真実
アルトと名乗る老爺に、ソフィアが連れてこられたのは、都市の中央部だった。
政府機能が集まっているだけに、栄えている場所だ。都市の辺縁部に緑化を押しつけた分、多くの建物が立ち並んでいる。
その中でも、中心が一際目立って突出している。軍の本部や省庁などの高層ビルだ。大小様々なタワービルが寄り添っている光景は、遠くから眺めると巨大な柱状節理のように見える。
ソフィアは、そこから少し外れた平地にいた。
印象としては小さな自然公園だ。木立に囲まれて敷地が区切られており、整地された道の外には、芝が植えられていた。プラスティックには見えないので本物だろう。
道沿いには、所々で木陰を作るように、苔むした太い幹を持つ木が枝を伸ばしている。空気の匂いが少し甘い。道から外れて芝生のほうに目をやると、灌木が点々と生えていて、風景にアクセントを加えている。どこからか、流れる水の音も聞こえてくるので、川もあるのだろう。しかし、自然公園と呼ぶには、樹木の配置が恣意的に感じられる。
庭園、なのかな、とソフィアはぼんやり思った。
ユカリが言う。
〝ここは、《根邸御苑》ですね。まさか、足を踏み入れる日が来るとは……〟
「何それ」
〝根の暮らしている住居の敷地です〟
「ふぅん……」
先を歩くアルトのあとをついて行き、ソフィアは庭園の中を進む。数分歩くと、小さな石造りの橋が架かっている小川があった。対岸に続く道の先には、四角い白い建物がある。
アルトが橋を渡り始めたので、それに続いた。
欄干から川を覗いてみる。透き通った水が光を反射して、まるで煌めきが流れているようだった。浅い藍色をした水底に、何か動く影がある。その影が、水面から飛びだして飛沫を上げた。一瞬だけ見えた姿に目を瞠る。流線型で表面がぬらりとしている、手も足もない奇妙な生き物だった。
「魚ですよ」
アルトが言った。
「亀もいるそうです」
カメ、が何なのか、ソフィアにはわからなかった。
橋を渡りきり、四角い建物の前に到着すると、アルトが足を止めた。
「こちらで、しき様がお待ちです」
おそらく、家だった。
ソフィアが自信を持てなかったのは、その家と思しき建物に、窓一つなかったからだ。一辺が十メートルほどの白い立方体で、入り口らしき場所に扉がある以外は、何もない。壁面に光沢もなく、近くに影を落とすものもないので、存在感を強く主張してくる。まるで、空間にみっしりと詰められた箱のようだった。
箱の扉が滑らかに開く。そこには、妙齢の女が立っていた。
柔らかな色味の金糸の髪を長く伸ばしていて、赤いワンピースを着ている。狼のような琥珀色の瞳で、こちらをまっすぐ見ながら、口元に微笑を浮かべていた。
「初めまして、ソフィア。私がしきです」
さらりと彼女は言った。相手の言葉にソフィアは困惑する。概念であるはずの女が、人間にしか見えなかったからだ。同じような体験を最近したことを思いだす。ギルドにいた白梟。存在感のある立体映像。あれと同じなのだろうか。
コンシェルジュAIが息を呑む。
〝あれが……しき様……〟
ユカリにしては珍しい反応だ。ソフィアには普通の女の人にしか見えないが、対面に言葉が詰まるほどなのだろうか。逆にソフィアには、妙に親しみやすい相手に見える。
〝そ、ソフィアさん、決して失礼のないように――〟
「あの、わたし、あなたに訊きたいことがあるんだけど」
ユカリが短い悲鳴を上げた。それを気にも留めずに、知っています、としきは返した。
「どうぞ、中へ」
彼女はそう言うと、家の中に入ってしまった。アルトに身振りで促され、ソフィアは箱の中に入る。あとをついて、アルトも一緒に入ってきた。
見た目に反して、思っていたよりも中の様子は普通だった。
