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警察署へと戻る。
家庭でしか見せなかった顔。それが、裁矢賢一郎にはあったはず。
近隣住民への聞き取り調査では、裁矢家は絵に描いたような幸せな家庭だったと皆が口を揃えて言う。
古い名家に生まれた優秀な息子。そんな息子と結婚した美しい嫁。年は取っても謙虚であることを忘れない姑。名門私立に通う子ども。
ーーーお舅さんが亡くなった時に家業はもう畳んじゃったみたいだけど…でも今時お姑さんと一緒に暮らそうだなんて、できたお嫁さんよね。綺麗で礼儀正しくて、それでお子さんはあの帝都大学附属高校中等部でしょ?塾にも行ってなかったって言うから凄いわよね。
近所の婦人がそんなことを言っていたと、捜査資料には書かれていた。
そこにあったのは、理想の家庭。
苦笑する。あの家は決してごく普通で当たり前の家族ではなかった。
ただ、そんな風に取り繕われた張りぼてだった。
少なくとも裁矢菜穂子は、理想の嫁でも、理想の母でもなかった。
その裏側にあったのは、卑劣な殺人鬼としての顔だ。
警察署に戻ると、既に休憩は終わっていて、別の刑事が彼女の取り調べを始めていた。
監視室に入ると「どこに行っていたんだ」と四方に睨まれて、けれどそんなことはお構い無しに審馬は裁矢菜穂子の横顔をじっと睨みつける。
裁矢菜穂子には逮捕状が下りた。だから、休憩前は参考人だった彼女は、晴れて被疑者に成り下がったことになる。そのことは、当然彼女にも伝えられたはず。
けれど裁矢菜穂子の表情は何一つ変わっていないように見えた。そして相変わらず、理解し難い話を繰り返している。
「審馬さん」
やはり自分が行かなければと監察室を出ようとした時、東に呼び止められる。
「審馬さんは、どうしてそんなに動機に拘るのですか」
先程の四方の言葉が彼女の中で引っかかっているのだろうか。
審馬が裁矢菜穂子に執着する理由を東は知りたがっていた。
「私は、あの人を見ていると気分が悪くなります。あの人の中にどんな理由があろうと、犯罪者であることに代わりありません。それをあの手この手で何とか正当化しようとしているように見えてしまう。それが、この上なく気持ちが悪いです」
確かに、と審馬は笑う。
裁矢菜穂子の言葉は、端から見ればただの言い訳だ。
殺していることは明白なのに、この女は一体何を言っているのだと、何故さっさと罪を認めないのかと、そう思うのが当然だ。
罪を認めなかったところで裁判で不利になるだけだろうに、自分の中の何をそんなにも守りたいのかと。
「東。犯罪者の気持ちなんて理解できなくていい。それが正しい。だけどな、気持ち悪いのそのたった一言で拒絶し心を閉ざしたら、見える真実も見えなくなるぜ」
「動機がそんなに重要ですか」
「あぁ、重要だな。何故殺したのか、何故殺さなければいけなかったのか。それを明らかにしなければ意味がない」
「私には…わかりません」
「じゃあ」監察室の扉を開ける。少しだけ後ろに振り返って、審馬は言葉を続ける。「わからせてやるよ。お前の大嫌いな裁矢菜穂子を通してな」
取調室に戻ると、空気が少しだけ動く。ずっと1点を見つめて目の前の刑事などさして興味も無さそうだった菜穂子が、ちらりと審馬を見上げたからだ。
彼女が静かに唾を飲み込む様子を審馬は見届ける。
この女は、今、自分の存在に緊張している。
椅子に座っていた別の刑事を視線で退かせて、審馬は菜穂子と正面から向き合う。
「…家庭は国家、でしたっけ」
審馬の言葉に、菜穂子が鋭い視線を向ける。
休憩の間、果たして彼女は何を思い、何を考えたのだろう。自分の言葉の整合性を必死で取ろうとしていたのだろうか。
だとしたら、今彼女の中にある感情は一体何だろうか。
「その国家に、独裁者に、あんたは死刑を執行した」
「独裁者、ですか」
「裁矢賢一郎は…旦那は、あんたにとってどんな存在だったんだ?」
菜穂子がゆっくりと審馬から視線を逸らす。机を見つめる彼女の感情は、その表情からは読み取れない。
「…国の顔でしょうか。外から見れば整っているが、中身は腐っている。指一本触れずとも支配できるやり方を、彼はよく知っていた」
菜穂子の感情は高ぶることなく落ち着いている。
外見はまともでも、中身は腐っている。その言葉に込められている感情は、恨み、憎しみだろうか。
「独裁者が牛耳る国家は、必ず崩壊する。それは歴史が物語っている。だから、あんたが壊した」
「いいえ」菜穂子ははっきりとした口調で続ける。「壊れたのです。私は、ただその成れの果てを処理しただけ」
それはあまりに断定的な言い方だった。
菜穂子は家庭を壊したのは決して自分ではないと、そう強く否定している。
壊れていた。随分前から、手に負える状況でなかった。
目を細め菜穂子の顔をじっと見ていると、気付けば審馬は遠い過去を見つめている。
壊そうとする前から、壊れていた。とっくの昔に崩壊していた。
ーーーきっと貴方には、全く理解できないんでしょうね。
はっとする。目の前にいるのは菜穂子であって、決して別れた審馬の元妻、綾香ではない。
鼻で笑う。そこにあるのは自分の弱さであるような気がして、誤魔化すように審馬は前髪をかき上げる。
そうだ。崩壊していた。審馬の家庭も壊れていたのだ。
誰かが意図的に壊そうとしたわけではない。少しずつヒビが割れていって、気付けば元には戻せない状況になっていた。
菜穂子の家庭もそうだったのだろうか。菜穂子が壊したわけではなくて、でももう昔のようには戻せなくて、自ら手を下すしか全てを収束させる方法が見つからなかったのだろうか。
「成れの果てになる前に、これは壊れているとあんたは気付いたはず。それなのに、何故家庭を捨てようとしなかった」
まるで自分に問いかけるように、審馬は言う。
殺すくらいなら、捨ててしまえば良かったのに。
「…だってそれが『普通』でしょう」
普通。何が、「普通」なのだろう。
殺人鬼らしく、誰かを殺すことだろうか。それとも、家庭を捨てずに健気に頑張り続けることだろうか。
次回投稿は8/9(土)
を予定しております。




