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エイドスの地  作者: 黒石迩守
第二部 月も登らない空の下で
6/24

試験開始

第二部 月も登らない空の下で(イン・ジ・アビス)


 ソフィアは夢を見ていた。


 ――あぁ、これは()()()()だ。ソフィアは明晰にそれを理解する。


 夢の中のソフィアは少し成長して大人になっていて、土を弄りながら何かを育てている。今よりも長くなっている髪を一本結びにしていて、オーバーオールの下に着ているシャツから覗く、日に焼けた肌が健康的だ。畑で育てている、野菜なのか花なのかも判然としない、名前も知らない植物は、夢から醒めてしまうと、どんな形をしていたか、いつも忘れてしまう。


 空が不機嫌になって辺りが暗くなり、地面から雨の匂いが漂ってきた。立ちあがって、腰を伸ばしながら空を仰ぐ。一雨来そうな曇天だった。畑仕事を切りあげて、夢の中で暮らしている簡素なバンガローに戻る。玄関で汚れた軍手を外してポケットに捩じこみ、泥のついた長靴をサンダルに履き替えてから、家の中に入った。


 部屋の中央にはこぢんまりとしたテーブルが一脚、その隣にマットレスが潰れたベッド、奥には使いやすく什器を散らかしたキッチンがある。夢の中だからだろうか、都合よく水や電気が通っている。


 オーバーオールの肩紐を外して楽な恰好を取りながらキッチンに向かい、冷蔵庫からお手製のレモンシロップのキャニスターを取りだす。少し多めのシロップを冷水で割って、グラス一杯の濃いめのレモネードを作った。一仕事したあとは、いつもこれを飲んで、喉の渇きを潤すのだ。


 汗を掻き始めたグラスを頬に当てて冷たさを楽しみながら、玄関のベランダに向かう。そこには小さくて不格好だが、可愛らしい手作りの木製のテーブルと椅子がある。テーブルの上にある、表紙が色焼けしたハードカバーの本とグラスを交換して椅子に座った。ぎしりと椅子は不平を鳴らしたが、しっかりと体を支えてくれる。


 泣きだした空の水音に包まれながら、栞を挟んでおいた頁を開く。その本のタイトルも内容も、夢から醒めると覚えていない。それが物語だという印象だけが残っている。判っているのは、いつもこうしてレモネードのすっきりとした甘い酸味を楽しみながら、頁を捲っているということだけだ。


 やがて、グラスのレモネードが空になると栞で物語を中断して、この夢はいつものように終わる。彼女が()()()を向いて言うのだ。


「お帰り」


 彼女わたしに拒絶されて、満ち足りた悪夢が醒める――


 全身に鋭い痛みが走った。


 電気ショックのような衝撃で覚醒すると、そこは見覚えのない場所だった。打ちっ放しのコンクリートの部屋。窓と扉が一つだけであり、家具が置かれていない殺風景な狭い部屋だ。デザインを求めない、安上がりなコピー&ペーストのような箱。モジュール化された建築物。右手にある窓から射した光が、チンダル現象で埃を光らせていた。


「どこ……」


 目をこすりながらソフィアは疑問を口にする。指に目脂がくっついた。今朝はしっかりと顔を洗ったはずなのに、とぼんやり思う。寝起きのように頭が上手く働かない。ついでになぜか体も重い。


 状況が解らず心細くなって周囲を見回すと、部屋には他に誰かがいた。皆一様に、寝起きの様子だった。一人ではなかったことに安堵する。同時に、知らない人と同じ空間にいる不安感が新たに芽生えた。せめて、誰か知っている人でもいないだろうかと、反射的にその場の人間に情報探信ピングを打つ。返ってきた情報を元に、プロファイルがARヴィジョンで表示された。


 IFLS-ALT4S(イフルズ)ENCH-TREES(トレス)VLMN-BIBL0(ビブル)TIER-FLESS(チア)C001-CHIVA(シユヴア)N00N-LNTRN(ノーン)。見知った顔の同級生だ。全員が軍事演習用の装備を身につけている。市街戦用の黒っぽい迷彩の戦闘服とボディアーマー。ソフィアも同じものを身につけていた。このせいで体が重かったようだ。よく見ると、窓の反対側の壁にバックパックとヘルメットと銃器弾薬類が、一揃いにして七セット置いてある。


