クエリ
ギャロップの動作試験を終えたあと、イフルズはルクスリア軍の本部を訪れていた。
〝少尉殿、どこに行かれるのですか?〟
隣にいたエンプーサが訊いてくる。試験のあと、彼女はイフルズのARヴィジョンにアバターを表示して、そのままついてきていた。
エンプーサは、イフルズの情報処理の補佐としての役割も与えられていたらしい。そう言えば、本来は自分のAIアシスタントだったとベリカが言っていた。
エレベーターに乗りこみ、最上階のボタンを連打しながらイフルズは答える。
「ベリカ……フィロ少将に話がある」
〝何かお約束を?〟
「しているわけないだろう」
そもそも、少尉のイフルズが階級が七つも上であるベリカに、そう易々とは会えないのが普通だ。PSEUという裏の立場があっても、それは変わらない。だから、この行動は完全な越権行為だ。自分がベリカに気に入られているという自覚の上での無茶だ。
最上階に到着したこと知らせる合成音声が流れる。扉が開くと、イフルズは足早に人造大理石の床で、踵を大きく鳴らしながら目的地に向かった。そのあとを、エンプーサが慌ててついて行く。
〝少将殿は、この後すぐ、サルベージギルドに向かうご予定があるようですが……〟
軍内部で公開されているスケジュール表でも確認したのか、エンプーサが当惑した様子で言った。
「だから、わざわざ直接会いに行くんだ」
〝ですが……せめて、事前連絡を〟
エンプーサの忠告をイフルズは無視し、一つの扉の前で足を止めた。
扉の横には暗灰色の長方形の板が嵌めこまれている。ドアホンの端末だ。そこに手を置くと、部屋の内線システムと接続関係が成立する。通信経路が確立したのを確認すると、端末から手を離して発呼した。KUネットを経由して、コール音が頭の中で響く。
イフルズの後ろで、彼の身勝手な行動にエンプーサがそわそわとする。数回のコール後に、相手は着信を取った。扉の向こうに自分の姿が投影されているはずだ。
「フィロ少将、お話があります」
少しの間を置いて、返事がきた。
〝少尉か、今開けよう〟
その言葉と同時に、扉の錠が開く音がした。扉が横開きに動くと、イフルズは敬礼もせずに執務室に足を踏みいれる。その一方で、困惑した様子でエンプーサは部屋に入れずにいた。
室内には、テーブルを囲むようにゲスト用のソファが置かれている。正面奥には、コンソール機能が組みこまれたデスクを構えて、人間工学に基づいた高価なワークチェアにベリカが腰かけていた。
イフルズの様子を見て、部屋の主が怪訝そうに客を見る。
「どうした、騒々しい。らしくもない」
そこで、何かに気づいたように、ベリカは片眉を上げた。その視線は、イフルズではなく、その背後に向けられている。エンプーサがベリカのARヴィジョンへの接続依頼を出したのだろう。
「例のAIか。試験は終わったようだな」
〝少将殿、エンプーサです。少尉殿に命名されました〟
イフルズの背中越しに、エンプーサの畏まった声が聞こえてくる。おそらく、敬礼をしながら扉の前に立っているに違いない。ベリカが「入れ」と言うと、イフルズの隣まで彼女は歩いてきた。
イフルズはベリカに言う。
「試作戦闘機の試験が完了しました。結果はテクネ中尉から送られますので、そちらをご覧ください。それとは別に、お尋ねしたいことが二点あります」
表面的な言葉こそ礼儀を弁えていたが、イフルズは口調の端々にある棘は隠さなかった。
相手の返事を待たずに、イフルズは続ける。
「まずは、エンプーサのモデルについてです。なぜ彼女を使われたのでしょうか」
「憑依機構には、お前と親和性の高い人格が適任と考えていたのだが……その様子では、気に入らなかったようだな」
ベリカはデスクの上に両肘をつき、指を組んだ。
「お前に黙って――」
ベリカはそこで、エンプーサのほうへ視線をやり、少し言い淀んだ。
「――あの人格を引用したことは謝罪しよう。早急に新しいものを手配する。そのAIはこちらで破棄しておく。構わんな?」
