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その菜穂子の物言いは、まるで裁判官だ。
被告人達へ死刑判決が下されたから、彼らは死んだ。殺された。
いや違うのか。死ななければならなかった、か。菜穂子にとって、「殺した」ことと「死刑判決が下された」ことには雲泥の差がある。
「随分と重い判決だな。法科大学院に通っていたあんたなら、その判決が不当だと分かるはず」
「そうですね。現実は、最も罪の重い被告人裁矢賢一郎であっても実刑10年程度に落ち着くのでしょう」
菜穂子が法科大学院に通っていたのはもう15年ほど前だ。それにしては鮮明な記憶だ。
彼らを殺す前に、正当な判決が下された場合の量刑を調べていた。そう考える方が納得がいく。
「わかっていたなら尚更聞こうか。どうして、死刑じゃないと駄目だったんだ」
「死刑判決を下さなければ、誰があの人達を真っ当に裁きましたか?」
迷うことなく、菜穂子はそう答える。
その物言いは、復讐心とも読み取れる。司法では納得のいく判決が下されないから、自分で判決を下したのだと。
例えば、裁矢賢一郎に下された強制性交等罪という判決。被害に遭った本人にとっては、犯人を殺してやりたいくらい憎むだろう。けれど司法は彼に死刑判決は下さない。菜穂子が言っていたように、実刑判決7年が良いところだ。
被害者にとってその判決は、決して納得ができるものではない。
「憎いから、殺したのか」
少なくとも、夫賢一郎に対してこの女が抱いていた感情は憎しみだ。
「殺してなどいません」
「どれほど自分を正統化しようと、お前のしたことは紛れもなく殺人だ」
菜穂子にぐっと顔を近付けて、審馬は言う。その美しい顔を間近で見ながら、感情的になりそうな気持ちを何とか抑えつける。
この取調は、先に取り乱した方が負けだ。先に感情が強く揺さぶられた方が、相手のペースに巻き込まれて終わっていく。
良い女だ。どれほど憎かろうと、この女はずっとその憎き相手に抱かれ続けていたのだ。
身を引くことも怪訝な顔をすることもなく、菜穂子はそのままゆっくりと首を傾げる。その表情は相変わらず、自分の何が間違っているのかわからないと語っている。
「でも貴方方は、死刑を殺したとは言わないでしょう?」
そんな菜穂子の言葉に、審馬は思考回路が一時止まってしまったかのような感覚に陥る。
あぁ、これが、裁矢菜穂子という人間の根底にある概念なのだ。
司法は「死刑」を「殺人」とは呼ばない。誰かを殺していることは紛れもない真実であるのに、全く別のものとして考えられている。
それは、刑法199条などに基づき、殺人は私人による故意の生命侵害行為とみなされ、死刑は国家権力によって法の手続きに則って行われる生命剥奪とみなされるからだ。死刑は正当な刑罰とされるため、違法性も責任も問われることはない。
だから法律用語上、「殺人」と呼ばれることはない。
命を奪うという事実は同じでも、誰が、どういう権限で行ったが倫理的免責の分岐点になっている。
「死刑」は、人の命を奪う行為が正当化された「正義」なのだ。
皮肉にも、それは社会的の風潮としても強く印象づけられている。マスコミも一般市民も「死刑執行があった」と言うことはあっても「誰々刑務官が死刑囚誰々を殺した」とは決して言わない。社会全体に、それは殺人ではないのだと言う合意が形成されている。
語彙の選択によって、死を「裁き」や「償い」として扱う言語コントロールが行われている。
菜穂子の問いは、この国家による殺人の道徳的正統性を根底から問うている。
もし国家が命を奪って良いのなら、私人が「正義のもとに裁いた」と主張することは、一体何が違うのかと。
体を椅子の背もたれに預けて、審馬は大きく溜息を付く。
自分であれば、この女の壁をすぐにでも崩せると、そう高を括っていた。その慢心に今更気付かされる。
だが、役立たずは自分も同じだったようだ。
この美しき殺人鬼の言葉は、あまりに全うで道理を得ている。
