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庄司のそんな言葉に、私はきっと随分と間抜けな顔をしていただろう。
「いや、ちょっと聞き耳立てちゃったというか、向こうの卓で何の話をしていたのか、ボーイくんから無理矢理聞き出しちゃったんだけど」
「あれは、なんというか、話の流れで。私は結婚とかあんまり」
「でも、気にはなってるんだ」
誤魔化してみたけれど、結婚の話を裁矢に持ち出したのは私の方だったのをどうやら他の誰かに聞かれてしまったようだ。
「結婚、というか、 今あるこの環境が永遠のものだとは思わないからかな。それこそ、庄司さんが結婚して、もう私なんかに興味がなくなってしまったら、私は売り上げの多くを失うことになるから」
「僕は結婚なんてしないよ」
「どうかな。人の気持ちなんていくらでも変わるものだよ」
「僕は麗那ちゃんがキャバ嬢で居続けようがキャバ嬢をやめようが、ずっと麗那ちゃんを好きな自信があるけどね。麗那ちゃんならアイドルとかも向いてそう」
「可愛さや美しさを武器に仕事をし続けるのは、限界があるって話よ」
「そのために僕がお金を稼いでる」あまりにあっさりと庄司がそう言う。「麗那ちゃんが麗那ちゃんであり続けられるなら、僕はいくらで頑張れるよ」
それはプロポーズににも似た言葉だった。一生幸せにすると、そんな風に言われている気分だ。
直接的な言葉より、覚悟と責任を感じる。この男に縋ってもバチは当たらないのではないかと、脳が錯覚していく。
互いに手を重ねて見つめ合えば、何やらやたらと庄司が魅力的に見えた気がした。
そうして、私は店のナンバー3にまで上り詰めた後に店を辞めた。店長にはだいぶ引き留められたけれど、これ以上自分を売り続けていくことに限界を感じていた。
夜の世界からすっぱり足を洗って、私はその足で庄司の家に向かった。マンションのエントランスホールでインターホンを鳴らすと、嬉しさと緊張で息ができなくなりそうな気がした。
玄関で庄司が笑顔で出迎えてくれる。その胸に抱きつくと、彼はバランスを崩してそのまま床に尻もちをついてしまう。慌ててごめんと謝ると、それでも庄司はいつもの安心する笑顔を浮かべていた。
私の持っていたショルダーバッグとキャリーバッグを庄司が手に取る。空いたもう一つの手で私の手を握る。
花嫁のようにリードされながら案内されたのは広いリビングだ。
「家は好きに使ってくれていいからね。僕は基本的に自分の部屋で仕事しているから。お風呂はあっち。トイレはここね。キッチンはあそこだけど、僕は殆ど使ってないから」
「ご飯とかはどうしてるの」
「いつも出前か外食で済ませちゃうかな。麗那ちゃんも無理に作ろうとしなくて良いよ。食べたいものは大抵お金で買える時代だから」
麗那。思えば、キャバクラ嬢を引退したというのに、庄司に自分の本名を伝えることを忘れていたことに気付く。
「庄司さん。私、本名は那菜って言うの。キャバ嬢はもう辞めちゃったから、麗那って呼ぶのも変でしょ?」
「あ、そうなの?麗那ちゃんって源氏名だったんだ」
「うん」
庄司がキャリーバッグをソファの近くに下ろす。持ってもらってしまっていたショルダーバッグを受け取ろうと彼に手を伸ばすと、ふっと身を交わされたような気がした。
「でも、麗那ちゃんのままで良いんじゃない?もうずっとそれで呼び慣れちゃってるし」
屈託のない笑顔で答えられると、まるで私の考えの方がおかしかったかのような感覚がした。
確かにそれもそうか。庄司にとって、私はずっと「麗那」で、今更それを変えることも難しいのかもしれない。
何と呼ぶかなど、大した問題ではない。
「寝室はこっちね」
