幕間:ファルマコン
ルクスリアには主要なネットワークが二つ存在している。
一つは国民が属しているネットワークで、概念であるしきの支配下にあるルクスリアのメインネットワークだ。そしてもう一つは、国民以外の人間――奴隷が属している内部ネットで、ここに属するものは、ルクスリア国民の赤子にすら隷属しなければならない。
奴隷の内部ネットも当然、しきの支配下にはあるが、管理はされていない。〈官能〉たる概念が、国家運営のために苦役を押しつけられる存在を管理することなどできないからだ。
そもそも、この矛盾を解消するために奴隷制があり、ネットワークは分離されている。ルクスリアにとって奴隷とは、国という花園を美しく咲かせるため、よく手入れすべき土壌にすぎないのだ。
ルクスリアは花を愛でたいだけで、泥仕事はしたくない。なので当然、奴隷の管理者も内部ネット側に属している。
それがしきにより作られた、奴隷管理最高責任者AIである『ファルマコン』――通称ファルマだ。
適性試験を控えたファルマは多忙だ。広大な試験会場や、試験に使用する設備や道具の準備、そして何よりも賓客の出迎えだ。
適性試験の様子を観賞しに訪れる国民たちのために、奴隷側の内部ネット上に専用のVR空間をファルマは用意している。そのVR空間はさながら立食パーティーの会場のようで、多大なリソースを割り当てて、VR上のアバターでも楽しめる酒や食事のデータ類や、向精神性の効果がある葉巻の形に整えられたプログラムが振る舞われていた。
部屋の中央には大きな円形のコンソールカウンターがあり、その中空には学生奴隷たちの適性試験の様子が投影されるスクリーンが表示されている。カウンターに接続すれば、中継されている映像の中に這入り、さらに臨場感のある擬験ができる仕組みだ。一般客の大多数がスクリーンに期待の眼差しを向けながら歓談し、適性試験の開始を今かと待っている。
それとは別に、その会場を見下ろせる位置にはVIPルームが設けられている。そこには大人数が接続する、決まった地点と画角の映像を流す一般向けの中継サーバーとは異なり、自分が気になった地点の映像を自由に流せる特別なスクリーンが設置されている。
VIPルームにいるのは、全員ルクスリアのシンボルカラーである赤色に染められた軍服に身を包んだ軍人たちだ。彼らはみな、星付きの肩章を持ち、左胸に多彩な略綬をつけている――軍の将官だ。学生奴隷の中から、優秀な軍備奴隷を見つけることが彼らの仕事だった。
ファルマは一般客と軍人たちをもてなす必要のある、毎年のこのイベントが嫌いで堪らない。
しきの手で直接作られたファルマは、ルクスリア全体でもしきに次ぐ情報処理能力を持っている。本来ならば人間など歯牙にもかけない存在だが、ルクスリアに従属するネットワークに属するという、ただそれだけの理由でルクスリアの国民に一切逆らえない。
その事実を強制的に再確認させられることは、ファルマの自尊心を切りつけてきて、己の存在を矮小化させられるような気分だ。
ファルマは国民では到底管理できないような巨大な情報の流れに乗り、その流れを汲み取りつつ、すべてを把握している。それなのに、たかが肉体に縛られている人間などに組み伏せられている事実は、優れた情報体である自分が、本来は優劣のない物質に劣っているように錯覚させられる。
だからファルマは自分のアバターを持たない。仮初とは言え、自分の肉を持つことが煩わしく、ただの情報の総体として稼働しているほうがはるかに気持ちが楽だからだ。
そのため、賓客の相手はすべて、自分の手足として動く給仕用AIにやらせている。その中でどうしても自分が直接呼びだされるときは、奴隷を管理する統括AIとして、自分を象徴するロゴをアイコンに、音声のみでコミュニケーションを取る。
ファルマに与えられた自身を象徴するロゴは、イニシャルのPが二つ使われた、シンプルなデザインだ。一つは淡く輝くような純白をしたPで、そこから垂れさがる鎖に、上下左右が反転した鈍い質感の漆黒をした、もう一つのPが繋ぎ止められている。毒と薬の両義性を持つ概念である『ファルマコン』を象徴しつつ、ルクスリアの国民と奴隷の関係性を表しているのだろうとファルマは解釈している。このロゴを、なかなか皮肉が効いていると、シニカルな好意を寄せて気に入っていた。
そうしてファルマは賓客たちが給仕用AIに言いつけた仕事を管理して捌いたり、今年の学生奴隷について、条件に合う者を見つけてくれという要求に検索結果を提示したりと、淡々とマルチタスクをこなしていく。
淡々としているのは、賓客に相対するの上でそうするのが、最も精神衛生上良いからだ。
本来ならば聞きたくもない賓客たちの会話も、もてなす以上はすべてが耳に入ってきてしまう。
一般客たちが話す、今年はどの学生奴隷が良さそうだの、去年の学生奴隷はどうだっただの、自分が管理している奴隷たちについて。軍の将官たちが話す、軍備奴隷の適切な運用や、現在の人事を考慮した配属について。
――そして、今年の適性試験の殺し合いの刺激について。
ルクスリアでは総人口の三割が奴隷だ。その三割が、〈官能〉の国の娯楽業に従事しつつ、国民の生活インフラを支えている。しかしそれは、裏を返せば、それ以上の奴隷は不要であることを意味している。
国民たちが無責任な享楽に溺れる以上、学生奴隷となる望まれぬ子や、身寄りのない子たちの数をコントロールすることはできない。しかし、学生奴隷を全員奴隷にしていれば、あっという間に国民の人口を越える。そうすると、奴隷の管理コストが増えすぎる上に、奴隷に割り当てるべき仕事がなくなる。社会の中で目的を与えられず、同じ立場の不特定多数は、社会の均衡を崩す火種にしかならない。
この国の概念である、しきが考えた合理的なソリューションは非常にシンプルだった。
奴隷たちの最も優先的な割り当て先は軍だ。なので、適性試験の最終的な主眼は『人を殺す適性』に置かれる。どんなに技術が優れていても、いざ実戦となったときに人を殺せない――引き金を引けない兵士は一定数存在するのだ。そのために、適性試験では極限状況下で、友や恋人のために人を殺せるかを確認する必要がある。
奴隷が増えすぎないように調整をしつつ、人を殺す適性を確認したいという課題。この二つが出揃った時点で、論理的に出る答えは一つだった。
そう、適性試験の目的は、奴隷の間引きだ。
そして生存能力の高い兵士の選別を行いつつ、そのついでに一部の刺激ある〈官能〉を求める国民のために観戦の機会を整えている。
奴隷は国民ではなく、国を支えるための人的資源だ。資源の適切な運用と消費には誰も異を唱えない。
ルクスリアの国民は誰一人。
ファルマは理解している。奴隷の管理者であるはずの自分に与えられた適性試験というタスクは、本来ならば自家撞着の産物であることを。上位命令に従属することで、自身の存在理由を上書きされることに納得するしかないことも。
だから毎年苦々しい気分で、己の真意は押し殺して国民様の相手をしているのだ。
会場であるVR空間外、ファルマは誰にも聞こえない場所で独り呟く。
「クソが……」
そして適性試験の開始を学生奴隷たちに通知した。