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エイドスの地  作者: 黒石迩守
第二部 月も登らない空の下で
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戦場

 チアの死体を、イフルズたちは置いて行くしかなかった。


 せめてもと、バックパックの中にあったブランケットを被せた。その簡易的な埋葬は、彼女を想ってのことだけではなかった。悼むことで痛みを誤魔化す原始的な感情。痛覚は肉のものだ。だがしかし、はっきりと感じる目を逸らしたいという思いは、決して物質的ではない。


 チアに用意されていた装備品は、可能な限り全員で再分配することにした。


 銃器はすべて使用者が未登録だったので、各々で自分を管理者に設定し、初期化した。


 銃の認証機構にはCEMが使われている。そこに己の情報基ベーシツク・コードを登録することで、銃器の中に自分が居座り、新しい身体ハードとして認識される。個人という事象の最小情報を符号化した情報基ベーシツク・コードは本人しか生成できないので、クラックされない限りは他の人間に銃は使えない。


 同時に、いざというとき他の仲間の武器を使えるよう、班内でも銃の認証をペアリングしておいた。ここまでは、授業で習った基本的な武器の取り扱いだ。思えば、汎用的な奴隷になれるようにするためなどと説明されていた、奴隷学校の広範な教育は、こんな試験があるからだったのだろう。


 念のため、持っていけないチアの銃器も初期化しておいた。管理者の設定は、ビブルがした。


 スタート地点となった小部屋を出るのは思ったよりも簡単で、誰と遭遇することもなく、すんなりと屋外に出られた。


 チアが死ぬ直前に言っていたように、外は市街地戦用の演習場になっている。イフルズたちがいた場所は、五階建ての小さなテナントビルだった。一階はカフェテラスになっているが、当然ながら客はいない。電灯の点いていない薄暗いカフェは、廃業に追いこまれた店が持つ、独特な郷愁にも似た虚しさを放っていた。まるで実物大のジオラマのようだ。


 カフェの表通りのストリートは左右のどちらを見ても長く綺麗に続いている。周囲の建物にはAR看板がある。視線入力に反応して店の情報がポップアップしたが、何も書かれていない。店名だけが設定された張りぼて。どうやらここはオフィス街として設定されているらしい。


 街は酷く静かで、空気の流れすら感じない。生活感のない完全な孤立空間。ゴミも落ちておらず、雑踏の都市臭さもしない。綺麗に区画整理されたお手本のような都市構造だ。ただ、その規模が馬鹿らしくなるぐらいに大きい。一つひとつ丁寧に設定されているAR看板が、逆にゴーストタウンを誇張していた。


 イフルズは空を仰ぐ。地下の天井からは、見慣れた人工太陽の光が射していた。少なくとも、今は昼間らしい。もっとも、この試験用の時刻設定かも知れないのだが。首輪のせいで、KUネットと標準時刻同期が行えているか判断できない。VRPDの自分でもわかるほどに、あからさまにアクセスが制限されている感覚があった。


 訓練された通りの動きで、イフルズたちはゴーストタウンを警戒移動する。皮肉にも、状況に対して身体はよく動いてくれた。自然と視野が警戒すべき箇所を捉えつつ、アサルトライフルの構えも正しく行えている。


 街のストリートを左に数ブロック進んでみても、他の班とは遭遇することはなかった。とりあえずの安全は確保できているだろうと判断して、近くの路地裏に入り、小休止と状況整理をすることにした。


「ネットは?」


 無意識に自分の首輪を掻きながらイフルズは訊いてみた。


「繋がりませんね。というよりも、首輪が経路選択機ルータのようになっていて、アクセスが制限されているみたいです。内部イントラネット化されてます」


 とん、とビブルが首元を指で軽く叩きながら言った。その顔は、チアが死んでから空白ブランクのままだ。


「お前なら突破できるんじゃないか? アクセス制限とはいえ、ルーティングされてるだけだろう。KUネットは量子的な脳波通信なんだから、量子チャネルの完全な切断は物理的に無理だ」

