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エイドスの地  作者: 黒石迩守
第二部 月も登らない空の下で
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幕間Ⅰ:ベリカ・フィロ

 かつて、〝独占戦争〟と呼ばれた戦争があった。


 旧文明が混沌ケイオスに呑みこまれ、人類が新たな文明を築き始めた黎明期。人類の生存圏は、いくつかの環境建築物アーコロジーの都市群から再出発していた。


 環境建築物アーコロジーはスフィア・ドライブから情報を引き出した技術者たちの手により構築され、維持運営されるものだ。都市の外では生きられない人々にとって、環境建築物アーコロジーの庇護は命そのものと言っても過言ではない。ここには明確に生存の資本関係が存在し、技術者たちが被支配者の生殺与奪を握るのも、自然な流れだった。


 情報を自在に扱える者こそが強者である――これが今日に至る、技術支配時代の嚆矢こうしだ。


 そして世の常として権力を持つ者が次に求めるのは、更なる権力――すなわち、技術力と情報であり、各都市はスフィア・ドライブに眠るデータを独占しようとした。


 その結果、鋼鉄のぶつかりあいで火花を散らすように、戦争は起こった。


 しかし、各地で戦争の勝者たちが出揃う頃には、彼らの技術力は拮抗し、複数の皿を持つ天秤の上で各勢力は平衡となり、戦争は冷たくなっていった。もはや都市とは呼べないほどに大きくなりすぎた組織は、お互い戦争に疲弊して自己管理すら難しくなっており、暗黙のうちに一つの妥協案を共有する。


 それは、現有する領土の相互承認――スフィア・ドライブ上のデータ領域に論理区画パーテイシヨンを組み、それを各組織の固有領土として、国家の承認を与えあうことだった。そうして成立した国家は、保有するデータ領域の大きさから序列がつけられている。


 これが序列国家の始まりだ。


 序列国家の成立によりローカル領域ができあがったが、それはスフィア・ドライブのすべてをカバーしているわけではない。未だに領有権の空白地帯は存在しており、各国はその領域を掌中に収めようと虎視眈々と狙い、過去の冷戦を引きずっているのだ。


 この歴史の延長線上にある現代、軍備放棄をする平和主義国家が生まれる余地はない。各国は、外交の場では満面の笑みで腹の探りあいをしながら、軍拡競争に注力している。結果的に、世界には軍国主義ミリタリズムが浸透し、戦争するための武力が求められるようになった。


 そしてそれはルクスリアも例外ではない。


 数百年前、突如として国の根幹である概念コンセプトのしきが姿を隠した。それ以来、ルクスリアは主導者を失っている。しかし、それでも国家基盤の運営をしきは続けており、他国に侵略されるような隙を見せていない。しきが、決して国を捨てたわけではないと、国民は理解している。


 しかし、国の運営方針や政策については口を噤み、どれほど恭しく出座を請願してもしきは沈黙を貫く。そして、それを〈官能〉の国に住む人々はこう解釈した。


 ――真に自由な〈官能〉のために、あえてしき様はお隠れになったに違いない。


 規律や規範の元では制限が生まれる。その束縛下で、どうして正しく〈官能〉が得られるというのだろうか? しき様は我々を慮り、お隠れになられているのだ。


 何とも衝突せず矛盾なく受け容れられるこの思想は、すぐに主流となり、自然と国内の有力者――技術力を持ち、他と隔絶した〈官能〉の体現者が、国の方向性を定める席に座ることになった。


 ルクスリアにはちょうど、そのために最適化された指標があったからだ。


 官能の等級(センソリー・グレード)


 全国民の動向を把握するしきにより作られた、種々の〈官能〉の中で秀でたものを持つ国民に対し、付与される等級制度だ。グレードを与えられるのは、国そのものである概念コンセプトに、自身が体現する〈官能〉が認められたことを意味している。最高等級のグレードSに至っては、重要無形文化財保持者――余人をもって代えがたい国の至宝だ。


 そして軍国主義ミリタリズムが根差すゆえに、ルクスリアの指導者層も他国の例に漏れず軍人だ。他の国と異なる点と言えば、軍という組織の性質に親和性の高い、〈闘争〉の官能の等級(センソリー・グレード)を持つ者が力を持つことだろう。


 暴力装置すらも〈官能〉と見なす国。それがルクスリアだった。



 適性試験の観賞用VR空間に設けられたVIPルーム。室内には大人数が座れる楕円の会議用テーブルが置かれ、中央には試験の様子を映しているスクリーンが中空に投影されている。


 テーブルの席のうち、軍の総司令官が座るはずの上座は空席だ。


 ルクスリアには二つの都市があり、それぞれの都市を軍事司令官が統治している。そして、その両都市を統轄するのは本来しきであるが、今はどこかに身を潜めている。その状況下で、しきに次ぐ地位を持つ者を選ぶのは憚られるという不文律があるため、ルクスリア軍には総司令官たりえる大将の階級を持つ者がいないのだ。