内階段を設けて、箱の中が二層に分けられている。メゾネットタイプの間取りだ。入ってすぐにリビングがあり、吹き抜けの広い空間になっている。窓のなかったはずの左手の壁一面に、外の庭園の風景が広がっていた。どういう仕組みか、外の様子を取りこんで映しだしているようだ。ディスプレイとなっている壁の縁が、どこにあるかわからないため、家の外観以上に開放感がある。
その壁の庭園に向かいあうように、二人掛けのソファとセンターテーブルが置かれている。奥には二脚の椅子と食卓があり、調理器の置かれたキッチンがあった。さらにその先には扉があり、別の部屋が続いている。間取り的にバスルームだろうか。
右手には、壁沿いに階段が設けられていて、二階に繋がっている。階段の先には通路があり、扉が二つある。上階に続く道を目で追っていくと、天井で静かに空気を掻きまわしているシーリングファンが目に入った。
「こちらです」
いつの間にか、階段の中頃に、しきがいた。
ソフィアが階段を昇り、しきに追いつくと、彼女は歩きながら話す。
「この家は、根のために私が用意したものです」
二階に着き、廊下の一番奥にある扉に向かいながら彼女は続ける。
「今の根であるソニアは、アルトと一緒にここで暮らしています」
ちらりと、しきが通路から一階のリビングに目をやる。そこでは、アルトがソファに座り、壁の庭園を眺めていた。背中を丸め、膝の上で手を組んでいる姿は、生気が失われているように見える。
彼の頬は濡れていた。涙を流しているが、表情がない。しかし、静かに止めどなく、瞳から感情を吐きだしている。真っ新な貌からは、どんな想いを抱いているのか、なぜ泣いているのか、わからなかった。
「あの人は……」
「ソニアの夫です」
ソフィアの言葉に答えながら、しきが奥にある扉に手をかざした。扉がひとりでに開く。しきが部屋の中に手を向けたので、中に入った。
部屋の中では、一人の痩せ細った老婆がベッドで寝ていた。毛布を被せられた膨らみはとても小さく、肌の色のせいで白い流木のように見える。
彼女もしきと同じ髪質の金髪だ。深い皺が刻まれているが、顔の作りも似ている。目を閉じているので瞳の色はわからないが、きっと琥珀色をしているに違いないと思った。
あぁ、相似だ――と、ふと、ソフィアは感じた。
部屋に人が入ってきたというのに、老婆はぴくりともしない。耳を澄ませると、笛のような音がする。彼女は苦しそうに、か細い呼吸を口でしていた。見るからに病気、あるいは老衰だった。
「彼女がソニアです」
ソフィアは相手のほうに振り向いて訊く。
「この人が、わたしをここに呼んだ理由……?」
そうですね、としきは答えた。
彼女はベッド脇に歩いていくと、こちらに何かのデータを送信してきた。それをARヴィジョンに展開すると、ぎざぎざな波形が描かれた図が表示される。波の形と同じ感覚で信号音が鳴っていた。
何かの測定――脳波図のようだった。
「先程、本人の意思で延命措置を中止しました」
しきの言葉は、やけに滑らかで、それが逆に機械的に聞こえた。
「もうすぐ、彼女は死にます」
告げられた言葉に、ソフィアはすぐに反応できなかった。疑問の声も上げられず、頭の中に空白が生まれる。爆弾を落とされた気分だった。遅れて、頭の中のクレーターに、思考の水が流れこんでくる。
自分をここに呼んだのは、見ず知らずの老婆を看取らせるためだろうか。だとしたら、何で自分なのか。夫であるアルトがいるはずだ。家族ですらない人間を、呼ぶ意味がわからない。
色々考えた挙句、訊いた質問は、我ながら間の抜けたものだった。
「本人の意思って、どうやって確認したの?」
「肉体は動かせませんが、VRで意思疎通は可能ですから」
当たり前だった。何を馬鹿なことを訊いたのだろうと思う。だが実際のところ、それが一番気になったことだった。逆に言えば、それぐらいしか最終的に気にならなかった。
しきはベッドに寝るソニアの顔を覗きこむ。彼女の顔は、子を慈しむ母親のようだった。これから死ぬ相手に向ける表情にしては、ちぐはぐだ。概念の考えることが理解できない。