「かも知れませんが、その瞬間に僕の首が爆発するでしょうね」


 ビブルはしれっと言った。空恐ろしい言葉にシュヴァが顔を顰める。


「これ、爆薬入りかよ」

「指向性の、ですね。第四頚椎から上下に綺麗に吹き飛ぶと思いますよ」


 ご丁寧な解説どうも、とシュヴァがうんざりとした顔で首をさすっていた。刃物を見ていると悪寒がする類の、ある種の恐怖症じみた想像だろう。自律神経のアンバランスさだ。


「それって、首輪の中にあった情報?」


 ノーンが訊く。今この中で、一番情報を収集できているのはビブルだからだろう。それは何かに集中することで何も考えないという禅的な逃避だ。だから全員、とりあえず空白ブランクなビブルに問いかける。そうすることで、彼も、自分自身も一過性の不安からは逃げられるからだ。全員、考えることで現実から逃げていた。あるいは、それは素直な生存本能だろう。


「そうです。番犬ウオツチドツグプロセスがいました、解析までは許してくれるみたいですね」

「首輪の中の番犬かよ、いいセンスしてるぜまったく」


 シュヴァが毒づいた。いつでも首を噛み切れるように大顎を開けている狂犬がいると思うと無理もない。何かで見たことがある冥界の番犬ですら三つ首だというのに、この番犬は一体いくつの首で自分たちを見張っているのだろう。


 それで――行き詰った状況に、やや冷嘲気味にイフルズは言った。


「まずはどうする? ネットは接続できない、街は広すぎ、敵は見えない。つまり何も判らないってことが解ってる」


 いや、とありがたいことにノーンが否定的に応えてくれた。


「思ったよりも情報はあるよ。最低限、この試験の規模ぐらいは」

「それって受験生の人数?」


 トレスの問いに、ノーンは首肯する。


「そう、確かぼくたちの期生は三五〇人ぐらい。で、ぼくたちは七人一組の班に分けられていた」

「五十班程度、か……小隊か中隊ができるな」


 頭を掻きながら、シュヴァがぼやいた。ビブルもそれに同意する。


「放っておけば自然発生するでしょうね。問題は、()()()()()()、ということです」

「じゃあまずは地図だな。地図がないと、戦闘単位の動きもわからねぇまま、沼地に嵌っちまう」

「あるのか?」


 イフルズが訊くと、シュヴァはそのまま流してビブルを見た。


「あるのか?」

「ないです。さすがにそこまでは。即席の測量で作らないと」


 即答するビブルの横で、首を傾げながらノーンが溜息を吐く。


「リアルタイムでマッピングしないとねぇ……地図情報は誰が統合する?」

「……そうだな……トレスとソフィアが適任だと、オレは思う。女子は演習のときに後衛をやることが多い」


 言いながら、イフルズは自分の感情的な薄汚さに気づく。自分はただ、適当な理由をつけて、比較的な安全な後衛に恋人を配置したいだけだ。無意識に友人の命の価値を比較した怪物に、思わず殺意が芽生える。何て生き汚さだ。


「僕はそれでいいと思いますよ」


 ビブルが賛成する。その貌は未だに空白ブランクだ。どきりとする。何の感情も読み取れず、だから余計に見透かされているのではないのかと、その視線が突き刺さるようだった。


 突然の指名に困惑しているトレスとソフィアを、ノーンがフォローする。


「二人とも、できそう?」

「う、うん。わたし、いっつも演習で後衛だったから、慣れてるし」

「わたしも、レシーと一緒……」

「じゃあ、決まりだ。全体野ガンツフエルト情報を二人に流せばいいんだよな?」


 シュヴァの言葉に合わせて、KUネット上で孤島になっている内部イントラネットに、各々が接続する。ネットワーク上のトレスとソフィアを想起すると、接続関係セツシヨンが張られた。その中で通信経路コネクシヨンを確立し、すべての感覚情報を二人に渡す。一方的に垂れ流すだけ(ダムパイプ)なので、送り手は何も感じないが、受け手には六人分の情報が流れこむ。彼女たちはそれを自身の裡で処理し、全天球のパノラマとして再構築を行った。一瞬で七人分の感覚範囲二〇〇度を元にした、造りかけのジオラマのような地図が、地殻隆起のようにできあがる。


