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賢一郎による暴行が他の家族に及んでいないのかを確かめるためだ。
だが予想に反して、晴翔の遺体にも加津子の遺体にも目立った外傷は見当たらなかった。
晴翔も加津子も、そして菜穂子すら、賢一郎に暴行を加えられていたわけではなかった。だとしたら菜穂子の語る暴行罪は、全くの赤の他人に対して行われていた罪を示しているのだろうか。
穴が空くほど写真を睨みつけて、ふと、晴翔と加津子の遺体の微妙な差に目が止まる。
言語化できるようなはっきりとした差ではない。強いて言えば、これは違和感のようなものだ。
何だろう。何がそんなに気になるのだろう。
賢一郎の遺体の写真も手に取る。3人を見比べて、漸くその違和感の正体に気がつく。
晴翔の遺体だけが、異常なほど綺麗なのだ。発見時に死後4日が経過していたとは思えないほど、まるで葬儀屋に預けていたかのように整えられている。
賢一郎や加津子の殺害からは時間が空いているし、腐敗臭などが漏れ出さないように細心の注意を払っていたということもあるだろうが、この綺麗さの違和感はそこだけではない。
例えば、賢一郎の着ているワイシャツにはだいぶ皺が寄っている。洗濯機から取り出してアイロンを掛けずにそのまま着たような印象だ。髭も少し伸びていて、一般的な会社勤めをしている男性であれば剃らないといけないと感じるほど。
加津子は年齢的なこともあるかもしれないが、随分と髪が乱れているように見える。長いまま放置されていて、寝起きのような印象を抱く。
そうした死装束の粗さのようなものが、晴翔には一切ないのだ。
遺体発見時、晴翔は通っていた中学校の制服を着用していたが、そのシャツには皺一つない。裾が全てしっかりとズボンの中に仕舞われ、ウエストに合った位置でベルトが閉められてる。髪もワックスか何かでしっかりと整えられており、そろそろ年齢的にも気になってくるであろう髭も、傷ひとつなく綺麗に剃られている。
その固く閉じられた瞳を開いて優しく笑いかければ、学校中の女子、もしかしたら教師までも虜にしてしまいそうな色男が、そこにはいる。
腐敗が進んでいく遺体にここまで施すのは、相当根気が必要だっただろう。
捜査資料を捲る。
晴翔が最初に殺されたことと、他の遺体に比べ、晴翔の死装束がやけに綺麗で丁寧なことに、何か関連があるのだろうか。
そこに、裁矢菜穂子の殺害の動機が隠されているのだろうか。
「あれ、審馬さん。係長は?」
何かを掴むことができそうになったその瞬間、背後から声をかけられて審馬は振り返る。会議室の入り口からこちらを覗き込んでいたのは高橋だ。
「四方なら監視室だ」
ちらりと彼を見て、けれどすぐに資料に視線を戻して審馬は答える。
「いなかったからこっち来たんですけど」
「じゃあ知らん」
「裁矢、逮捕状が出たんでしょ?どうですか。口割りそうですか」
そのまま押し黙ってしまっては、取り調べが上手くいっていないと白状したようなものだろう。
「まぁ、役所に来るようなサイコパスですもんねぇ。そんな簡単にはいかないか」
役所に来るようなサイコパス。髙橋の言葉は雑な表現だが、そこも菜穂子の大きな違和感の一つなのだ。
何故、彼女は殺した後にわざわざ役所に訪れたのか。逃げ出すわけでもなく、遺体を隠すわけでもなく、それが自分の当然の義務だと言うように、菜穂子は役所で手続きを行おうとした。
例え頭のおかしいサイコパスであろうと、わざわざ自分の犯行をばらすようなことをするだろうか。
いや、違うのか。「普通であればこうするであろう」と考えてしまうから、推理がそこで止まってしまうのか。
菜穂子に至っては、「誰かを殺害した」ことと「その前後の行動」は別で考えるべきだ。殺人犯であれば「普通」はこうするであろうという推測は意味がない。
殺人犯にとっての「普通」、と言うのもおかしな話であるが。
菜穂子は家族3人を殺した。そして、家族が亡くなった時にすべき「普通」の手続きをしようと考えた「だけ」。
菜穂子の中には3人を殺したという意識は存在していない。彼女にとっては罪人を裁いたという正義感なのだから当然だ。
ただ正義を全うして、自分のすべき手続きを踏もうとした「だけ」。
端的に言ってしまえば、まともな精神状態ではない。彼女の行動と表面的な発言だけを切り取ってしまえば、精神鑑定で病名がつけられてしまうような状態だ。
ーーーこうした取調室も、法の届かない密室性のある場所でしょう。…家庭と同じように。
菜穂子が審馬に放ったその言葉を頭の中で反芻する。
それは、明らかに菜穂子が仕掛けた高度な心理戦だった。話の流れで敢えて審馬の苛立ちを誘い、密室という空間で法の届きづらさを自ら演出する。
どう考えても理性的で、そして狡猾な女だ。
菜穂子の発言は論理的で整合性が取れている。普通であれば理解し難いことを言っていても、筋が通っているのだ。
例えるのであれば、こちらは摂氏で温度を測っているのに、彼女は華氏で答えているようなものなのだ。どちらも数値は間違っていないのに、単位が違えば話が噛み合わないようなもの。
そこらへんにいる殺人犯と同じ物差しで取り調べをしていては、到底真相は見えてこない。
だが、菜穂子には摂氏で温度を測ることがあるという知識がある。自分のいる世界は華氏でしか温度を測ることができないとは考えていない。
つまり彼女は、自分の物差しが世間一般と異なることを理解した上で、それを正しいと信じて使い続けているのだ。
そこが、彼女の中にある最大な矛盾だ。
その矛盾を突くことができれば、彼女の論理を崩すことができるのだが。
次回投稿は8/21(木)
を予定しております。




