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エイドスの地  作者: 黒石迩守
第三部 無花果の種子

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種子

「〈種子ビージヤ〉とは」


 革張りのアームチェアに深く座り、頬杖をついたベリカが言った。


「我がフィロ家のような、ルクスリアの貴族家系ノブレスに伝わる伝承だ」


 イフルズたちPSEUの隊員は、あるVR空間にいた。


 そこは四方が本棚に囲まれており、空間が正方形に区切られている。ただし、本棚の頂点は見えず、見上げればどこまでも続いており、天井がない。吹き抜けの空には、何もレンダリングされていない銀灰色の情報空間インフオスフイアが虚空の口を開けていた。


 隊員たちは思い思いに立ち振る舞い、部屋に用意されていた木製のボックススツールに腰を落とす者もいれば、本棚に寄りかかっている者もいる。ゆいいつ、アレックスが当然の定位置という顔で、ベリカの隣に直立不動に控えていた。


 ここはベリカの書斎だった。


 この書斎には扉がない。壁のすべては本棚であり、ソフト、ハードを問わず様々に装丁されたカバーの書籍で埋めつくされている。それらは無意味な装飾のオブジェクトではなく、きちんと一冊一冊が本としての意味を果たすための情報を持っていた。


 ベリカが私的に蒐集した記録と書き留めてきた記憶たちであり、オフラインのサーバマシン上に、このVR空間は構築されている。KUネットに繋がっていない物理ストレージは、技術支配の時代において、管理の目から逃れる目的で使われることが往々にあるため、軍から禁制品指定されているのが普通だ。


 PSEUの隊員たちは皆、暗灰色で光沢のないペンのような棒を手にしている。個を持たないCEMの特性を利用したアクセスポイントだ。サーバマシンとEPR相関を持つこの携帯基地局は、どれだけ物理的に離れていても情報的な繋がりを持ち、ベリカが許可した者にサーバへのアクセス権を与える。いわば、ベリカの頭の中への招待状だ。


 ベリカが当たり前のように私物として使うそれらのデバイスは、一般人であれば単純所持ですべて法に触れる。ルクスリア軍のベリカ・フィロ准将だからこそ、持ち得る代物だ。


 それは同時に、この場が、彼女が持つ最高級のプライベートであることも意味していた。


 しかし、かといって、概念コンセプトにより支配されている国家の中で、完璧な私的空間などはありえない。せいぜい、気取られにくい、という程度だ。


 そこに()()、ということがわからなければ、どんなものでも見つけられない。藁の中から針を見つけるのが論理的に可能なのは、そこに針があるとわかっているからだ。存在が知られているか否かは、概念コンセプト相手ですら強力な迷彩効果となる。


 ただし、概念コンセプトがその気になれば、国家の領域内にあるものすべてを走査スキヤン可能だ。そういう意味では、この迷彩は、水に濡れればたやすく破れる薄紙ほどに脆く、危うい。


 わざわざベリカの屋敷に招かれて、さらにこのような秘された自律稼働スタンドアロンのVR空間で行われるのは、()()()()()()()()()話だとは誰もが理解している。それでいてなお、PSEUの隊員たちはそれが当たり前だという顔をしていた。


 ベリカが続ける。


「〈種子ビージヤ〉の伝承を遺したのは、しき様が姿を隠された当時のルートであるソピアー様だ」


 ベリカの言葉と同時に、部屋の中央に一人の女が現れる。立体映像ホログラフイだ。


 その女は金糸のような美しい髪をしており、狼のような琥珀色の瞳で、優しく微笑んでいる。しかし、その表情にはどこか憂いが滲んでおり、どこか陰のある印象だ。この女が、数百年前のルートであるソピアーのようだった。


 虚像の女が口を開く。



 ――しきは、〈種子ビージヤ〉を求めて身を隠したわ。


 ――この〈種子ビージヤ〉が芽吹いたとき、この国は滅びるかも知れない。


 ――けれども私は、この〈種子ビージヤ〉を否定できない。


 ――それは、しきを否定することになるから。


 ――だからもし、〈種子ビージヤ〉がこの国で芽吹きそうになったとき……


 ――それをどうするかは、その時代の人たちが決めるべきだと思うの。



 立体映像ホログラフイの女を消して、ベリカが言う。


「これがソピアー様が遺した言葉だ」


 はっきりとしない、何を伝えたいのかも()()()()な伝承だった。ソピアーの言葉を選ぶような意味深な言い回しには、明らかに何かを隠匿する意図が感じ取れる。言えなかったのか言わなかったのかは不明だが、そもそも彼女は、〈種子ビージヤ〉というものが何なのか自体、説明する気がなかったに違いない。


