたいわけ?ふざけんじゃないわよ。あの女が子どもを、家族を殺したところで、何の罪滅ぼしにもならない。何にも変わらない」
審馬に詰め寄る勢いで、白岡蓮司の母親は立ち上がる。その様子を審馬は椅子に腰掛けたままじっと見つめる。
「私のせいじゃない…私のせいなんかじゃないっ!!」
あぁ、そうか。この母親は、ずっと自分を責めているのか。ずっと自分に向かって言っているのか。
何もできなかった、何もしようと思えなかった無力な自分をずっと後悔しているのか。
それを菜穂子を糾弾することで正当化しようとしているのだ。
「そうですね。その通りだと思います。裁矢菜穂子も貴方のために殺したつもりなんて毛頭ないと思いますよ」
そうだ。誰かのためじゃない。自分のためだ。
菜穂子は自分のために家族を殺した。
「勿論、蓮司君のためでもない」
「じゃあ…じゃあどうして殺したのよっ!!あの女が…あんたが殺したんじゃ…私は何を、誰を恨んで生きていけば良いのよ!!」
明津優芽でも認めることができた罪の意識を、母親であるこの女が認めることができないのか。
…いや、違うのか。母親だから、認められないのか。本来であれば子どもの一番の理解者でありたいと願う親だからこそ、自分のせいだと思いたくないのだ。
自分の選択が、自分の人間としての弱さが、結果として息子を死に追いやったのかもしれないのだと、そんな現実と向き合いたくないのだ。
「私もそれが知りたいんです。どうして、殺したのか」
無関心だったわけではない。人並みに愛情はあったはず。愛情を示すことを面倒だとも思ってはいなかった。けれど多くのことを理由にして、言い訳にして、今ある問題と真っ直ぐ向き合おうとはしなかった。
審馬が綾香や杏に抱いていたそんな感情と同じだ。白岡蓮司の母親を苦しめているのは、そんな人と親との境界線だ。
「どうして殺したのか。それはわかりませんが、もしかしたら、貴方と同じだったのかもしれませんね」
白岡蓮司の母親が審馬を睨みつける。その様子を見ながら、審馬は溜まっていたものを少しでも解放するように小さく息を吐く。
この女を諭すつもりも説得するつもりもない。そもそも審馬の中にある仮説が、真実であるかどうかもわからない。
だからこそれは、紛いなりにも親である審馬の同情心が産んだ言葉だった。
「親である前に、1人の人だった。けれど人である前に、愛してやまない子の親だった」
力が抜けたように、白岡蓮司の母親が椅子の上に落ちる。その視線は、審馬を捉えてはいなかった。
「私も同じです。これはきっと親である以上、誰にとっても永遠のテーマなんでしょうね」
瞬きと共に涙が白岡蓮司の母親の頬を伝う。彼女はそのまま呆然と、白岡蓮司の最後の晩餐を見つめていた。
「ご協力、ありがとうございました」上着を手に取って、審馬は立ち上がる。「蓮司君のご冥福を、心よりお祈り申し上げます」
東と共に足早に家を出る。白岡蓮司の母親の見送りはなかった。
車に戻りながら、審馬は鬱陶しいほど綺麗に晴れた空の更にその遠くの方を見つめる。
この先、白岡蓮司の母親が真相を知る日は来るのだろうか。晴翔が白岡蓮司をいじめていたわけではなかったのだと、そんな現実と向き合う時が訪れるのだろうか。
その時、彼女は再び絶望の淵に落ちていくのだろう。自分のしたことが招いた結果を考えずにはいられないのだろう。
それでも、晴翔が悪いと自己防衛し続けるのか、それとも菜穂子の苦しみに少しでも目を向けるのか。はたまた、息子を死に追いやった真の加害者の存在に気付くのか。
その物語に、審馬が関わることはきっとない。あってはいけないのだと強く願う。
次回投稿は11/15(土)
を予定しております。