 今やソフィアの記憶は完全に混乱していた。自分が何をしていたかを思いだそうとする。そう、確か適性試験を受けていたはずだ。試験の内容は、普段の授業で受ける定期考査と同じような、学力と実技試験だった。科目も総合的な内容で――その辺りから記憶が曖昧になっている。


「どうなってんだ、こりゃ」


 シュヴァの漏らした言葉に、その場にいた全員が困惑の色を見せる。誰も状況を把握していないようだ。状況把握に努めようと、視線をあちらこちらに向けている。その中で、何かに気づいたようにビブルが目を瞠った。


「ちょっといいですか」


 ぐい、とシュヴァの首元をビブルが覗きこんだ。


「おわ、何だよ急に」


 苦言を無視して、ビブルは相手の首を調べている。自然とソフィアの視線もそちらに向いた。


 シュヴァの首には首輪状の何かがあった。乾涸びた太いミミズのようにも、指の太さほどの管状の内臓のようにも見える。思わずソフィアも自分の首に手をやる。指先がざらりとした凸み(つばく)を撫でた。どうやら、同じ物が着いているようだ。どのように巻かれているのか、触感では首輪と肌の境界が今一つ判らない。首輪を撫でていると、どくん、と脈打った。驚いて手を引っこめる。


 首輪をしげしげと観察していたビブルが、興味深そうに唸る。


「これ、インプラントされてますね。頸動脈まで食いこんで……いや、一体化してます、頸椎まで届いていそうです」

「インプラント、って何かの装置ってこと?」


 ソフィアと同様に首を触っていた大柄な少年――ノーンが訊く。その疑問に、イフルズが続く。


「見たことない装置だな……CEM素子から造ったものか」

「CEMの素子チツプ……」


 不思議そうにソフィアは呟く。奴隷学校の授業で聞いたような気がするが、よく覚えていない。そう、とイフルズが相槌を打つ。独り言のつもりだったので、返事にびくりとした。


「真っ新なCEMを使って、一から造ったんだろうな」


 ぼんやりとソフィアは授業で教えられたことを思いだす。〝個〟を持たない無機生命《CEM》は、あらゆる環境で生きるために、情報を吸収して完璧な擬態を行う。その特性を利用してプログラミングのように設計図を与えると、その通りの形状と性質を獲得する。この首輪もそうして造られた何かの装置なのだろう。


 おそらくは、とビブルが首肯する。


「どんな装置かは不明ですが、一定の機能を持っていそうです。僕たちを()()()させたのも、この首輪でしょうね」

「随分と乱暴な目覚まし時計だな」


 シュヴァがぼやき、部屋の隅に置いてあるバックパックを手振りで示した。


「これも適性試験の続きか? 実戦形式の演習でも――」


 そこに押込通知プツシユのショートメッセージが届いた。警報アラームつき。『重要度:緊急』設定の通知が、突然視界に割りこみ、驚いて息を呑む。メッセージが強制的にARヴィジョンへ展開された。


『適性試験受験者各位へ。全受験者の覚醒を確認しました。これより最終試験を開始します。試験形式は生存競争サバイバルとなり、それ以外のルールは自由となります。本試験は本メッセージの受信と同時に開始とします。なお、試験の終了は受験者が規定人数に達した時点で終了するものとし、試験期間は無期限です。それでは皆さん、頑張ってください』


 全員がメッセージを読み終えるまで暫しの間が空いた後、シュヴァが頭を掻く。


「――やろうって、みたいだな」

「装備も一揃いあるみたいだし、結構な長期演習になるのかも知れないな」


 綺麗に分けられた装備品一式を見ながらイフルズが言った。うげ、とチアが不満を漏らす。


「面倒くさー。わざわざこの少人数で分けたってことは、チーム戦ってことかぁ」


 チアは窓のほうを向いて外の様子を見ると、深い溜息を吐いた。


「うっわ、広っ。何これ、地下の市街地戦用の演習場っぽいけど、外壁見えない。今までこんな規模の場所でやったことないんだけど。つーか、ランダムに配置されたのかな、これじゃ相手班探すのも大変……」