 ただ一つわかるのは、何か、この国を滅ぼす可能性を持つ、〈種子ビージヤ〉というものが存在するということだけだ。


 曖昧に過ぎる伝承を聞かされた隊員たちが、何も言えずに口を噤んでいると、その静寂を淡々とベリカが破る。


「お前たちのその反応は当然だ。この国の貴族たちも、誰一人として〈種子ビージヤ〉を気にも留めていない。数年前までは私もそうだった」


 部屋の隅で、皆から離れて膝を抱えてスツールに座っていたルーナが、ぼそぼそと言う。


「う、うちのアサヒ家にも伝わってるけど、それってただの御伽噺じゃないの? 貴族に『高貴なる者の務めノブレス・オブリージユ』を意識させるために、わ、わざと遺された外典アポクリフアみたいなものだと思っていたんだけど……」


 もっともだ、とベリカは首肯する。


「私の父もそうだった。しかし、私の考えは違う。〈種子ビージヤ〉は存在すると判断した。しき様がお隠れになったことを、真に自由な〈官能〉のための放任など、耳触りの良い慈愛の言葉で表すのは牽強付会だということだ、ルーナ」


 部屋の後ろのほうにいたイフルズの隣で、足を投げだしてスツールに座っていたナールが耳打ちしてくる。


「アサヒ大佐って、一応貴族なんだよな。なんからしくないよな、おどおどしてるし」

「そうですか? 俺はベリカ……准将が()()()()()だけだと思いますけど……」


 一口に貴族階級と言っても様々だ。古ければ古いほど名門であるのは当たり前だが、ルクスリアには官能の等級(センソリー・グレード)がある。等級を維持できない――すなわち、血族の共有幻想(ブラツド・マトリクス)を子々孫々と伝えられない家は、あっという間に没落するのだ。それこそ、ダッカー家のように。逆に、ハイグレードの人間を輩出し続けられる家――血筋として受け継がせるべき家訓のフレームワークを手に入れた家は、新たな貴族として迎え入れられる。


 イフルズが耳に挟んだ話によると、ベリカとルーナは士官学校の同期なのだという。ルーナ自身は、軍人としてはほぼ落第生だが、情報処理能力に秀でているため、その能力をベリカに目をつけられたのだそうだ。


 アサヒ家はそういうインドア派貴族なのだろう。


 ルクスリアという国の性質を考えれば、そんな貴族がいても何ら不思議ではない。むしろ、家が掲げる〈官能〉と無関係なところまで所作や振る舞いを洗練するようにしているベリカのフィロ家が、とても古く、おかしい部類だろう。本来なら、イフルズのような殺ししか能力のない奴隷が、直接声を聞き、顔を拝むことなどできない人間なのだ。


 そういう意味では、ベリカはルクスリアのお姫様とも言えるわけか――自分で考えたくせに、ベリカに『姫』というのが似合わなさすぎて、思わずイフルズは吹き出しそうになった。


 ベリカの真正面に座り、まっすぐに背筋を伸ばしてスツールに座っていたユスティナが、勢いよく手を上げる。


「発言を」


 ベリカが短く「許可する」と答えた。


「その〈種子ビージヤ〉とは結局、一体何なのでしょうか」

「不明だ」


 ベリカの即答に、ユスティナは面食らったように言葉を詰まらせる。


「ふ、不明……ですか?」

「そうだ。しき様が欲されているということは、何かのプログラムのような情報的存在か、はたまた、特殊なデバイスのようなものかも知れない。しかし、詳細は一切伝わっていない。わかっているのは、先の伝承にあった内容だけだ。少なくとも、しき様が求めるものだ、〈官能〉に関わるものなのだろう」