ソニアに向けていた顔を、しきがこちらに向ける。
「彼女の死後、私は新しい根にあなたを選びます」
何かを言おうとして、ソフィアは口を開いた。言葉が見つからず、一度口を閉じる。そばにいるユカリも言葉を失っている気配がする。適切な言葉を見つけて、再度口を開いた。
「ちょっと、待って」
しかし、そのあとの言葉が続かない。周りを見ても答えなど見つからないのに、視線を右往左往させる。
「意味が……」
思考がまとまらず、訊くべき問いが浮かんでこない。正面からぶつける疑問が手元になく、搦め手を使うような気持ちで、横目に相手を見ながら訊く。
「わたし、元奴隷だけど……」
「知っています」
落ち着いた態度を崩さずにしきは首肯した。
「あなたは、私が作りましたから」
「――作りました、って」
それは疑問ですらない、何の意味も持たない、ただの繰り返しだった。普段なら何か言いそうなユカリも、話についてこれていないようで閉口している。
辞書を引いたように、しきは答える。
「遺伝子を設計した、という意味です」
驚いた、が、ソフィアは別段混乱しなかった。納得もしなかった。ただ、なるほど、と受け取った。すとん、と事実が胸中に収まる。自分が試験管ベビーだったから、何だというのか。そういうこともあるだろう、と素直に思う。それ以上でも以下でもなかった。
だから、しきの次の言葉には、思いきり動揺した。
「イフルズも、あなたと同じように、私が作った人間ですよ」
一瞬、時間が止まった気がした。だが、呼吸を忘れていただけだった。
イフルズ、と声にならないほど小さく呟く。自分が、彼の恋人を――何を、した? とても悪いことをした。頭が割れるように痛い。自分に彼が関わっている――ならば、再び自分の前に、彼は現れるのだろうか。
ソフィアは思わず頭を抑えて呻く。
息が詰まる。彼の顔を思いだす。感情が摩耗し、綺麗に濁った瞳でこちらを見てくる、人を殺すのに慣れてしまった顔。彼のこんな顔、いつ見たのだろう――? 『適性試験』。なぜその言葉を今思いだしたのか。
彼はどうなって、今何をしているのか――
そこから先を考えては駄目。
彼に罪を気づかれてはならない。
だから目を逸らし続けるのが正解。
次に出会ったらきっと耐えられない。
〝ソフィアさん!〟
ユカリの声で我に返る。胸が息苦しさで痛い。溺れていたかのように一気に息を吸う。
〝落ち着いて、ゆっくりと呼吸してください……そうです……そのまま急がずに、大丈夫ですから……〟
呼吸を忘れていた。何を考えていた? 思い出せない。イフルズ。大して仲良くもなかった、友達の恋人だ。彼の名前を想起すると、鈍い痛みが頭に響く。しかしもう、何も思い出せない。
ソフィアの心中を無視して、しきは続ける。
「あなたが光背と呼ぶものですが、あれはイフルズの存在により知覚できているのです」
しきが口にした彼の名前で、また頭がずきりと痛む。しかし、目的のものが俎上に載せられ、ソフィアは一気に思考を切り替えた。あるいは、それは自衛のための無意識の作用だったのかも知れない。
しきが続ける言葉に、ソフィアは耳を傾ける。
「イフルズのアルト氏症候群は、その副産物です」
そこでソフィアは、あ、と声を上げた。
点が繋がって線を描いた。彼らの印象が重なり、繋がりが見える。そして、ここに来てから感じていた、曖昧な心象が、もう一本の線となって浮かんでくる。
「アルトって、もしかして……」
「そうです。ソニアはあなたの、アルトはイフルズの――いわば、プロトタイプです」
だから、ソニアとしきは、自分と似ているのだ。
「例えるならば、精神というバッファに対し、瞑想によりアンダーフローを起こして悟りを得るように、あなたは感覚入力によりオーバーフローを起こすことで、光背を見ているのです」
瞑想については知識があった。
