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「…麗那さんのような女性とお話するのは、何だかとても新鮮です。こういう仕事をしているせいか、やはりご機嫌取りのような過剰な持ち上げをされる方も多いですが、麗那さんとお話していると、まるで私のことをとても良く理解してくれているかのような感覚になります。お酒にも詳しいですし」
「そんな風に感じでいただけるなんて、とても嬉しいです。でもまぁ、私もこういう仕事なので、お酒には詳しくないと」
「妻は酒に疎いので、余計に魅力的に見えてしまうのかもしれませんね」
ここで先ほど自分で避けた妻の話を持ち出すのか。
何回か瞬きをして、裁矢の顔をじっと見つめる。
目の前の女に心が揺らいでしまったが故の言葉には到底見えない。どちらかと言うと、身内を下げて相手を褒めるような、そんな感覚。
やはり物腰柔らかな優しそうな雰囲気は、この男の仮面なのだろう。
私と同じ。私だって、ずっと「麗那」としての仮面を被って生きている。
そもそもこの世に仮面を被らずに生きている人間などいるのだろうか。皆誰しも、表と裏がある。本音と建前がある。それが客や取引相手ともなれば、決してその仮面が外れることなどない。
ちらりと横目で庄司の卓を見る。他の嬢を呼ぶこともなく、1人で酒を飲んでいる。私が佐々木のところへ行こうとした時、彼は言葉では快く見送ってくれたけれど、本音は引き留めたかったのだと思う。
それもある意味で、庄司が「聞き分けの良い客」としての仮面を被った結果なのだろう。
私も庄司もこの裁矢という男も、お互いに仮面上の姿しか知らない。その裏に隠されたその人の本性を私達は知らない。
佐々木は…この男には仮面などなさそうだ。思っていることは全て口に出ているし、感情の起伏も激しい。表裏がなくて、だからきっと、どんなに鬱陶しくても彼との関係を断ち切ることができないのだと思う。
そんな佐々木が羨ましく思えど、けれどそんな仮面を被って生きることが自分の選んだ道なのだ。そしてそれは、キャバクラ嬢として生きていく限り永遠に続いていく。
「…結婚生活は、楽しいですか?」
気付けばそんな言葉を裁矢に投げかけていた。
今まで結婚に憧れを抱いたことがあるわけでも、今すぐ誰かと結婚したいわけでもない。ただ純粋に、結婚という道を選びそれを今も続けられることに深い興味を感じたのだ。
夜の世界は、皆「幸せな結婚」というものからかけ離れた場所にいる。夜の世界に遊びにくる客も、「家庭」という枠から離れるためにこの場所にやってくる。
だから、裁矢のような人は珍しい。本来であれば、このような世界に紛れ込むことのない人なのだ。
「楽しい、と思うことはもうあまりないかもしれませんね。昔は感じていたのかもしれませんが、今はもうそれが自分の人生の一部ですから」
「それでも、裁矢さんにとって家庭というものは失いたくなくて、大切なものなんですよね。裁矢さん、本当はここへ来たくて来たわけじゃないんでしょう?」
耳打ちをするように、私は小さな声でそう言う。申し訳なさそうに笑う裁矢は、佐々木の手前、言葉で否定することはないが、態度が私の言葉を肯定している。
「私の偏った考えかもしれませんが、こういう場所に自ら足を踏み入れる方は、皆さんどこかに強い渇きを感じている方達です。何かが足りてない。ご家庭があっても、お金を持っていても、その足りない何かを必死で埋めようとしている。でも裁矢さんは、そういう意味でここに来たわけじゃない。きっと私の知らない世界を知っている人だって、ついそう思ってしまって」
「…そうですね。確かに、当たり前になってしまっていて普段は気付きもしませんが、仕事もあって、家族があって、安定があって、それを守りたいと思う感情もある。それって満ち足りていて、幸せなことですね」
これを羨ましいと思うのは、また違うような気がしてしまう。当たり前のような幸せと引き換えに、美貌と大金を手にしてきたのが私の選んだ人生だからだ。