 窓ガラスが割れた。同時に、ぱんっ、と空気が破裂するような音。続いて、びちゃ、と湿り気のある音。それから、ぐらり、とチアの体が地面に吸い寄せられるようにして、倒れた。頭が床に打ちつけられて少し弾むと、彼女は動かなくなった。


 頭が。


 彼女の頭は抉れていた。


 赤く縁取られた凹みの中に、白っぽい何かが見えた。脳髄。ふっくらとしていて、てらてらと妙にピンク色の艶がある。チアから離れた位置に、彼女だったものの一部が転がっていて、灰色の床をキャンバスに赤い線を引いていた。彼女のブルネットの髪が、肌と脳と床に血でへばりついている。妙にリアルで逆に冗談のようだった。狙撃。それを理解するまでに、この場で死ぬには十分な時間、ソフィアは棒立ちだった。


「全員窓際の壁へ!!」


 誰かが大声で叫んだ。ソフィアは反射的にその声に従って、窓際に行ってしゃがみこむ。遅れて声の主がノーンだったと理解し、彼はあんな大声を出せたんだ、と無意識に考える。


 窓の下には、ソフィアを含めて五人が屈んでいた。あれ、と思う。五人? 一人足りない。振り返ると、トレスが呆然と立ち尽くしていた。危ない、と声を出そうとする。そのままだと死んじゃう、と手を伸ばそうとする。


 死。


 命の危機が脳裏を過る。途端に喉も腕も石になったように硬直した。


 動けず逡巡しているソフィアの隣で、誰かが飛びだしていた。黒髪の少年。イフルズだ。彼はトレスの手を取って、渾身の力で抱き寄せる。次の瞬間、弾丸が壁を削る音がした。それから遅れて発砲音。


 遠い音が、身体の芯に染みこむように残響した。


「い、イフ君……チアちゃんが、ち、チアちゃ――チアちゃんは……?」

「見るな。何も考えるな。息を吸って、静かに、ゆっくり……そう、その調子で、呼吸だけに集中しろ……」


 声も体も震えているトレスの視界を、イフルズが手で塞ぎながら抱きしめている。トレスの呼吸は乱れて深くなりすぎていた。恋人に押さえられた目から、涙が漏れて頬を濡らしている。泣いていた。()()()()()()()()()


 親友トレスを助けるためにソフィアは動けなかった。いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。でも仕方がない、自分の腕力ではトレスを引き寄せることはできなかっただろう。恋人に助けられた方が彼女も嬉しいに決まっている。だから、あの場面で自分が動く必要はなかった。むしろ、イフルズと同時に動いていたら、彼の邪魔になっていたに違いない。


 そう、だから問題ない。


 ソフィアは自分に言い聞かせる。だが、納得しているはずなのに、なぜか視界が暗い。周りの音もよく聞こえない。胸の奥から闇が滲みだしてきて、自分を塗りつぶすような感覚に襲われる。息が苦しい。闇で真っ黒になった顔のどこに口があるかわからない。まるで自分が立ちあがった影のようだった。


 ぱん、という音がして影が振り払われる。


「ソフィア、呼吸をして」


 言われて、自分が呼吸を忘れていたことにソフィアは気づく。破裂するように口を開いて肺から二酸化炭素を追いだし、酸素を取りこみ始めた。どれだけ息を止めてしまっていたのだろうか。床に手をついて、みっともなくぜいぜいと喘ぐ。顔を上げると、ノーンがいた。どうやら、彼が目の前で手を叩いて、我に返らせてくれたようだった。