娯楽屋街の《ドーンの娘》にあった、アイソレーションタンクをソフィアは思いだす。あれは擬験に集中するために使用していたが、感覚遮断は意識を変性させることもある。
瞑想は、手順を踏むことで、意識的に変性状態に踏みこむものだ。しきの言うアンダーフローは、それを指しているのだろう。限界まで己を空にし、通常ではありえない領域へアクセスする。その光景が、肉体でも精神でもない場所――悟り、なのだろうか。
だとすれば、オーバーフローはその逆だ。
感覚に対し、すべてを開放する。己の中に、限界まで入力を行い、精神から意識がこぼれるまで、感覚を注ぎこむ。
だから、セックスの最中に光背を見たのだ。
オーガズムは自覚できる性的興奮の最高潮で、さらにその奥まで到達すると、精神をはみだす。絶頂を越えた有頂天の先。その領域に、自分は〇・一ゼプト秒――阿頼耶の間だけ、到達していたのだろう。
だがそれは、普通ならば例外が発生したプログラムが異常終了するように、意識が落ちるはずだ。感覚に諸元値はない。精神が耐えきれない状態に陥れば、シャットダウンする。
しきがつけ加えるように言った。
「識別子IFLS-ALT4S――イフルズは、あなたの肉体の感覚入力に対する条件分岐――いわば、バイパス機構として用意しました。あなたが純粋なオーガズムに達するのに不要なノイズを除去するために……そのため、あなたとイフルズは生得観念のレベルで接続されています」
しきが語っているのは、ソフィアの肉体の感覚の一部が、VRを経由してイフルズに押しつけられているということだ。そのせいで、VRの処理に常時負荷が掛かっている。そうなれば処理落ちが発生して、まともにVRでの情報処理が行えない。
だから、イフルズはVRPDだったのだ。
ソフィアは、服の裾を握りしめた。自分の存在が、イフルズから人生の一部を奪っただけでなく、障害を負わせていたのだと思うと、彼に対する負い目を感じた。それでも、自分の欠落感を埋める方法を知りたいという感情は消えない。仕組んだのはしきで、自分のせいではない。だが、心のどこかで、それが言い訳のような気がした。
俯いていると、しきが話しかけてきた。
「ソフィア。あなたは、欠落感を抱いていますね」
顔を上げて、相手の顔を見た。
「何で知ってるの……」
「私にも欠落感があるからです。そしてそれがあなたを作った理由です」
しきは、こちらに手を伸ばしてくる。その顔は、うっすらと微笑んでいる。悲願の達成を目前にしたようで、泣きだしそうな喜びの表情に見えた。
「あなたの光背こそ、私が追い求めていたもの。それにより、私の欠落感は満たされる」
しきの言葉と同時に、ソニアの脳波図がフラットになった。周期的だった信号音から間隔が失われ、平坦な電子音が部屋に響く。しきが老婆を一瞥すると、音が止んだ。
「終わり、ましたか……?」
背後で誰かが言った。振り向くと、扉の外にアルトが立っていた。彼の目は赤くなっていた。
しきが短く答える。
「はい」
「では、お暇をいただいても……」
どうぞ、と言い、しきがお辞儀する。
「今までありがとうございました」
しきの言葉を聞き、すっと腰元に手をやりながらアルトは言う。
「私こそ、あなたのおかげで、ソニアと出会えました。幸福でしたよ」
彼は、手に黒いものを握っていた。それをこめかみに押しつける。
「あぁ、VRPDがない……世界が拡がったようで――欠落を、感じます」
ソフィアはそれを一年ぶりに目にした。
銃だった。
「自殺とは」
しきが呟くのと同時に、破裂音が鳴る。大きな音と眩い光に、ソフィアは一瞬目を閉じた。次に目を開いたときに映ったのは、アルトがぐらりと後ろに倒れる光景だった。
彼は通路の手摺に引っかかり、半回転して一階のリビングに落ちた。遅れて、何か柔らかくて大きいものが床にぶつかって、ひしゃげる音がする。
「人間は不思議ですね」
しきが、しみじみと言う。
ソフィアは新たな根に選ばれた。




