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先に教室に向かおうとしていた裁矢君が、私の言葉にゆっくりと振り返る。
「…はよ」
短くそう言って、裁矢君はまたすぐに立ち去ろうとする。
「きょ、今日、来るの早いね」
だから私はすぐに上履きに履き替えて、裁矢君の背中を追う。
「…朝一、職員室に来いって言われてっから」
「まめっちに?」
「そう」
「まめっち」というのは私のクラスの担任のことで、本名は豆本先生。誰も豆本先生とは呼んでいないけれど。
身長が低くて、先生というよりは同じ生徒のような感じだから、そんな渾名がついた。
「何で?」
「知らね。でも多分、白岡のことだろ」
白岡。白岡蓮司。
寝て起きて、すっかり消えていたはずのあの音が、また私の頭を支配する。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
「…蓮司君、学校辞めちゃうのかな」
「それ俺に聞く?」
苦笑気味に裁矢君が言う。
それもそうだ。だって蓮司君は「裁矢君達」にいじめられて不登校になったと噂されているのだから。
「でも、だって…裁矢君、ずっと気にしてたじゃん。蓮司君のこと」
多分これは、裁矢君のクラスメイトで、隣の席である私しか知らないこと。
「裁矢君達」と一括りにされてしまっているけれど、実際裁矢君が蓮司君に食ってかかったのは本当の本当の初めだけ。最初に裁矢君が蓮司君と殴り合いの喧嘩してしまって、そこから蓮司君がいじめられるようになったから、まるで裁矢君が主犯かのように噂が広まってしまった。
裁矢君も噂が学校中に広まる前に強く否定すれば良かったのだと思う。けれど、裁矢君は違うとは言わなかった。
ある日、裁矢君がぽつりと言っていたのは、「まだ白岡に謝られてないし、むかつくから」。それが多分、裁矢君が違うと言わなかった本当の理由。
2人の間に何があったのかは知らない。けれど普段クールに澄ました顔をしている裁矢君が殴り合いの喧嘩をするくらいだから、よっぽどのことがあったのだと勝手に想像している。
裁矢君は、自分は直接いじめていないけれど、蓮司君がいじめられている状況を止めようとも思えなかったのだと。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
私も同じ。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
「あいつが学校辞めようと、知ったこっちゃねーよ」
教室の自分の机に鞄を投げ置いた裁矢君は、そのまま1人職員室へと行ってしまう。
私は裁矢君を追いかける気にもなれずに、そのまま自分の席に座って楽譜を開く。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
手元に楽器はないから、私は宙に指先だけを走らせる。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
学校中にチャイムが鳴り響く。いつもであればまめっちが教室に入ってきて朝礼が始まるのだけれど、今日は何故か全校放送が聞こえてくる。
『本日は予定を変更し、全校集会を行います。全生徒、体育館に集合してください』
何々?と皆ぞろぞろと体育館に向かっていく。面倒だと愚痴をこぼす生徒がいれば、一限が潰れると喜んでいる生徒もいる。
私は紗千と並んで歩きながら、胸騒ぎで息ができなくなりそうだった。
裁矢君が教室に戻ってこなかったから。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
体育館に辿り着く。全校生徒がある程度整列したところで、教壇に校長先生が立つ。
裁矢君はどこにもいない。
「もうご存知の方もいるかと思いますが」
マイクが音割れして、耳に強く痛く、響く。その音と蓮司君のアルト・サックスの音が重なって、私の頭の中は大合唱を奏でている。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
「中等部3年2組の白岡蓮司君が、昨日、お亡くなりになりました」
大きく息を吐く音がした。それは私の息だったのだろうか。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
音がどんどん大きくなっていく。全校放送の音、マイクの音割れの音、誰かの吐く息。
タタッ……タ。
リズムが一拍、崩れる。
それでも、頭の奥では途切れずに蓮司君の旋律だけが鳴り続けている。
ーーー誰かに強く背中を叩かれる。呆然としたまま横を見ると、紗千が私の肩に腕を回して抱き締めていた。
「優芽、頼んだよ。もう本当に、あんたしかいないんだからね」
校長先生はどうして蓮司君が死んだのかを言わなかった。ただ、皆で黙祷を捧げましょうとだけ言った。
わからなかったのではなくて、言えなかったのだ。それはもう、生徒にとっても先生にとってもタブーな話だったから。
けれど言われなくても、皆気付いていた。
当然、私も。
蓮司君はーーー自殺したのだ。
理由は多分、「裁矢君達」にいじめられたから。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
今、私に襲いかかってきているのは、絶望だろうか希望だろうか。
ずっと、見て見ぬふりをしていた。皆と一緒に。蓮司君がいじめられているのを黙って見ていた。
下手に関われば、自分が標的にされてしまうから?そんな感情もきっとどこかにはあったかもしれない。
だけれどこの心の奥底の方で渦巻いていた本当の感情は、そんなのものではないと気付いていた。
見て見ぬふりをしている方が楽だったんだ。
そうやって目を逸らしていれば、私の番が来ると分かっていたんだ。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
蓮司君のアルト・サックスの音色と共に、吹奏楽が盛り上がっていく。
けれどもう蓮司君には、この音は奏でられない。
私にしか、できない。
やっぱり蓮司君にしてくれなんて、誰にも言わせることはできない。
だってもう、蓮司君はいないから。
※ ※ ※
次回投稿は9/24(水)
を予定しております。