庄司が私を廊下の方へと案内する。玄関のすぐ横の扉を開けた彼は、暗い部屋に明かりを灯す。私のショルダーバッグを近くの机に置いて、寝室のクローゼットを開ける。
「机は好きに使ってもらって大丈夫だから。洋服とかはここ使って」
「ありがとう」
「じゃあ僕、お風呂入ってくるから。あ、麗那ちゃん先の方が良い?僕の後が嫌とかなら、全然先に入ってもらっても良いよ」
「あ、うぅん。大丈夫。お先にどうぞ」
言いながら、一緒には入らないのだなと思う。仮にも恋人同士という関係になるのだから、共に風呂に入るくらいはしても良いのではないのかと。
庄司が寝室から出ていく。風呂場の方への向かっていく背中を見つめてから、私は自分の荷物の荷解きをする。
財布や銀行の通帳、印鑑などの貴重品はショルダーバッグの方に入れていた。だが、これも毎日外に持ち歩くわけにもいかない。
とりあえず、今は机の隅にまとめておいておく。
荷物の整理も半分くらい進んだところで、庄司が風呂から出てくる。すっきりした表情で寝室にやってきて、「麗那ちゃんもどうぞ」と声を掛けてくる。
前の家から持ってきたシャンプーとトリートメント、化粧品や着替えを持って、私も風呂場への向かう。
カビ一つない綺麗な風呂場でシャワーを浴びながら、ふと、庄司の前で化粧を落とすのは初めてだと気付く。
そもそも整形しているのだから、化粧を落とした顔も整ってはいる。けれど、カラーコンタクトや化粧をしているから、私は華やかでいられたのだ。
素顔の自分を鏡で見つめて、けれどそんなことで戸惑っていて仕方がないと思い直す。
これから庄司とずっと一緒に住むのだ。すっぴんごときで恥ずかしがっていては、生活などしていけない。
風呂場から出ると、脱衣場にタオルと着替えが置かれていた。私が持ってきた物とは別の物だ。
これを着てほしいという庄司の願望だろうか。
レース生地のランジェリー。大事なところすらうっすら透けてしまっている。
これから一緒に住むということに浮き足立っていたのは、どうやら私だけではなかったようで、何とも言えない庄司の可愛らしさに愛おしさがこみ上げてくる。
庄司の好みがこれだと言うのであれば、それには応えるべきだと、私はレース生地のランジェリーに袖を通す。
私がさっきまで着ていた洋服は、既に洗濯機に入れられていた。随分と仕事が早い。
寝室に戻るとそこには庄司はいなくて、私はリビングの方へと向かう。けれど机の上に置いてあったはずの貴重品がないことに気付いて、私は再び寝室を覗く。
確かにここに置いておいたはず。開いたままクローゼットにも目がいって、そこにしまったはずの服が一つもないことに気付く。
慌ててリビングへと戻る。テレビ横の棚の前に丁度庄司が立っていて、その手に私の貴重品が握られているのが目に入る。
「あぁ、麗那ちゃん。お財布とか通帳とか、机の上に置きっぱなしは物騒だから、金庫の中に入れておくね」
ちょっと待ってと声を掛ける前に、重厚な金庫の扉が閉められる。
「暗証番号は麗那ちゃんのナンバー3祝賀会の日にしておいたから」
開けてみて、と庄司が言う。恐る恐る彼に近付いて金庫の番号を押すと、確かに祝賀会の日付に設定されていた。
変に焦って庄司を疑いそうになった自分が馬鹿のように思えた。
「私の洋服は?」
「あ、ごめん。全部洗濯機に入れちゃった。家の中に自分と違う匂いがあるのって苦手で。ごめん」
家庭用の洗濯機で洗えないようなものもあったのだが、と思ったところで手遅れだ。
「でもさ、麗那ちゃんの普段着ってちょっと地味だね。見たことない服がいっぱいあったけど、同伴やアフターの時は僕好みの服にしてくれてたってことなのかな?」
「まぁ…ね」
「今度、僕好みの奴、買ってきてあげるね」
次回投稿は7/23(水)
を予定しております。