だが。
「…どうして、国家が死刑を殺人と呼ばないか、わかるか」
菜穂子が審馬の顔を見つめたまま瞬きをする。わからないと言うよりは、ただ審馬の答えを待っているようにも見えた。
「国家であれば好きに人殺しをして良いわけじゃない。誰かが勝手に裁いて良しとされる社会を防ぐために、国家だけがその役割を背負っているんだ」
果たして、菜穂子に審馬の言葉の意味することがどこまで伝わるだろうか。
全てでなくてもいい。その僅かでも彼女の心に届けば、それが突破口になる。
菜穂子からごくりと唾を飲み込むような音が聞こえた気がした。視線は相変わらず審馬を真っ直ぐ捉えているけれど、感情の見えなかったその瞳の中に何かが宿るような感覚を抱く。
「それが、この日本が法治国家であるということだ」
この女の壁を崩すことができる。その確信が審馬の中に生まれる。
短い期間で3人も殺すのは並大抵のことではない。必ずこの女の中には、隠れて見えない強い感情がある。それが、この女を導いている。
決して、「精神疾患を患った頭のおかしい殺人鬼」だけではないはずなのだ。
「…家庭は、国家のようなものでしょう。誰かが統治しなければならない」
けれどすぐに、彼女の壁は固く閉じられる。
やはりそう簡単に崩すことはできないか。あまりに簡単でも面白くない。
机の上のバインダーを手に取り、審馬は立ち上がる。
「少し休憩しましょう。昼飯を準備させます。続きはその後で」
その頃には、参考人としてではなく、容疑者としての立場になっているだろうが。
菜穂子を残して取調室を後にする。監視室に戻ろうとすると、今まさにそこから出てきた四方と目が合う。
「7割の出来だな」十二分の取り調べだったとは自分でも思っていないが、四方に言われると腹が立ってくる。「でも、裁矢菜穂子には響いただろう」
「これでも、ただの頭のおかしい殺人鬼だって主張するか?」
「いや、実に冷徹で整合性の取れた犯人だ」
「あの女、少し動揺していました」四方の後ろにいた東が言う。「あのまま退席せずに突き詰めるべきだったのではないですか?」
「確かに、それも一理だ。知性の高い論理構築型の犯人は、とにかくしゃべらせて話の矛盾点や心理的疲弊感を誘い出すのがベターだからな。無能の割にはよく勉強している」
「無能は否定しませんが、余計です」
バインダーを東に渡しながら、審馬は一息ついて言葉を続ける。
「だがな、自己正当性が高い奴は、考えさせる時間があればあるほど、その空白の時間がその人を追い詰めていくんだ。自分の中で揺らいでしまったものと、向き合わずにはいられないからな」
東達に背を向けて歩き出す。
犯人としての菜穂子と向き合った時、まずはどこから攻めていくべきか思考を巡らせる。
一筋縄ではいかない戦いになるだろう。相手を突き詰めていけばいくほど、こちらの神経も擦り減っていく。
けれどそうして正面からぶつかっていかなければ、あの女の正体は暴けない。
「係長。さっきの話の続き、聞かせてもらってもいいですか」
聞こえぬよう四方にこっそり尋ねたのだろうが、東の声は審馬の耳まで届いてくる。
「さっきの話?」
「あの、審馬さんが裁矢菜穂子に執着する理由の話です」
「あぁ、あれはな、多分、裁矢菜穂子に執着してるってわけじゃないと思うんだよ」
「と、言いますと」
「審馬が固執しているのは、裁矢菜穂子ではなくて、裁矢菜穂子の犯行の動機だ」
「犯行の動機、ですか」
「あいつが本庁でなんて呼ばれていたか知ってるか?」
「いえ…」
「動機の墓守。何故そうしないといけなかったのか、どうしてその人だったのか。自ら手を下さないといけない程その人を揺さぶった感情は何なのか。それを明らかにしないと気が済まない。異常なまでに動機を追い求める、それが、審馬匠という男なんだよ」
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次回投稿は7/5(土)
を予定しております。