 その上座の右席に、一人の女が座っている。


 細くて量が多く長い金髪を、手の込んだノットヘアーに結って、背中に一房垂らしている。繊細で美しい容姿をしており、品位と気高さを感じさせるが、それ以上に鷹のような鋭い碧眼が印象的な女だ。


 彼女こそ、第二都市カプラの軍事司令官を務める、〈闘争〉のグレードSたるベリカ・フィロ少将――事実上のルクスリアの最高指導者の一人だ。


 VIPルームには、ルクスリアのシンボルカラーである赤色を基調とした軍服を着込んだ将官たちが集まっている。ベリカはその中でも一際若い上に、男所帯の軍の中では更に目立つ紅一点だ。


 将官たちの視線は、ナンバリングされた立体映像ホログラフイのスクリーンに注がれている。そこには戦闘服を着込んだ少年少女たちの殺しあいの様子が映しだされていた。将官たちはそれを観ながら、作物の出来栄えを確認する品評会染みた意見を、談笑を交えながら飛ばしあっていた。


 その中で、一人だけベリカは退屈そうに頬杖をついていた。


「フィロ少将。あなたが()()を好きではないのは知っていますが、せめてもう少し上手く表情を隠したらどうですかね?」


 隣から、同じくカプラの司令部に所属する将官が話しかけてきた。レーム・ダッカー准将だ。肥満気味の中年の口調は、鬱陶しく粘っこい。VR空間だというのに、口から生臭さが臭ってきそうだ。


 ダッカーはVRで使用するアバターの体形を誤魔化している。本人は少しだけの調整のつもりで周囲に気づかれていないと思っているようだ。しかし、彼の生来の傲慢な虚栄心は自制が利かないらしく、不自然に自分の見目を良くしすぎている。その僻みきった性根に付随している贅肉をいくらスリムに見せたとしても、心底から腐臭を漂わせるような印象は拭えない。


 ベリカはダッカーを見向きもせずに言う。


「ダッカー准将、私はこれが『好きではない』のではないのだよ、明確に『嫌い』なのだ」


 はぁ、と溜息交じりに彼女は続ける。


「これを観賞する今この場のどこに〈闘争〉があると言うのだ。これならば、私の部下と学生奴隷を戦わせたほうがよほど有意義だ」


 ルクスリアの国軍は、国民の中から軍属になる者もいるが、一番多いのは〈闘争〉の官能の等級(センソリー・グレード)を持つ者が圧倒的だ。そして軍の上層部の多くは、軍人家系の出身者が占めている。ベリカ自身も名門の出であるし、ダッカーもそうだ。


「何を言いますか。学生奴隷たちが互いに戦い、生き残った者の中から優秀な者を選び、軍備奴隷にする。これは十二分な〈闘争〉ではありませぬか! あまつさえ、余計な奴隷たちの数を調整し、軍に不要な駒は国民たちの労働力として還元される。しき様が作りあげたシステムは実に合理的だ。貴方はそれを否定なさると? いささか不穏当な言動では?」


 あぁ、面倒臭い――ベリカは、今ここで隣のデブを殴り倒したらどうなるだろうか、と一瞬、拳に力を込めた。しかしすぐに、アバター相手には無意味だな、と虚しい想像で時間を無駄にしたことを自戒する。


 ダッカーは、自分のような小娘がカプラの司令官の席にいるのが疎ましいらしい。しかし、ベリカは自らの能力で登りつめた地位と残した功績は、己に相応しいものと自負している。それを奪おうという〈闘争〉を仕掛けてくるのならば、当然彼女は歓迎する。しかし、家柄の七光りだけで生きてきた相手では、殺がれる興すらあったものではない。子供のような癇癪で突っかかれては、幼稚すぎて張りあう気も起きなかった。


「観賞は〈闘争〉ではない。実践し、実戦でなければ。我が国の概念コンセプトは、国家の運営者として優秀であるのは確かだ。まぁ、我々人間からすれば、異相知能ヘテロインテリがそうでなくては困るが。だがしかし、国家の体現者として概念コンセプトに選ばれるルートは、我が国では常に性欲に近しい者だ。しき様は、元来〈官能〉の概念コンセプトなのだから、それは致し方あるまい。だがそれは、〈闘争〉の本質とは異なるのだよ」

「本質」


 たるみ切った顔の皮下脂肪で、嫌味を芸術品にしたような醜い皺を作りながらダッカーは言う。


「さすがですな、国宝級(グレードS)は。我々のような凡夫とは見ている世界が違うらしい。その〈闘争〉の世界は、さぞかし芳しい血の臭いがするのでしょうな」


 皮肉たっぷりなダッカーの言葉も意に介さず、ベリカはしれっと答える。


「当然だ。だから貴方は三流(グレードC)なのだ、ダッカー准将」


 例年通りの立体映像ホログラフイに映しだされる少年少女の殺しあいを、ベリカはぼんやり眺める。あぁ、心底面白くない。もったいない。殺しあうならば自ら戦場に赴きたいものだ。益体なく思っていると、いつの間にかダッカーはいなくなっていた。


「……つまらん。喰いつく牙もないのか」

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