最後の問いは、イフルズに向けられたものではなかった。
〝了解しました〟
迷った様子もなく、エンプーサは己の運命を受けいれた。
イフルズは思わず、彼女に顔を向ける。諦念すらなく、何の感慨もない表情だった。命令は形式的なものに過ぎない。AIが所有者に逆らえるわけがないのだ。
イフルズは、ベリカに向き直る。
「いえ、私はこのままで問題ありません……理由をお聞きしたかっただけですので」
〝少尉殿、よろしいのですか?〟
驚いた様子でエンプーサが訊いてくる。彼女も、イフルズにいい印象を持たれていないのは感じていたのだろう。まさか、引きとめられるとは露ほども思っていなかったに違いない。
イフルズも、自分が何でそんなことを言ったのかわかっていないのだ。彼女に思い至る理由があるわけがない。
相手にどんな顔をすればいいかわからず、イフルズは目線を合わさずに言う。
「……いいと言ったんだ」
〝ありがとうございます! 今後も任務に励ませていただきます!〟
エンプーサは心の底から嬉しそうな声を上げた。きっと、トレスと同じ笑顔を浮かべているのだろう。罪悪感で、イフルズは彼女の歓喜の姿を見られなかった。
「少将もよろしいでしょうか……」
イフルズが訊くと、相手は肩を竦めた。
「お前が気に入っているのなら、口出しはせん。それで? 訊きたいこととやらは、もう一つあるのだろう」
「ファルマ、というAIをご存知でしょうか?」
こちらの問いに、ベリカは思案顔で少し考えこむ。あぁ、と合点がいったという調子で言った。
「ファルマコンのことか。しき様が作られた、奴隷管理最高責任者AIだな。それがどうした」
嘘ではなかったのか、とイフルズは思う。
次に、だとすると、と迷いが生まれる。
ファルマについて話すべきか否か。
だがそもそも信じられるだろうか。〈苦痛〉の概念を名乗るAIが、たかが一介の奴隷に過ぎないイフルズに奴隷解放を頼んできたなど。
自分なら信じない。どころか、頭の中身を敵対勢力に弄られて、偽の情報を刷りこまれたと考えるだろう。VRPDなのだから余計だ。
そうすると、ありもしないバックドアが仕掛けられていないか、検査対象にされるだろう。下手をすると、見つからないセキュリティリスクにより、軍備奴隷失格の烙印が押されかねない。そうなったら、イフルズはこの国での存在価値を失う。ただ一つの暴力装置という価値を。
話すほうがイフルズにとっては不利益になる可能性が高いのは明白だった。
「……可能ならば、調べたい奴隷がいます」
だから、イフルズは嘘を吐いた。虚実半々の言葉だ。今まで、怖くて調べられなかったことがある。いや、怖いというよりも、事実として確定させたくなかったから、見ないふりをしていたことだ。
そんなことか、とベリカが言うと、ARヴィジョンにデータ送信の許可通知が表示された。受諾すると、一つの統一資源識別子を受信した。KUネット上のリソースの座標を示すデータだ。
「そこにアクセスしてみろ、少尉階級のお前の権限でなら許可されている」
言われた通り、イフルズはARヴィジョン上に統一資源識別子を展開してみる。白黒のPが鎖で繋がれた図案のロゴが表示された。おそらくは『ファルマコン』を示すシンボルなのだろう。ロゴの下には、様々な検索方法に対応したユーザインターフェースが用意されている。見た目はインタラクティブ方式の検索エンジンのようだ。
検索エンジンは、柔らかい女性の合成音声で話しかけてくる。
〝初めまして、イフルズ少尉殿。私は奴隷管理最高責任者AIのファルマコンです。ご用件をどうぞ〟
検索エンジンのAIは、イフルズの知らない相手だった。確かに相手はファルマコンと名乗った。しかし、その人格が自分の知るものとまるで違う。どういうことかと考えあぐね、ベリカの前で動揺を見せられないと判断し、平静を取り繕う。
