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小説の更新情報は下記の傘花SNSよりご確認いただけますm(_ _)m


Instagram:@kasahana_tosho

 子どもの元気は嬉しく思えど、心の内のそわそわとした感覚は変わらない。


 根負けした父親が、子どもと一緒にベンチに座る。子どもがアイスの包装を開けてほしいと父親にせがんで、父親はそれをまた面倒臭そうに開ける。


 クッキー&クリーム味のアイスクリーム。子どもはいつも、これかオレンジ味のシャーベットを美味しそうに食べている。


 無我夢中で子どもはアイスを頬張っている。口元はすっかりアイス塗れになっていて、そこからゆっくりとアイスが垂れていく。


 ーーーアイス、美味しい?


 母親がハンカチを片手に、子どもの口元を拭いている。呆れながらも笑って、子どもにそんな言葉を掛けている。


 ーーーうん、美味しい。ハルト、このアイス大好きなんだよ。


 瞬きをする。ベンチに座っていた母親は消え失せていて、そこには父親が座っている。


 アイス塗れになっている子どもの口元から、ゆっくりとアイスが垂れていく。それはやがて、雫となって子どもの着る制服へと落ちていく。父親の視線は携帯に注がれていて、そんなことには気付きやしない。


「ねぇ、落ちた」


 子どものそんな言葉に、父親は携帯の画面を見つめたまま「え?」と答える。


「アイス、落ちた」

「えっ」


 父親が慌てたようにベンチの下を見る。どうやら、子どもの拙い言葉のせいで、アイスを床に落としてしまったのだと勘違いしたようだ。


「違う。ここ」


 子どもが自分の制服のズボンを指差す。そこに広がる小さな染みを見て、父親は「何だ。びっくりした」と言う。


 そんな光景はその日から1ヶ月、毎日のように見るようになった。時刻も大体19時頃。たまに20時を過ぎて見かけることもあり、そんな日は父親も子どもも疲れ切ったような顔をしていた。


 1ヶ月経っても母親の姿を見ることはなかった。父親のワイシャツには暫くの間アイロンが掛かっていなくて、日に日にやつれていくような雰囲気すら感じる。


 そんな父親の姿は、妻に見捨てられた夫の末路のようにも見えた。


 この男は、あの妻に捨てられてしまったのだろうか。私のように、ある日、突然。 


 今までの人生、他人に同情したりどうしようもなく共感してしまうこととはおおよそ無縁に生きてきた。日々の仕事に忙殺され、自分以外の人間を気遣うことなど到底できやしなかったからだ。


 そんな私が、今、自分でも想像もできなかった程、この男の心の内がわかるような気がしている。


 何故、もっと妻の話を聞こうとしなかったのか。何故、彼女の言葉の意味を理解しようとしなかったのか。何故、彼女がそこにいることが当り前だと思っていたのか。


 失って初めて、その大切さに気がつく。そして気付くからこそ思うのだ。


 私は妻を心から愛していたのだと。


 男は駄目な生き物だ。愛は言葉にしなければ伝わらないというのに。


 せめてあの家族には私と同じような末路を辿って欲しくなかった。けれどそれからも、母親が姿を見せることはなかった。


 アイスの自販機から目を逸らす。もう私は彼らを見てはいられなかった。


 私は今日も、ショッピングカートを移動する。自販機を見ないようにしながら、上から下へ、下から上へとひたすらショッピングカートを動かしていく。


 季節はすっかり冬を迎えていた。冬休みの子ども達が、昼間からフードコートに居座って楽しそうにゲームをしている。


 冬であれどアイスの売れ行きはそこそこ快調だった。店内は外の寒さなど微塵も感じられないほど温まっていて、故に皆、アイスの自販機の前に自然と集まっていく。


 子ども達の笑い声が店内に響く。そんな楽しげな声に混ざって、赤ん坊の泣き声も聞こえてくる。


 私は気にせずカートを押しながら歩く。数人の子ども達がアイスの自販機から走り去って行く。走ると危ないよ、と心の中で彼らの背中に注意する。


 子ども達の背中をじっと見つめて、何も言えないまま目を逸らす。


「ママっ!」


 そんな言葉が耳へと届いて、私は思わず手を止めた。


 それは、空耳だったのだろうか。


 自販機の方から聞き覚えのある声が聞こえた気がした。ゆっくりと視線を動かし、目に飛び込んできたその光景に、私は目を見開く。


 例の子どもがいた。アイスの自販機の前で、このアイスが欲しいとせがんでいる。そのすぐ傍にいたのは、あの母親だった。 


 母親が「どのアイス?」と子どもに聞いている。子どもの手をぎゅっと握ったまま、2人で自販機を見つめている。


 いや、3人だ。母親の胸の前で、まだ生まれたばかりの小さな赤ん坊が泣いている。


 強い想いが込み上げてくるようだった。その想いは涙となって私の頬を伝う。


 気付けば大人気なくおいおいと泣いていた。近くを通り掛かった同僚が怪訝な顔をしていて、けれども涙を止めることはできなかった。


 良かった。本当に良かった。あの家族はまだそこにあった。無くなってなどいなかった。


 母子が自販機の傍のベンチに座ってアイスを食べている。2人でそれぞれ違うアイスを食べて、分け合いっこしている。子どもの口元からアイスが垂れると、母親はそれを直ぐにハンカチで拭う。


 いつの日からかずっと心待ちにしていた光景が、そこにはあった。


 涙を拭う。さぁ、自分の仕事をしなければと、カートを押す手に力が入る。


 カートを所定の場所に移動して、私はその場を後にしようとする。けれどすぐに足を止めた。ぐっと拳を握り締めて、後ろへと振り返る。


 それは、ずっと心に決めていたことを実行するためだ。もう自分の人生を後悔しないために、一歩を踏み出し、母子に声を掛けようと決意する。


「…あれ?」


 だが、そこにいたはずの母子の姿はもうなかった。先程までそこでアイスを食べていたはずなのに、自販機の周囲は静まり返っている。


 まるで、最初からそこには誰もいなかったかのようだ。


 首を傾げる。確かにそこに、ずっと求めていた母子の姿があったはずなのに。


 それは、私が抱いていた幻想だったのだろうか。ずっと私は、そこにありもしない幻影を見ていたのだろうか。


 子どもたちが走り回る音が頭の中で反響する。どこかで、赤ん坊の泣き声がする。


 踵を返す。


 私は今日も、変わらぬ日常の中でショッピングカートを移動する。



 ※ ※ ※

次回投稿は6/25(水)

を予定しております。

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