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5-5

小説の更新情報は下記の傘花SNSよりご確認いただけます( ´ ▽ ` )


Instagram:@kasahana_tosho

 庄司が私の方に振り返る。その瞬間、「あっ」と声を上げて、私の顔を凝視する。


「えぇ〜?なんでお化粧落としちゃったの?」

「なんでって、お風呂に入ったから…」


 やはりいきなりすっぴんは不味かっただろうか。化粧している顔とは確かに印象は随分変わってしまう。


「いや、それでも可愛いよ?可愛いけど、それじゃあ麗那ちゃんじゃないでしょ」


 それだと麗那ではないというのは、どういう意味なのだろうか。


 そもそも私は麗那ではない。麗那というのはあくまでキャバクラ嬢としての仮面を被った私で、本当の私ではない。


 それなのに、何故私は今、「麗那」として存在しなければならないのだろうか。


「その服、凄く可愛いでしょ。麗那ちゃんスタイルが良いから、絶対に似合うと思ったんだ。でもそれじゃあ台無しだよ」


 至極当然のことのように庄司が語るせいで、こんな彼の言葉尻に違和感を覚えている自分の方がおかしいような気がしてくる。


 このランジェリーは「麗那」に合わせて買ったものだから、「麗那」でなければ意味がない。そんな彼は言い分確かに間違ってはいない。


「早く化粧してきて。髪も整えてくれると嬉しいな。僕待ってるから」


 庄司に背中を強く押されて、私は寝室へと辿り着く。化粧品の並んだ机の前に立たされて、「さぁ早く」と急かされる。


 戸惑いながら、私は「那菜」の顔に「麗那」を描いていく。


 髪型も乾かして綺麗に巻いて整えた頃には、風呂を出てから1時間以上経過していた。それでも庄司は何も文句を言う事なく、寝室のベッドで携帯を眺めていた。


「できた、けど」


 うつ伏せで携帯を見ていた庄司に、私は声を掛ける。すぐに顔を上げた顔は、心底嬉しそうな笑みを浮かべる。


「いや、やっぱり素敵だよ。最高だよ。僕の見立ては間違ってなかった」


 そう言って、彼は私の姿を上から下まで舐め回すように見て、天使だの妖精だの過剰な褒め言葉を繰り返した。


 そこまで言われてしまえば、悪い気はしなかった。


 「麗那」であることでそこまで幸せそうな笑みをしてくれるのであれば、それでも良いような気がした。


 確かに、せっかく買った服を最高のビジュアルで着てほしいと思うのは当然かもしれない。


 私だって、高級オーダーメイドスーツを彼氏にプレゼントして、けれどその容姿が髭面の乱れた髪だったら嫌だと思うだろう。 


 庄司が私の腕を引っ張る。そのままベッドの上に乗った私は、庄司の上に跨るような体勢になる。


 見つめ合えば、自然と口付けを交わしていた。私の体を触る庄司の手つきがやがていやらしくなっていって、ただでさえ際どい格好のせいで高揚していた気分が更に沼への落ちていく。