何事もなかったかのように、イフルズは識別子『SPHA-LXRRT』を検索キーワードに指定した。
〝該当する奴隷はいません〟
結果のレスポンスは一瞬だった。呼吸を忘れる。わかっていた。しかし、返ってきた答えを、心の中で咀嚼し、呑みこみきれなかった。
やはり、ソフィアは死んだのだ。
自分が助けられなかったせいで。
表情筋が動かないように、奥歯を噛みしめる。イフルズはARヴィジョンを消した。
すぐに調べものを終えてしまったこちらを見て、ベリカが訊いてくる。
「どうした? もういいのか」
「あぁ……邪魔をした」
足枷でもつけられているように、イフルズは執務室を出た。得られた収穫が重荷にしかならなかった。
廊下で、扉の閉まる音を背に聞きながら、どういうことだと考える。
いったん、ソフィアのことは頭から締めだした。覚悟していたことだと自分を叱咤する。今、優先すべきことは、ファルマについてだ。
自分に接触してきたファルマは、奴隷管理用に作られた存在であり、概念を自称した。だが、実際に公開されているシステムであるファルマは、ただのAIのように振る舞った。それどころか、人格すら違う。辻褄が合わない状況に、惑わされるばかりだった。
頭を悩ませるイフルズに、エンプーサが心配そうに訊いてくる。
〝少尉殿、どうかされましたか?〟
「何でもない、気にするな」
話してもしようがないことだし、何よりエンプーサは軍備品だ。彼女を通じて話が漏れる可能性は十分ある。独りで何とかするしかない。
〝いや、気にするよ〟
エンプーサの声のトーンが急に下がった。この態度の急変は、以前にもあった。
イフルズは思わずエンプーサの姿をしたそれを睨みつける。
「……ファルマか」
〝ボクのことを調べようとしても無駄だよ。正体を知っているのは、君しかいない。他の人たちは、皆、ボクが概念であることすら知らない〟
「何だと……しき様もか?」
〝もちろん。あいつはボクに苦痛を押しつけるだけ押しつけて、あとは放置しているからね。そもそも、自分の機能の一部を自律したモジュールにした程度にしか思ってないんじゃないかな? 仕事さえきちんとこなしていれば、何も言ってこないのさ。言うなれば放任主義だね。概念らしい合理性だけど、まったくひどい毒親だ〟
やれやれ、と言わんばかりにファルマは首を振る。
「お前に親なんて概念があるのか」
イフルズは鼻を鳴らして皮肉気に言った。しかし、相手は意に介していないのか、それともこちらの態度の意味を理解していないのか、真顔で答える。
〝継承の関係で見れば親だね〟
あぁ、話が逸れた――ファルマは、思いだしたように両手を合わせる。
〝ボクが奴隷解放を企んでいることは、しきも知らないよ。その辺は、きっちりと隠蔽している。だから君も、秘密裏に動くように〟
「オレはまだ協力するなんて言ってない」
〝あぁ、すまない。先走ってしまったようだ。まさか、表立ってボクのことを調べようなんて、愚かな行動に出るとは思っていなくてね。ただの忠告と思ってくれていい。でも、あれあれ? ベリカにボクのことを話さなかったのはどうしてなのかな?〟
ファルマはとぼけた調子で言う。それはお前が接触してきたせいだろ、とイフルズは口にしかけたが、ぐっと抑えた。こいつに何を言っても、話の主導権を手放さないに違いない。
つき合いきれない、とイフルズは廊下を歩きだす。
「用は済んだな? ならさっさとエンプーサから出ていけ」
〝おや、彼女の心配かい? 意外だね、気に入っているじゃないか〟
「失せろ」
軽口に苛立ち、イフルズは乱暴に吐き捨てた。後ろで「えっ」という声を上がる。
〝あ、はい……失礼します。ご用があれば、またお呼びください〟
いつの間にか、エンプーサに戻っていた。
イフルズは慌てて訂正しようとする。だが、その前に、エンプーサは悲し気な顔をして、姿を消してしまった。
一人だけになった廊下で、額を押さえてイフルズは大きく嘆息した。