 ARヴィジョンに展開された3Dの地図。イフルズが辺りを見回すと、新しくジオラマが拡張される。五感すべての情報を元にし、アルゴリズムで補正されて自動的に描かれ続ける地図。ある種の情報発掘データマイニングだ。掘り起こすというより、彫り起こすという感じだな、と益体なく思った。


「これで基礎はできたから、あとは自動的に更新されるよ。地図情報の統合プロセスは、わたしとソフィーで冗長化してある」


 眉を顰めながら、恐る恐るといった様子でソフィアが言う。


「あの……わたしとレシーだけだと、リソースが足りなくなるかも……」

「確かにそうですね。班を格子グリツド化しておきましょう。ついでに、班用のLANも構築しておきますか」


 ビブルがそう言い終わる頃には、情報空間インフオスフイア上にイフルズたちだけの空間ができあがっていた。それを奇妙なむず痒さとしてイフルズは感じる。排他的な無意識の連結感。殊更に、VRに適応していない彼は、それを感じることはない。おそらく、一番VRで処理を行わない自分のリソースが多く使われているのだろう。


〝こうして処理も分散させたほうが、()()()()()()()にも対応しやすいですしね。皆さん、聞こえますか?〟


 その『いざ』が意味するところを、イフルズは考えたくなかった。VRからのビブルの声に適当な返事をする。他の仲間の声もあとから響いた。頭の中に過った考えを紛らわすように、周囲を更に見渡してジオラマを拡げ続ける。視界に浮島のように映るジオラマには青い人形が置いてあった。地図上での自分たちの位置だ。それぞれの人形には、各自の識別子が振ってある。


「今のぼくたちの場所がここか。結構、見える範囲は見てみたけど、ここの全体像が見えないね……」


 ノーンが地図を見ながら言った。


「広いというか、ほぼこの都市ぐらいあるんじゃないか」

「都市の地下が丸ごと演習場になってるの……?」


 広大な空間に気圧される。十五年も暮らしてきた都市の地下に、こんなものがあるとイフルズは想像したこともなかった。あまつさえ、その用途が自分たちが殺しあいをさせられるために用意されているのだ。改めて、奴隷という立場の上に立つ、巨大な管理者の影に呑まれそうになる。


 こちらの表情を見て、シュヴァが煙たそうに腕を振った。


「ここの広さなんて関係ねぇよ。兎にも角にも今は情報が足らなすぎるからな。それに、これは試験だろ? だったら、()()()()の広さだろうよ」

「僕もシュヴァの言う通りだと思います。他の班と遭遇しないまま餓死することはないはずです」


 それよりも、とビブルが話題を変えた。


「班行動に必要な準備はできました。ですが、僕たちは班としてのまとまった行動ができる状態ではありません」


 勿体ぶったビブルの物言いにシュヴァが話を促す。


「つまり?」

「リーダーを決めましょう」


 間髪入れずに彼は言う。


「僕は、ノーンを推します」


 ビブルの予想外の提案に、イフルズは思わずノーンの方を向く。名指しされたノーン自身は、特に慌てた様子もない。冷静に問い返した。


「……ぼくは別に構わないけど。何で?」

「その態度が既に解答です。もう昼行灯のふりをしている場合じゃないですよ。遺伝形質検査ギフトチエツクで示された優秀さを活かしてください」


 うーん、とノーンは腕を組んで悩むように首を傾ける。


「……まぁ、だよねぇ。でも、いいの? ()()()()()()()