「で、では、ベリカ准将はどのようにして〈種子ビージヤ〉の存在を確信されたのでしょうか?」

概念コンセプトは絶対ではない」


 ベリカはさらりと、地球は丸い、と当然のことを言うような調子で言った。


 だが、その言葉はその場にいた全員を戦慄させた。


 ベリカは今、概念コンセプトの権威に疑義を呈する発言をしたのだ。概念コンセプトに鼎の軽重を問うような発言など、国を否定しているに等しい。混沌ケイオスに抗する環境建築物アーコロジーを維持管理している相手に弓引く行為が何を意味するのかは、子供でもわかる。


 もし真顔でそんなことを語る人間がいるとしたら、脳を焼き切られる運命にある思想犯か、混沌ケイオスと一体化すべきと唱える終末論者ぐらいだ。


 鷹揚とした態度を崩さぬまま、ベリカは小さく嘆息する。


「サルベージギルドを知っているな? あれが国家となったのが、私が〈種子ビージヤ〉に対する態度を改める契機となった」


 サルベージギルド。数年前のある日、何の前触れもなく、新国家として勃興した技術者集団だ。


 そして、今の世界で国家として認められるということは、概念コンセプトを要するコミュニティであることが最低条件だ。新たな概念コンセプト――〈妄想〉が発生したのは、序列国家が支配する世界にとって事件ではあったが、惨事とはならなかった。


 概念コンセプトたちによる協議は、人間では気づけない速さで始まり、気づく前に合理的に終わったからだ。国家間の均衡を考え、サルベージギルドを国家として承認する。それが結論だった。


 壁に寄りかかっていたグレンが、顎をさすりながらベリカに訊く。


「我が国にもサルベージギルドの特区は存在し、領土を簒奪されました。それが何か関係を?」

「いや、違う」


 ベリカは首を横に振った。


「では、サルベージギルドはどういう……」

「パラダイムシフトだ」


 話の意図がくみ取れず、グレンは沈黙でベリカの話を促した。


「新たな概念が生まれることがあるならば、死ぬこともあるだろう――もっとも、人類の集合的無意識から発生した彼らに、真の意味での死はないかも知れないが。人類は自ら生み出した概念を忘れることはあっても、概念それ自体が消えることはないのだから」


 その言葉を聞いたユスティナが、焦燥を浮かべてスツールから立ちあがる。


「べ、ベリカ准将は、しき様がお亡くなりに……その、じ、()()()()()()()()と?」

「落ち着け、ディカイオス中尉。ベリカ准将の話はまだ途中だ」


 興奮したユスティナを、アレックスが平板な口調で窘めた。ユスティナは我に返った様子で、恥ずかしげにスツールに再び座る。


「も、申し訳ありません……」


 ベリカは話を続ける。


「私がサルベージギルドの一件で得た知見は、概念が含意するものは変質しうる、という気づきだ。ならば、概念コンセプトは人間の事情など置き去って、彼らの目指すべき本能に従った結果、その意味が変わることもあるはずだ」


 膝を抱えたままのルーナが口を開く。


「リカちゃんは……あ、ごめん。ベリカ准将は、概念コンセプトに対する認識を変えた、ってことだよね。で、でも、しき様の〈官能〉が変質したとして、それってルクスリアの滅びに繋がるの?」

「十分にある。かつて旧文明にあった、〝平らな地球〟が死に絶えたように。しき様が〈種子ビージヤ〉を手にし、それが芽吹いたならば、〈官能〉が変質するのは間違いない。ならばそのとき、ルクスリアは今のままでいられると思うか、ルーナ? 私はそうは考えない」


 眉間に皺を寄せて思索に耽っていたグレンが疑問を口にする。


「……しき様が姿を隠されてから、数百年の安寧が続いています。それが今後も続いて、しき様が〈種子ビージヤ〉を見つけられないという可能性は?」

「それは備えない理由となるか、グラント少佐?」

「なりませんな。失礼しました」


 グレンは肩を竦めてシニカルに笑った。


「私はこの国の守護者を自負している」


 ベリカは静かに、アームチェアから立ちあがった。


「だが同時に、与えられるばかりのこの国で、私は自由意志を行使できているか疑問に思っている。だから私は、()()()()を実感するまで、この国を護ると己に誓っている。ならば、この国を滅ぼす可能性を持つものは、すべて私の〈闘争〉の対象であり、〈敵〉だ」


 そして隊員たちの目を見据えて、決定的な言葉を発する。


「それがたとえ、この国の概念コンセプトが求めるものであっても」

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