「あ……その、ありが……」


 お礼を言おうとしても、息が切れて上手く言葉にならない。ノーンは大きな手で優しく背中をさすってくれた。


「慌てないでいいよ、ゆっくりと息をして」


 暫くの間、沈黙が続いた。突然すぎる状況に、誰もが何も言えずにいた。トレスの泣き声と、ソフィアの荒い呼吸の音だけが部屋の中に響いていた。


「……とりあえず、装備品を身につけないと」


 沈黙を破ったのはノーンだった。


「待てよ、バックパックは部屋の反対側だぞ。取りに行くには遠すぎる」


 シュヴァの言う通りだった。用意されている装備品は、窓際にいる自分たちから見て、真正面の壁際にある。五メートルは距離があった。狙撃手からは、移動している間に十分に狙いをつけられるだろう。


「いえ、多分、もう大丈夫だと思います」


 言うや否や、立ちあがったビブルが部屋の奥に向かっていた。静止のためにイフルズが怒声を発しかけるが、それを遮るように淡々と彼は続ける。


「ずっとこの部屋を狙っているとは思えません。二発です。撃っていました。他の人間に居場所が露呈するには十分です。もう移動している可能性が高い」


 言いながら、部屋の中央に横たわるチアを平然とビブルは跨いで、正面の壁際に辿り着いた。そのままバックパックを背負って、てきぱきと他の装備を身につけ始める。


 銃声は、ない。


 ビブルがこちらに振り向く。


「ですが、ここに居続けるのも得策とは思えません。早く移動したほうがいいでしょう。皆さんも、早く装備を整えてください」


 本当に移動して大丈夫なのかソフィアが迷っていると、ノーンとシュヴァが黙って移動し、装備品を身につけ始めた。イフルズはビブルの行動に呆気に取られた様子で動かない。


 どう行動するのが正しいのかわからなかったので、ソフィアは多数派に従って装備品を身につけることにした。


「装備は、ハンドガンとアサルトライフル――あぁ、これは使用者が未登録ですね、きちんと登録してロックをかけておかないと――ナイフにレーション、緊急医療キットに……歩兵用の基本的な装備が一式ですね。当然ながら、弾丸は演習用のペイント弾ではなく実弾です」


 ビブルは淡々とハンドガンのマガジンの中身を確認している。足元に横たわって動かないチアに目もくれない。あまりにも冷静で、少し気味が悪かった。その様子が気になったが、相手の心に踏みこむ勇気はソフィアにはなかった。あるいは、わざと考えないようにしているのかも知れない。無意識に彼女は死体を横目で捉えてしまい、グロテスクさに後悔した。網膜に焼きついてしまわないように装備に集中する。


 歩兵装備の基本的な扱いは軍事演習で習ったので、ある程度は理解している。銃器は軽量化が進んでいて、ソフィアの細腕でも取り回せるが、どうしても重量の変えられない弾薬などの道具がまとまると、総重量が十五キロを超す。小柄な自分の体の三分の一以上はある。バックパックを背負うと、ずしりとした重さに少し泣きそうになる。動けないほどではないが、長時間の行動はとても無理そうだ。こんなありさまで、生き残れる気がしない。


 ふっと、急に背中が軽くなる。驚いて振り向くと、ソフィアのバックパックをシュヴァが片手で持ちあげていた。装備のつけ方が間違っていて怒られてしまうのではないか、と萎縮して身構えていると、彼が言った。


「少し寄越せ、お前の体格だときついだろ」

「いいの……?」


 ソフィアの言葉に、相手は肩を竦める。


「いいも何もねぇよ、適材適所だ」

「ありがとう」


 シュヴァの言葉に甘えて、ソフィアはバックパックを降ろした。ひとまず、予備の弾薬をすべて彼に預けることにした。重量が三キロほど減っただけで、バックパックを背負ったときの体感が大分楽になる。


