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「佐々木さん。ごめんなさい。お待たせしました」
庄司からその話を聞いた時、最初は耳を疑った。庄司は到底高給取りには見えなかったからだ。実際、自分は金持ちだと見栄を張り、多額の借金をしてまで嬢に貢いでいた男も知っている。庄司もその類なのだと、最初はそう思っていた。
けれどどうやら、彼は本当に仕事ができる人間のようだ。
仕事の電話を英語でしていたのを聞いたことあるし、繁忙期と呼ばれる時期にはこちらから会いたいと言っても音沙汰が無くなる。
何より、庄司は会計の際に黒色のクレジットカードを利用していた。
「どうしようかな。麗那は一旦、裁矢さんの横に座ってもらっていい?」
佐々木が空いた座席を指し示す。
言われるがままにそこへ腰を下ろそうとすると、「裁矢さん」と呼ばれていた男性と目が合う。
こういう場所はあまり慣れていないのだろうか。裁矢は気まずそうに視線を逸らして、椅子に深く座り直す。
とりあえず名刺を取り出す。「麗那」としての笑顔の仮面で、彼に笑いかける。
「麗那です。はじめまして」
もう一度、裁矢と視線が合う。顔も見ずに名刺を貰うのは、失礼だとでも思ったのだろうか。
「ありがとうございます。裁矢と申します」
手渡した名刺を丁寧に机の上に置いて、裁矢は自分の名刺を取り出しながら言う。
慌てて名刺を受け取って、私はその小さな用紙に視線を落とす。
その業界に詳しくなくても、誰でも一度は名前を聞いたことがあるような大手のハウスメーカーだ。肩書は、課長。最後に「裁矢賢一郎」という名をなぞるように見て、私は顔を上げる。
私が商談相手なわけでもないのに、律儀な人だ。
引き攣った笑みを向ける裁矢の顔をじっと見つめる。
すらりとした体格で、手足が長い。おそらく身長が高いのだろう。それでいて肩幅があって筋肉質に見えるのは、何かスポーツをやっているからだろうか。真面目で誠実そうな雰囲気が漂っていて、容姿も良い。きっと女性にモテる。
キャバクラに通い詰めるようなタイプの人間には到底見えない。
ちらりと視線を裁矢の左手の薬指にやる。
やはり結婚指輪をしている。こういう場だからと言って外すこともしていない。
だから、これは明らかに佐々木のミスだと思った。佐々木は「こういう接待」しか知らないのだ。どんな相手であろうとキャバクラに連れてきて、酒や女で気分を良くさせようと考える。
だがそれは、酒や女が好きな相手だから通用するのだ。
裁矢は明らかにそういうタイプではない。
誰にも気付かれないように、私は小さく溜息をつく。
佐々木の手助けをしようなどと、そんなことは到底思うことはできない。もしこの接待が失敗に終わろうと、下世話な接待しかできない彼の能力不足が招いた結果で、私の知ったことではない。
だが。
少しだけ膝を裁矢の方へと向けて、遠過ぎず近過ぎない距離を保つ。甘えた声も谷間も過度なお世辞もいらない。色気付いた雰囲気をできる限り消して、けれど愛想だけは忘れないように気を付ける。
「裁矢さんは、普段からよくウイスキーを呑まれるんですか?」
佐々木が私をここに呼んだのは、おそらく自分の失態に気付いたからだ。裁矢をこの店に連れてきたのは間違いだったと、勘付いてしまったから。
裁矢とは違うもう一人の接待相手は、もう嬢の体に触れてしまいそうな程この世界観にどっぷり浸かってしまっている。彼にはこの店は最適案だった。
だが、裁矢にとっては違ったようで、佐々木が何とかそのリカバリーをしたいのだとすれば、本命は隣の男ではなくて裁矢ということなのだろう。
隣の男の方が裁矢より年上に見えるが、決定権は裁矢にある。裁矢の立場は年下上司といったところか。
裁矢は出世頭。仕事もかなりできるのだろう。それでいて、他の女性の前で結婚指輪を外さない愛妻家。年齢的に子どももいるだろうか。
佐々木は、私がこの一瞬でそこまで裁矢のことを分析できると知っている。それでいて、自分のミスを帳消しにしてもらい気持ちよく帰ってもらおうと言うのが、あの男の魂胆だ。
佐々木は、私にそれができると信じて疑っていない。
助けたいわけではない。けれど、そこまで私を買ってくれていることに、悪い気はしない。
佐々木のことを横目で見て、これは貸しだからね、と心の中で呟く。
「そうですね。お酒は好きで、よく家で晩酌をします」
「奥様と?」
裁矢が少し驚いた顔をする。私が結婚指輪に視線を向けると、彼はあぁ、と苦笑いを見せる。
「いえ、基本的には一人で。つまみは作ってもらいますが」
苦笑いの意味は何だろう。妻帯者でありながらこのような場所に来てしまったことへの罪悪感からだろうか。
どの道、家族の話を掘り下げることは避けた方が良さそうだ。
「家では何を呑まれるんですか?」
「最近はアイラ系が多いですね」
「あのスモーキーな香りがするやつですね。正露丸、なんて言う方もいますけど。あの個性をクセになるって思える人って、本当にウイスキーがお好きなんだなぁって思います。ちなみに、ラフロイグ派ですか?それともボウモア派?」
「さすが、お詳しいですね。どちらかと言えばラフロイグです。クセが強い方が好みで」
「あら、残念。私はボウモア派です。強すぎないアイラって感じが安心するんですよね」
「ボウモアも好きですよ。でもこう、さっき貴方がおっしゃったように、個性的なものってクセになるんですよね」
話ながら、裁矢は先ほどよりは多くの酒を喉へと流し込む。
「ラフロイグって好き嫌いがはっきり分かれるウイスキーですよね。裁矢さんは、そういう評価が割れるものに惹かれるタイプだったり?」
「確かに、そうかもしれません。他人の好みにあまり振り回されたくない、というか」
「あぁ、なんかわかります。わかる人だけわかればいいっていう価値観、ですよね」
「まさにそれですね」
この男は、見た目は物腰の柔らかい雰囲気だが、意外と「クセのある」性格なのかもしれないと思う。けれどそれを決して表には出すことはない。
「お酒って、その人の考え方が見えますよね。スッキリしてるのが好きとか、クセがあるのが好きとか、あえて飲みにくいものを好むとか。どういう自分でいたいかが、そこに表れてる気がします」
「それは面白い見方ですね。……麗那さん、心理学とか勉強されているんですか?」
机に置かれた名刺をちらりと見て、裁矢はそう言う。
名前を呼んでくれたということは、最初よりは警戒心が薄れてきたのだろうか。
「いえいえ、ただの職業病です。お客様の好みを通して人となりを観察するの、癖みたいになっちゃってて」
裁矢が照れくさそうに笑う。眉を下げて微笑むその姿は、一般的な女性をいとも簡単に虜にするのだろう。
「何か、心の中を見透かされているみたいで恥ずかしいなぁ」
「私の勝手なイメージですけどね。でもやっぱり、アイラ系を選ぶ方って、強い信念がある方が多い気がします」
次回投稿は7/16(水)
を予定しております。