 最後の一言は、やけに語勢が強かった。


 そこで初めて、ビブルの空白ブランクだった貌に感情が浮かびあがる。微笑。だがどこか、影がある昏い笑み。黄昏時の夕焼けを背負ったようなシニカルさ。


「君は、友達を裏切るようなことはしませんよ」


 ノーンは眉を顰めた。


「卑怯だなぁ、その言い方。わかったよ、皆がそれでいいなら、ぼくがリーダーをやる」


 ノーンはそうは言ったが、誰も何も言えずに黙りこんでしまった。少し間を置いてシュヴァがひらひらと手を振る。


「……いや、いいも何もねぇよ。お前らの会話の次元が高すぎて意味わかんねぇ」


 イフルズは言う。


「オレは、まぁビブルがそう言うならそれでいいが。少なくともシュヴァに任せるよりはマシだろう」

「その言葉そのまま返すぞ、イフルズ」

「わたしも、ノーン君がリーダーで良いと思う。ノーン君、皆のことが一番良く見えてると思うし……」


 トレスの隣にいたソフィアも、こくりと頷いていた。


 いやぁ、とノーンが苦笑する。


「買い被りだよ、ぼくはそんな大したことないって。ぼくは皆と比べて()()()だから、後ろから色々見えるだけ」

「韜晦はいいですから、リーダーとしての働きをお願いします」


 ざっくりと切り捨てるビブルの言葉に、ノーンは困ったような笑みを浮かべた。そして一息吐くと、笑みを消す。


「じゃあ、まずはぼくたちの班としての目標を決めよう」

「一択だ。チアの敵討ち以外にない」


 シュヴァが即答する。ノーンが相槌を打った。


「ビブルは――聞くまでもないとして……あとの三人は?」

「納得は、できてない。だけど決めた。戦って、生き残る」


 イフルズの言葉に、トレスとソフィアが続く。


「わたしも、生きるために戦うよ」

「……死にたくないから、頑張る」


 うん、とノーンは頷く。もはや、状況からして事後承諾も当然の意思確認だったが、それしか選択肢はない。この感情を何と呼べばいいのだろう。イフルズの中では疑問が循環していた。誰かを殺さなければ生きることが許されない。命題にしてはふざけている。それでも決めた。()()()()()()()()()()()()()。自分の中にいる選択者の姿が見えず、気味が悪い。名前のない感情。靄のようで、心の中を巡るだけで未だに形を取らない。


 ノーンはもう一度頷いた。


「うん。じゃあ、そうだね……チアを撃った狙撃手を捜しつつ、この戦いを生き残ろう。だけど無駄な戦闘はしない。目標はあくまで目標で、最優先事項は生き残ること。それでいいね」


 最後の一言は確認の意味を持っていなかった。ノーンの決定に誰からも反対は出なかった。


「で? 目標も決まったことだしよ、まずはどう行動すればいい、リーダー?」


 シュヴァが茶化しながらも真剣味を帯びた声で言う。


「狙撃手の位置の推定、かな」

「それならもうある程度算出してあります」


 ARヴィジョンの地図上にビブルが情報を追加した。最初にイフルズたちがいたビルから、五〇〇メートル辺り先を中心に、直径二〇メートルの黄色の円が表示される。


「仕事早ぇな、おい」


 恐れ入ったという様子のシュヴァに、謙遜もなくビブルは答える。


「狙撃探知システムの応用ですよ。そこまで難しいことではないです。ただ、これは弾道計算と当時の僕の感覚情報などから算出したものなので、精度はそこまで期待しないでください」

「いや、これでも十分だよ。あとは狙撃手が今、この予想範囲内付近のどこにいるかだけど……どう動くと思う?」


 ノーンの問いかけにイフルズは答えた。


「狙撃手の基本は、索敵、それと可能なら見つけた敵戦力を削ることだ。だから、普通に考えれば、オレたちがいた場所から、正面一八〇度範囲内の向かい側から来たことになる。少なくとも、後ろから回りこまれたとは思えない」

「斥候、だよな。こんな言い方したくはねぇが、俺たちは()()()()()()()見つかって、狙われた……」


 推考するシュヴァに、イフルズは首肯する。


「だろうな。狙撃手はもう拠点に戻っているはずだ。この初期状態の戦場での偵察の成果としては十分すぎる」


 ふと、そこでノーンが瞠目した。


「どうした?」

「いや……何でもないよ。そうだよね、今はまだ状態が初期なんだ。だから、狙撃手の斥候としての移動距離はかなり限られる」


 言いながら、地図に新しい情報をノーンがつけ加える。ビブルが追加した黄色の円に、明度を上げた中心角が二七〇度ほどの扇形が重なる。地図上で直径一〇〇〇メートルほどの欠けた円。


「大体だけど、このどこかに相手の拠点はあると思う」


 今や、はっきりと形になった。イフルズは自分の中で渦巻く現況に対する感情に、名前をつけられていない。だが、目の前に見えているものの名前はわかる。


「ここがオレたちの戦場か」

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