「おい――おかしいぞお前ら!!」


 突然の怒鳴り声に驚いて振り向くと、イフルズが肩を震わせて激昂していた。ビブルが冷ややかな視線を彼に送る。


「……何ですか、イフルズ」

「何ですか? だと」


 イフルズは彼に詰め寄り、胸倉を掴む。


「何ですかじゃないだろ!! お前……チアが、チアが――()()()()()! 冷静に何をしてるんだ!!」


 言われて、ビブルが不思議そうに返す。


「冷静?」


 そして、無感情な口調で彼は続けた。


()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「お前――」


 イフルズの怒りが頂点に達したのが傍目にも判った。彼が殴りかかろうと腕を振りかぶる。その腕をシュヴァが掴んだ。


 そして短く告げる。


「イフルズ、今のビブルは空白ブランクだ」


 瞠目すると、イフルズは振りあげていた拳を降ろした。目をぎゅっと閉じ、悔やむような表情で彼は俯く。


「悪い、ビブル」


 ようやく、ビブルの落ち着いた態度にソフィアも合点がいった。恋人が死んだ悲しみを顔に出さないように、彼はVRに感情領域を向けていたのだ。今、この中で一番泣き叫びたいはずなのに、感情を押し殺している。VRPDのイフルズが感情の機微に気がつけないのは当然だろう。おそらく、シュヴァとノーンは察していた。だが、自分はどうなのだろうか。ビブルのことを不気味に思うだけで、病んだ部分のように、感情の枝葉から疑問を切り落とした。


 欠落を感じる。これがソフィアという人間性なのだと、どうしようもなく思い知る。


 感情領域が空白ブランクな人間特有の、静かな流水のような口調でビブルは言う。


「いえ。君は悪くないです。僕も、わざと君を怒らせるような言い方をしました。いっそ、殴って欲しくて。君は、何も悪くないですよ、イフルズ」


 それで――とシュヴァがバックパックをイフルズに投げる。


「これからどうする。この――胸糞悪いことに事実の――適性試験を、どうする」

「生き残るしか、ないだろうね」


 装備を整え終えたノーンが、いつの間にかトレスに手を貸して、立ちあがらせていた。


「さっきの押込通知プツシユ。『試験の終了は受験者が規定人数に達した時点で終了する』ってあった。だから、ぼくたちには二つの選択肢がある」


 その一、とノーンは人差し指を立てる。


「試験終了まで――つまり、他の受験生たちの争いから逃げて、隠れ続ける」


 その二、中指を立てる。


「積極的に戦闘に参加して、試験の早期終了を目指す。共通しているのは、どちらの選択肢を取ったとしても、戦闘は避けられないということ」


 泣き止んだが、まだ心の整理ができていない様子のトレスが、しゃくりあげながら不安げに問う。


「絶対に、た、戦わないといけないの……? 誰も積極的に戦おうなんてしないと、その、思うんだけど……」


 ノーンは首を横に振った。


「残念ながら、多分それはないと思うよ。今はまだ、状況が初期だから、積極的な戦闘はないと思うけど、いずれは大規模な戦闘が始まる。なぜなら『ルールが自由』で、『試験期間が無期限』だから」

「それって、どういう……」

「生存戦略だろ」


 シュヴァが吐き捨てるように言った。


「食料は限られている。生存枠も限られている。だったらあとは簡単だ。そのうち、放っておいても群れができて、群れ同士で潰しあいが始まる。しかもご丁寧に、俺たちは()()()()()()()()()()()()()で分けられているみたいだしな、初めから班内に、ある程度の結束がある。他も似たようなもんだろうさ。心理的にも、片手で数えられる人数で行動するよりも、両手で数えられる人数がいたほうが安心するのは当たり前だ。初期に接触した奴らで班から分隊、小隊、中隊……どこで安定するかは判らんが、そうなるだろうさ」

「……それで。オレたちも、生存戦略とやらをするのか、シュヴァ」


 イフルズは拳を握りしめていた。その目には、ぶつけどころのない怒りが宿っているようにソフィアには見えた。彼ははっきりとした強い口調で続ける。


()()()()()


 イフルズの言葉に対する返答は誰からもなかった。ソフィアも同様だ。これから誰かの命を奪うのかと問われて、肯定する精神構造はしていない。それが戦争のような必要に迫られる殺人ならば、あるいは許容する余地はあったかも知れない。しかし、今ここには自己保存しか理由がない。突然、原始的な競争原理を持ちだされても、人間は赤の女王の言葉を実践できない。


