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「あ…すみません。すぐに片付けますので」
審馬の視線に気付いたのだろう。白岡蓮司の母親は近くにあったゴミ袋を手に取って、カップラーメンの容器とビール缶を手繰り寄せるようにして捨てる。中に残った汁などお構いなしだ。
それでも、白岡蓮司の最後の晩餐はそのままそこに置かれていた。
キッチンから台布巾を持ってきた彼女は、乱雑にダイニングテーブルの上を拭く。
「…何か、飲まれますか?と言っても、大した物はありませんが…」
促されるままにダイニングチェアに腰掛けた時、白岡蓮司の母親は思い出したようにそう言った。
「お構いなく。長居するつもりはありませんので」
白岡蓮司の母親の視線は、ずっと審馬の胸元から腹部辺りを行ったり来たりしている。
顔を上げ、審馬達の顔を見る気力すらないのかもしれない。
「…それで、何をお聞きになりたいんですか」
「蓮司君と同じ学校に通っている生徒から話を聞きました。蓮司君、いじめを受けていたそうですね。裁矢晴翔の友人グループに」
暗かっただけの白岡蓮司の母親の顔が硬くなる。自身の腕をグッと掴んで、溢れ返りそうな感情を抑えている。
「…えぇ。それで息子は自殺しました。まだ49日も終わっていません」
白岡蓮司の母親が顔を向ける先に視線をやると、そこには畳があって、白岡蓮司と思われる少年の遺影と骨壷が置かれていた。
「学校側からは何の説明も謝罪もなかったのだと」
「学校がイジメを把握していなかったなんて、そんなはずがないんです。だって、あんな…いつも、いつもボロボロで…」
平坦だった白岡蓮司の母親の感情が少しずつ揺さぶられていく。口元が震え、両手の拳には相当な力が入っている。
審馬はそんな彼女の姿を、瞬き一つしてただ見つめていた。
「学校に、いじめを止めさせるよう言わなかったんですか」
「だって蓮司がっ!…息子が、そんなことしなくて良いって。吹奏楽部のコンクールも近いから、面倒事にしたくないって…俺は練習ができればそれで良いんだって…私も夫が亡くなって、息子をあの学校に通わせ続けて、好きで頑張ってる吹奏楽を続けてもらうためには、朝から晩まで、夜中だって必死で働くしかなくて」
名門金持ち学校。確かに学費は一般庶民の想像を遥かに超えそうだ。
「…だからあの子の話を、ゆっくり聞いてあげられる余裕もなくて」
言い方は酷だが、現実的にはこの母親も「何もせずに黙って見ていた」側の人間だったのだろう。
審馬や明津優芽、その他クラスメイト達と同じ。
そしてきっと、菜穂子ですらも。
何もしなくても、何とかなるのだと思いたかった。
「蓮司君が亡くなった後、学校に行ったとお聞きしました」
「…蓮司が死んで、お葬式をして…バタバタしていた時間から解放されて…そしたら、どうしようもないくらい学校に腹が立ってきて、何でこんなことになる前にどうにかできなかったのかって…」
そこまで言いかけて、白岡蓮司の母親はゆっくりと顔を上げた。ようやく審馬の顔をその瞳に捉えて、強い憎しみと後悔の感情を剥き出しにする。
「…そう。そこに…あの女がいたのよ。綺麗に化粧をして、綺麗なお洋服を着て、髪も、爪の先まで整えたあの女がっ!…そこにいたのよ」
あの女、と言うのが、菜穂子のことか。
菜穂子がそのタイミングで何故学校に訪れたのかはわからないが、彼女自身が晴翔が加害者であると気付いていたのだとしたら、事実確認のために担任を訪ねてきていたとしてもおかしくはない。
どちらかが五分でも遅く、あるいは早く来ていれば、彼らは顔を合わせなかったかもしれない。
けれど現実は、そんな都合よくできていない
2人は出会ってしまった。
「学校もそりゃぁあの女の肩を持つわよね。片や次の学費が払えるかもわからない貧乏人、片や毎年学校に寄付金を出してるお金持ち。どっちが学校に取って必要な家庭かなんて、一目瞭然だもの。おまけにウチの息子はもう死んじゃったんだから、こっちは学費も払わないただの無関係な邪魔ものよ」
学校側の本音は確かにその通りだろう。生徒に優劣をつけてはいけないなどというのはただの建前だ。
だが、菜穂子自身もそう考えていたのかというのは些か疑問が残る。上品な女性ではあるが、それを鼻に掛けるようなプライドの高さは全く感じられなかった。
むしろ冷静で、頭が良い。感情よりも理論で動く、そんな女性。
「あの女を見た瞬間、頭が真っ白になったわ。気付いた時には頬を引っ叩いてた。この女のせいで息子は死んだんだと思ったら、我慢なんてできなかった」
「蓮司君は裁矢菜穂子に殺されたわけではないでしょう」
「あの女が殺したみたいなもんよっ!あの女みたいな母親がいるから、蓮司は自殺したのよっ!!」
あの女みたいな母親。それは、「何もしなくても、何とかなるのだと思いたかった」母親だろうか。
菜穂子は晴翔が同級生のいじめに加担しているのだと知っていた。そしてそれが決して見過ごしてはいけない状況であると理解していた。それでいて、何もせずに目を逸らした。
けれどそれは、白岡蓮司の母親も同じだ。
何もせず見守ることが美徳だと思ったのだから。
そう、思いたかったのだから。
「白岡さん。それを、あの女にも言ったんですか」
「え?」
「裁矢菜穂子に、お前のせいで息子が死んだのだと、言ったんですか」
「言ったに決まってるじゃない。あの女はそれを自覚すべきだった」
椅子の背もたれに背を預け、審馬は深い溜息をついた。
綾香の悲痛な叫びが、頭の中で反響する。
次回投稿は11/12(水)
を予定しております。




