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今この瞬間に、その懺悔にも似た決意が何故蘇ってきたのだろう。
忘れるはずもない。忘れようと思ったこともない。
感情の機微に気付こうともしなかった愚かな自分は、焼印のように心に刻まれている。
目の前の菜穂子に、綾香の存在を見たからだろうか。菜穂子とて母親という存在だということを、すっかり失念していたからかもしれない。
妻であり、嫁であり、そして母親なのだ。
「裁矢菜穂子の罪状は何だ」
そんな審馬の問いに、菜穂子は目を見開いてじっとこちらを見つめている。そうして自分の中に渦巻く矛盾した感情を抑え込もうとしている。
審馬も敢えて目を逸らすことなく彼女を見つめ返した。
情状酌量など必要ないのだと、菜穂子は言った。その言葉は、彼女自身が気付いていなかった、あるいは見ないようにしていたはずの「裁き」の綻びだ。
菜穂子は自分とて本来であれば裁かれるべき人間であると分かっている。彼女の中には罪の意識が存在している。
だから、自分の判決は間違っていないのだと信じたくて、誰かを「裁く」立場でありたい彼女に、裁矢菜穂子という人間を裁かさせるのだ。
そうすれば菜穂子は、目を逸らして見ないようにしていた自身の罪と真正面から向き合わざるを得なくなる。
審馬と菜穂子の間に沈黙が流れる。同席していた記録係の刑事は、その重苦しい空気に息の音すら出せずにいただろう。
時間にしたらわずか10分足らずだったと思う。けれど、永久とも思える長い時間だった。
暫くして、菜穂子がゆっくりと目を閉じる。椅子の背もたれに背中を預けて、疲れ果てたように口に開く。
「…裁判官が私でなかったとしても、被告人裁矢菜穂子には、死刑を、言い渡すでしょう」
緊張の糸が切れたように、審馬は思わず大きな溜息が漏れた。それは監視室でこちらの取り調べの様子を伺っている四方達もきっと同じだっただろう。
これは、紛れもなく自白だ。菜穂子は3件の連続殺人を認めた。
罪状ではなく量刑を口にしたのは、3人を殺した事実を前提に自分に最大の罰を宣告した言葉にほかならない。
それでいて菜穂子は、自分の「裁き」に縋り続けていたいのだろう。殺したと口にしない間は戦える余地があるのだと考えているのかもしれない。
そこまでして菜穂子が守りたいのは、自分自身。憎しみでも復讐でも救いでもない、彼女の中に隠された本当の動機。
「…もう、日が暮れてだいぶ時間が経ってしまいました。今日はここまでにしましょう。続きはまた明日」
敢えて遮るようにして、審馬は席を立つ。
自分の罪と向き合わざるを得なくなった菜穂子が次に何を語るのか。
一晩じっくり考えれば良い。考えて尚、必死に自分の罪を取り繕うとするのか、それともあっさり認めて全てを話して死刑台に立つのか、どちらであっても見物だ。
取調室の扉を開ける。すれ違うようにして東が室内に入っていって、脱力したまま立ち上がろうとしない菜穂子を半ば無理矢理誘導する。
審馬はそのまま監視室に寄ることもなく会議室へと向かった。
明日に備えて、晴翔の情報をもっと集めておかなければ。
会議室に並べられた資料を漁る。
最初の被害者、菜穂子の息子である裁矢晴翔。
審馬は当初、彼の死は実験か何かだと考えていた。殺害方法が高度な医療知識を必要とする薬物によるものだったからだ。そして、夫である賢一郎に対する罪状があまりに重く、彼こそが菜穂子の本命だと信じて疑っていなかったから。
けれど現実はどうやらそうも単純ではなさそうだ。
菜穂子には、3人それぞれに全く異なる動機が存在している。そしてその動機の強弱も全く違う。
殺人という重い罪を起こしておきながら、だ。他者を殺すほど強い動機に駆られているはずなのに、この殺人は大きなムラがあるのだ。
先程も目を通した被害者3人の遺体の写真を再び並べる。
異様な程身なりが整えられた、晴翔の遺体。賢一郎や加津子の遺体の処置がそれに比べるとあまりに適当なのは、面倒臭くなったなどという理由では当然ない。
晴翔の遺体が、特殊なのだ。賢一郎や加津子がおざなりにされたのではなくて、晴翔の遺体だけが異常なほど綺麗なのだ。
そして晴翔は、この連続殺人の最初の被害者。
ここにこの連続殺人事件が起きた最大の理由が隠されている。
「熱心なもんだな」
会議室の入り口の方から声がして、審馬はゆっくりと振り返る。四方が扉に体を預けて腕を組んでいる姿が目に入る。
「もう良いだろう。裁矢菜穂子は犯行を認めた。あの女には明確な殺意も責任能力もあった。精神鑑定の話も無しになる。あとは検察に任せて、裁判で白黒つけてもらえば良い」
四方のその言葉は、忙しさ故にこれ以上この事件に時間を割いていられないからと言うよりは、菜穂子という人間にのめり込んで行く審馬を見ていて不安に感じたから出たものだったのだろう。
「いや、まだだ。まだ、裁矢晴翔の殺害が残ってる」
「審馬。お前の自慰行為にずっと付き合わされているこっちの身にもなってくれ」
自慰行為、か。確かにその通りだ。
知りたい、知らなければならない。全てを掘り起こさなければ気が済まない。全てを解決した先にある快楽をなんとしてでも掴み取りたい。
それは明らかに捜査とは違う審馬本位の行為だ。
四方の皮肉に苦笑いが漏れる。上層部の機嫌を取って出世していきたい四方にとっては、部下の自慰行為など迷惑でしかないだろう。
「見ちまったもんは最後まで付き合えよ。一緒に気持ち良くなろうや」
「不快なこと言うな」
「お前が先に言い出したんだろ」
次回投稿は10/1(水)
を予定しております。