 雄弁な沈黙が流れる。肯定が空気を支配していた。どっぷりと浸かりきった現実に、答えは不要だった。


「申し訳ありませんが、僕はこの班を離脱したいと思います」


 静寂の泉にビブルが一石を投じる。「はっ?」と疑問の声を上げたイフルズを無視して彼は続ける。


「僕は、この試験よりも優先してやりたいことができました。だから、君たちと行動をともにすることはできません。それは必ず君たちに迷惑をかける。なので、単独行動を――」


 言い終わる前に、シュヴァがビブルを小突くように蹴った。


「ふざけんな。そんなの認めるわけねぇだろ。お為倒しに言い回しやがって」


 わかってんだよ、とシュヴァが苦々しい表情でビブルを睨みつける。


「復讐だろ」


 少し黙ってから、ビブルは小さく頷いた。


「ならいい。どうせ多かれ少なかれ、これから誰かを殺すんだ。せめてその殺しには意味を持たせたい。俺はお前に協力するよ」


 周囲を見回してシュヴァが視線で問いかけてくる。「お前らはどうする?」と。


「ぼくも協力する」


 次に名乗りを上げたのは、悲しげな顔のノーンだった。


「この引き金を引く覚悟は、全然できてない。でも、実際にチアは死んだ。悪夢のように呆気なく。でも現実は醒めることがない、死ぬまで」


 彼はアサルトライフルを軽く持ちあげる。


「ぼくたちが、この国で〝奴隷〟って分類をされていた理由が何となくわかったよ、今。ルクスリアは『国民にあらゆる苦を認めない』。()()()()()()()()()()()()。インフラ設備と大差ない、道具だ。これまで徹底的に管理されて、育成された。そして今は、間引きされようとしている。だから、淘汰されないように、抵抗するしかない」

「他に、方法はないのか……ここから逃げだしたり、死を偽装すれば、もしかして」


 思案顔で顎に手を当てていたイフルズが、苦渋に満ちた顔で言う。


「無理だよ、ぼくたちには首輪がつけられている」


 お道化て誤魔化すように、ノーンは自分の首元を指差した。


 首輪が反乱防止用の装置である可能性を、ノーンは告げていた。おそらく、自分たちの言動は、すべてこの試験を運営している人間たちに筒抜けだろう。ましてや、今自分たちがいる場所に、内側から開けられる扉があるかも疑わしい。


 戦いを回避しようとするイフルズに、ソフィアも賛同したかった。戦うのは怖いし、見知らぬ他人を手にかけるなど、できそうにないからだ。しかし、意見を出したくない。反論されたら何も言えないし、具体的な解決策を持っていない。呆れられて見放されるのが、恐ろしくて仕方がない。


 心の底では既に理解している。戦う以外の方法はない。それでも、この極限状況からの楽な道への標を、誰かが提示してくれることを期待している。


 トレスが、また泣きだした。


「……た、戦おう」


 両手で顔を押さえながら、震えた声で、彼女は言う。


「わたしも、戦うから……これ以上は、誰にも死んでほしくない。せ、せめて、身勝手だけど……友達には生きていて欲しいの……」


 イフルズが、何も言わずにトレスを抱きしめた。彼女は、感情の堰が切れたように号泣する。


「ごめんね、ごめんね、イフ君……。わたし、凄く汚い……誰かの命で、自分が助かることを望んでる……。死にたくない……!!」

「いいよ、いいんだ。オレたちは、この場所にいる全員がそうだ。お前は間違ってない。ここにいる誰一人として、間違ってない」


 ソフィアは手に持っていたアサルトライフルの銃身を、ぎゅっと握りしめる。皆が戦うことを決めた。だったら、それに逆らえない。自分一人で生き残れないのだから、ついて行くしかない。


「わたしも、戦う」


 孤立を恐れて口を衝いて出た言葉は、我ながら実に薄っぺらかった。

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