今更これを手放すことができるのかと、本気で考えてしまうからだ。
「だから、妻に不満ばかり言ってては駄目ですね」
おどけたように裁矢がそう言って笑う。
「奥様と喧嘩したんですか?」
「いえ、喧嘩ってほどでは。いつもの愚痴の言い合いと言いますか。ただ、妻はいつも正しい事ばかり言うので、私も大人気なく突っぱねてしまって」
なるほど。だから先ほど、妻の話を持ち出した時に裁矢は苦笑いをしたのか。
日々の些細な喧嘩。けれどそんな喧嘩中に仕事とは言えキャバクラに訪れたことは、彼にとっては葛藤があっただろう。
本当に心からキャバクラという店を嫌悪していたのだとすれば、そういう店だと分かった時点でいつでも帰ることができたはずのに、彼はこの場に居続けたのだから。
「何かこう、頭の中では駄目だってわかってても、どうしてもむしゃくしゃして、例えば、コーヒーの缶を地面に投げ捨ててしまう時ってあると思うんですよ。でも妻は、そんな時でもポイ捨ては駄目だって、ちゃんとゴミ箱に捨てなさいって怒るんです。言っていることはすごく正しい。間違ってない。でも、あまりに潔癖すぎて、情状酌量の余地がない。それに、たまに疲れてしまうことがあって」
「私もたまに煙草を灰皿じゃなくて地面にぽいっ、足でぐりぐりってしちゃうのでわかります。それを怒られたら、ちょっとはこっちの気持ちもわかってよって思っちゃいますね」
「まぁでも、大人気ないのは私の方なので。しっかり話し合わないといけませんね」
その後も裁矢との何気ない日常の会話が続く。気付けば1時間以上経っていて、私は慌てて佐々木に断りを入れて庄司のところへ戻る。
離席する時、裁矢は律儀に軽く腰を持ち上げ、私に会釈をしてくれた。佐々木には強く引き留められたが、裁矢に制されて渋々諦めた様子だった。
これで佐々木の接待が上手くいくかどうかはわからないが、裁矢のキャバクラへの印象は変えることができただろう。
私のできるところまではやれたはず。
卓に誰1人キャバクラ嬢がいないまま時間延長をしていた庄司に、私は深く頭を下げる。
「庄司さん、ごめんなさい。今日は同伴もしてくれたのに、全然時間取れなくて」
「全然。麗那ちゃんが頑張ってる姿を見ながらお酒を嗜んでたから」
無意識に庄司の左手の薬指に目がいく。これは確実に、先ほど裁矢と話していたせいだ。
庄司が結婚していないのは知っている。これほど私に会いにきていて、私に金を使っていて、結婚する余裕もないだろう。
けれどいつか、それは突然やってくる。
結婚するからもう会えないのだと。今まで私に使っていたお金は別の誰かの女性のために使うのだと。だから今日が最後なのだと。
実際は最後すらないのかもしれない。突然、私達の関係はなかったことになる。庄司がもう二度と店に訪れず、何の連絡も取れなくなってしまったら、そこで全て終わってしまう。
そんなものは悲しいと、何故か心が強く揺さぶられる。そんなものこれまで一度も考えたことなどなかったのに。
けれどどう転がっても、庄司と私の関係は客と嬢だ。庄司も嬢としての私の方が華やかで好きだといっていた。
裁矢夫妻のように仮面を脱いで自分の思いをぶつけ合えるような関係になることなど、夢のまた夢だ。
そもそも私がこの男に抱いている感情は恋ではない。私はこの男に心がときめいたことなど一度もない。
ただ、長年ずっと私を支えてくれていたこの男であれば、私のこの仮面の裏も認めてくれるのではないかという淡い期待だ。
この先ずっと、「麗那」として生き続けることは不可能だ。歳を重ねていくうちに、確実にどこかでキャバクラ嬢としての限界が訪れる。それなのに、出会いの場など存在しない。社会人としてのキャリアもなくまともな金銭感覚などとうに失ってしまっているせいで、普通の会社員として働く未来も見えない。
私の生きる世界は、終わりの見えたこの夜の世界しかない。その現実にとてつもない不安を抱く。だから、そこから掬い上げてくれそうな庄司に擦り寄りたいだけ。
「…麗那ちゃんは結婚に興味あるの?」
次回投稿は7/19(土)
を予定しております。