 事が終わって、庄司はそのまま深い眠りに落ちていった。裸のままベッドに大の字になっていびきをかいていて、私はそんな彼を起こさないように静かに寝室から出る。


 洗面所に行って、再び化粧を落とす。あまりに激しいまぐあいに酷い体の疲れを感じて、私はそのまますぐに寝室に戻ってベットの隅に倒れ込む。


 気付けば朝がやってきてきた。ぼんやりとした意識で時計を見つめて、もう9時になろうとしていることに驚き跳ね起きる。


 急いでリビングに行くと、コーヒーの良い匂いがした。


「麗那ちゃん、おはよう。…えっ、ちょっとどうしたのそれ」


 ソファでコーヒーを啜りながらテレビを見ていた庄司が、開口一番にそんなことを言う。


「えっ、何が?」

「髪もボサボサ、顔も浮腫んじゃってるよ」


 あまりに庄司が慌てた素振りを見せるから、よっぽど酷いのかと携帯の画面で自分の顔を確認する。


 確かに浮腫んではいる。髪もあちらこちらに跳ね上がっている。


 けれどそんなものは当然だ。私は寝起きなのだ。


「それは…今起きたばっかりだから…ごめん。寝坊した」

「寝坊なんて全然良いんだよ。ゆっくり休みな。でも、こんなの麗那ちゃんじゃないよ」


 庄司が何を言っているのかわからないのは、私の頭が寝起きで上手く働いていないからだろうか。


 つまりは何だ。昨日からのことも考えると、庄司は私に何を求めているというのか。


「家なんだから、別にボサボサだろうとすっぴんだろうと良いでしょ」

「家だろうと、麗那ちゃんは麗那ちゃんでしょ?」


 空腹なことも相まって、庄司の言葉に苛立ちを覚えてくる。


 だからそもそも、麗那ではないと言っているではないか。


 整形してこんなに綺麗になった顔に向かって台無しと言われるのも腹立たしい。


 せっかくキャバクラ嬢を引退して幸せな同棲生活がスタートしたのに、何故このようなことで気分を害されなければいけないのか。


 わざとらしく大きな溜息をついて、私は寝室に戻る。煙草を吸おうと、ショルダーバッグの中を探る。けれどそこに、入れておいたはずの煙草は何故か見つからなかった。


「煙草なら捨てておいたよ」


 寝室の入り口に立っている庄司が、そうあっけらかんと言う。


「…は?何で」

「だって麗那ちゃん、煙草なんて吸わないでしょ?」

「それは、庄司さんが吸わないから、私もお店で吸わないようにしてただけ」

「じゃあ僕だけの麗那ちゃんになった今、尚更吸わなくていいでしょ」

「ふざけんな」

「そんな言葉も、麗那ちゃんは言わないっ!!」


 突然の庄司の大声に、私は息を呑む。


 それは、庄司との長い付き合いの中で初めて聞いた怒号だった。


 これまでの楽しかったはずの過去が頭を駆け巡って、それに反発するように強い恐怖に襲われる。


 今まで知らなかった庄司を見るのは、怒りよりも怖さが勝った。


 手が震えて、感情のままに寝室を飛び出す。玄関まで走って行って、靴が見当たらなかったから素足のままで扉に手を掛ける。


「そんな格好でどこに行くの?」


 そんな庄司の声に、私の手は止まる。


 昨晩、庄司から与えられたランジェリー。露出があまりにも多くて、赤の他人に見せられるよう姿では到底ない。


 庄司を押し退けて寝室へと行く。クローゼットの服はすべて洗濯されてしまっていたことを思い出して、すぐに脱衣所へと向かう。


 昨日は洗っていたはずの私の服が、既にそこにはなかった。


「洋服はね、迷ったけどやっぱり全部捨てちゃった。どれも麗那ちゃんっぽくなかったから」


 頭が冷静な判断を失っていくのを感じた。恐怖と恥じらいと、ずっと信頼していた庄司を正当化したい感情が混ざり合って吐き気がする。


 踵を返す。震えて縺れる足を何とか奮い立たせて、リビングの金庫の方への向かう。


 私の祝賀会の日付だったはずの暗証番号は、既に別の数字に変えられていた。


 「心配しなくても、麗那ちゃんの大切なものは全部そこに入ったままだよ。でも、勝手にどこかに出かけられちゃ困るからさ」


 無意味であることはわかっているのに、何度も祝賀会の番号を入力しては、扉を無理矢理引っ張る。


 庄司が一歩、また一歩と私に近付いてくる度に、呼吸ができなくなっていくのを感じた。


 やがて庄司の手が私の肩を叩く。


「大きな声を出してごめんね。麗那ちゃんを怖がらせたいわけじゃないんだよ。僕、そんなに難しいことを言ってないと思うんだ。僕の家もお金も好きに使ってくれて構わない。これは全部麗那ちゃんのためのものだから。だから麗那ちゃんも、僕の前ではずっと麗那ちゃんでいて欲しい。それだけだよ」


 そう言って庄司が手を振り上げる。


 殴られる。そう思ったけれど、庄司はただ優しく私の頭を撫でただけだった。


 まるで、泣き喚いている小さな子どもをあやすかのように彼は私の頭を撫でる。その手が頬を撫でた時、耐えきれずに涙が流れた。


「あ、そうだ。これ、見て見て。昨日の麗那ちゃんと初めてのエッチ。嬉しすぎて動画撮っちゃったんだけどね、麗那ちゃん、凄く綺麗に映ってるよ」


 それは、脳の思考を停止させるには充分過ぎる言葉に感じた。


 考えるよりも受け入れることで現実から逃避しようとする。


 庄司が私に求めていることは、「麗那」であることだけだ。他には何も望んではいない。


 だったら何故、「那菜」に執着する意味があるのだろうか。


 私達は恋人同士になった。客と嬢という仮面を外して、その奥を見つめ合える関係になったはずだった。なれると信じて疑っていなかった。


 脱力したように座り込む私に、庄司は優しげな笑みを浮かべる。その笑みの裏に隠された恐怖に既視感を覚えて、私は涙でぼやける瞳でじっと庄司を見つめる。


 そうしていると、何故か裁矢の顔が脳裏を過ぎる。


 たった1回。何百人もの客と接してきて、そのほんのわずかな記憶でしかない裁矢の顔が、何故今思い浮かんだのだろう。


 走馬灯のように、あの日のことが思い返される。そうして、庄司のこの笑みと同じ笑みを裁矢も私に向けていことに気付く。


 笑みの裏にその人の本質が巧みに隠されている。


 仮面を被って生きているのは、きっと誰だって同じだ。けれど、相手を気遣かったり自分を少しでもよく見せるために仮面を被るのと、誰かを懐柔するために敢えて仮面を被って相手に近づくのとは訳が違う。


 裁矢があの日に見せたあの笑みは、誰かの心を操るための仮面だったのか…度重なる庄司の「麗那」への期待は、理想と支配欲の表れだったのか。


 振り返れば、その片鱗は確かにあったのだ。


 その一見愛に満ちた言葉から滲み出る違和感に、私は何故もっと早く気付くことができなかったのか。


 そうして、美しさだけにすがってきた人生の果てがここにあるのだと、私はただ受け入れていく。


 嘘でまみれたその仮面を信じることで、間違いに気付かないふりをする。


 もう他に生き方を変える余地など存在しないのだと、そんな考えが脳を支配する。


 ーーー今日も陽が昇る。鬱陶しいくらい眩しい朝日が、ベランダの窓から部屋を照らす。


 「愛しい」彼が目覚める前に、私はその作られた顔に化粧を施していく。美しい顔を更に洗練させていく。


 一張羅に身を包み、髪をセットし、最後に口紅を塗る。


 鏡の前で、「麗那」の仮面を被る。


 いつまで「麗那」でいられるかなどわからない。いつか絶対、限界はやってくる。


 人は、老いに抗うことなどできやしないのだから。


 それでも、1秒でも長く仮面を被って生きていくために、使えるだけの金を全て費やしていく。


 生まれ持ったそのままの部分など、ほぼない。


 でもそれでいい。それが、いい。私の体は、容姿は、美しくなければ意味がない。


 いつかやってくる終わりから目を逸らすように、愛しき彼の愛に溺れていく。




 そして私は今日も、この笑顔の仮面を被って生きていく。


 

 ※ ※ ※ 

次回投稿は7/26(土)

を予定しております。

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