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タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
「タッタッター 」
「タッタターだよ」
「タッタター タタタッタ」
「タッタター タタタッタ」
下校途中、私は紗千とリズムの確認をしながら歩く。
再来週に吹奏楽部のコンクールがある。だから部員の練習はもう大詰めを迎えている。
「次、タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ」
「むずいよ」
「はい、せーのっ」
「タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ」
「タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ」
「あー無理っ!指と舌が追いつかない」
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
紗千に促されるままアルト・サックスのリズムを刻むけれど、あまりに速い連打に私の体と脳は上手く繋がってくれない。
もうコンクールは目前なのに。こんなところで躓いてなどいられないのに。
「練習あるのみだよ。折角掴んだチャンスなんだから」
タッタター、タタタッタ 、タッタタター、タタタッタ。
紗千は応援してくれているけれど、正直私の心は折れかけている。
「でもさ、やっぱり蓮司君、そろそろ戻ってくるんじゃない?」
部員の中では最早タブーになっているこの話題も、紗千と2人きりでは話さずにはいられない。
それくらい、私はこの目の前にあるチャンスと逃げ出してしまいたい気持ちの間で揺れ動いていた。
「今更戻ってきても、もうコンクールには出してあげられない。そう皆で決めたんだし、先生は…ちょっと悩んでるみたいだったけど。でも皆、優芽には期待してるんだよ」
その期待がプレッシャーなのに。そして今まさに、そのプレッシャーに押し潰されてしまいそうなのに。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
どんなに頑張っても、このフレーズが上手く弾けない。
「蓮司君だってコンクール、出たいと思うよ」
「優芽だって出たかったでしょ」
「そりゃあそうだけど」
「うちみたいな強豪校はさ、選抜入らなきゃコンクールなんて出られないんだよ」
蓮司君が学校に来なくなって、もう2週間が経つ。こんなコンクールぎりぎりの時期でなければ、きっと彼が学校に来てくれるまで皆待ってくれたのかもしれないけれど、そんな悠長な事を言っていられる時間はもうすっかりなくなっていた。
蓮司君はアルト・サックスの花形ボジションを任されていた。私の学校の吹奏楽部には他にもアルト・サックス奏者はいるけれど、経験的にも技術的にも蓮司君の代わりを務められる人は私以外にいなかったらしい。
かく言う私は、今回のコンクールでは補欠担当。コンクールの選抜メンバーを選ぶパートテストの日に、よりにもよってインフルエンザになってしまったから。
どうしてこんな大事なタイミングで寝込むことになったのかと落ち込みはしたけれど、私の学校は中高一貫校で、来年も再来年もまだチャンスがあると思えば、今回は仕方がないと気持ちを切り替えることができていたのだ。
そんな中で舞い込んできた、蓮司君の代役の話。
コンクールに出られることは嬉しく思えど、今の蓮司君の問題や明らかに練習不足な状況を思えば、大きなプレッシャーが私に襲い掛かってきている。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
ミスをする度に、頭の中で軽やかに演奏する蓮司君の姿が思い浮かぶ。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
「でも蓮司君…裁矢君達にいじめられて不登校になったんでしょ?」
誰が見てるわけでも聞いているわけでもないけれど、私は声を小さくして紗千にそう言う。
この話題は、もう敢えて誰も語ろうとはしない。皆、見て見ぬふりをしている。
下手に関わって自分がいじめの標的にされたくはないし、教師達も面倒臭がっている。
何も知らなかったふりをして、蓮司君が学校に来なくなった後も、皆いつも通りに生活している。
「じゃあどうすんの。優芽が蓮司君を引きずってきてくれんの?」
「それは…無理だけど…」
「じゃあ優芽がやるしかないじゃん」
「そうなんだけど…」
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
放課後、誰よりも早く音楽室に向かって、1人で練習している蓮司君の姿が目の前に映る。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
多分、蓮司君にとっても難しかったんだと思う。何度も何度も同じフレーズを練習していたから。
だから、私の耳にもずっと残っている。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
「蓮司君には悪いけど、私達には目の前に迫ったコンクールが、私達のこの先の人生があるの。だから、蓮司君だけのために、止まっていられない」
紗千の言葉が残酷に聞こえてしまうのは、私がまだ、紗千のように大人な考えができないからだろうか。紗千は長女だけど、私は3人兄妹の末っ子だからかもしれない。
皆で寄せ書きでもして、蓮司君の家に遊びに行って、くだらない話でもして盛り上がれば、きっと蓮司君はまた学校に来てくれる。そして、立派にアルト・サックスの花形を演奏してくれる。
タッタター、タタタッタ、タッタタター、タタタッタ。
蓮司君が放課後、一番に音楽室に向かっていたのは、きっと教室にいたくなかったからだと思う。
音楽室に行けば、そこには蓮司君の大好きな音楽が待っている。そこに没頭することで、多分、現実から必死に逃げようとしていたんだと思う。
そんな蓮司君に、誰も手を差し伸べてはくれなかった。
誰も、私も。
ベッドの上で目を閉じれば、やがてまた朝がやってくる。白い息を吐きながら、私は開かない目を擦って学校へと向かう。
満員電車に揺られて、学校に着いて、中等部の校舎へ歩いて行って、下駄箱へと向かう。
そこで出会ってしまった先客に、私の心臓が大きく跳ねた。
綺麗な横顔が私の存在に気付く。ちらりと私を見て、けれどすぐ顔を逸らしてしまう。
同い年のはずなのに、どうしてこうもその横顔に品と色気を感じるのだろう。少し伸びた短髪が、あまりにさらさらとしているからだろうか。
「裁矢君っ」私は思わず声を張り上げていた。「お、おはよう」
次回投稿は9/20(土)
を予定しております。




