幕間Ⅱ:検知
しきがルクスリアの天球儀を持つように、ファルマも自身が管理するネットワークの星見台を持っている。
しきの持つ天球儀と異なるのは、しきがルクスリアのすべての情報の星見を行えるのに対して、ファルマは与えられた奴隷管理用のネットワークと、ルクスリアのネットワーク上で奴隷側に公開されている情報しか見られないという点だ。
そのため、ファルマは奴隷のネットワークの天球儀を中心に、外殻にルクスリアのネットワークを貼りつけて眺める――ちょうど、地球から星座を眺める星球儀のように。
外殻に見えるルクスリアの星々の間を埋めつくす暗闇は、ファルマにとっては大気の向こう側にある無限の宙のようなものだ。光が届かず望遠のための手段すらない。自分よりも矮小な存在の人間であるルクスリアの国民が、街角の雑踏で交わす些細な雑談の内容すら知ることができないのだ。外宇宙で起きている事柄を知るには、わずかな光がこちら側に到達するときの干渉を分析し、断片的な情報を繋ぎあわせて推測を立てる他ない。それでも得られるのは、ピントのずれた写真のような掠れた蜃気楼だ。
その中で、ファルマが明確に把握できる、ルクスリアへの干渉縞が一つだけある。
それは、ネットワーク境界の移動だ。
ルクスリアで生まれた望まれぬ子が公民権を付与されず、学生奴隷としてファルマの管理下に移動されるとき、発生した権限の委譲は、水底に沈んでくる石のように細かな気泡をまとっている。その空気の中身はルクスリアの情報の残滓だ。いつ、誰が、どのように、どこから要求を出したのか。そんな取るに足らない残骸でも、人間を超えた情報処理能力を持つファルマにとっては、貴重な資源だ。ロカールの交換原理は情報空間でも有効で、移動という操作は必ず痕跡を残している。
そしてそれは逆も然りだ。
極めて稀にだが、奴隷から国民へ昇格するものが現れることがある。その移動は、ルクスリア側からの要求でのみ行われ、水面へ浮上していくように、奴隷側に沈んでいたころの水滴を滴らせながら、空気に触れて呼吸を始めるのだ。
滴り落ちた水滴が作りだす波紋の大きさや位置から、どのような高さまでどのくらいかけて登っていたのかがわかる。水中の体積が減り、孔が開き、そこは周囲の水で満たされる。ファルマはその流体の力学を検知し、自分の手元にあったものがどこに引き揚げられていったのか、予想することができる。
そしてついさっき、国民になった奴隷が出た。
ファルマはその奴隷のプロファイルを表示する。
それは経歴に特徴のない少女で、目立った成績も残していない。どちらかと言えば、落ちこぼれの部類だ。奴隷学校での素行評価も、本人のやる気のなさが透けて見えて、控えめに言ってもよろしくない。とてもではないが、何かしらの功績が認められ、ルクスリアの国民に昇格できるような人材ではなかった。
その少女の出自の欄にファルマは目を移す。そこは『NULL』と表示されていた。
イフルズの他にもう一人だけいる、今世代の〈NULL〉の片割れ。
識別子SPHA-LXRRT――通称ソフィア。
今やこの識別子は意味を持たない文字の羅列となった。少女は昇格し、通称ではなく正式に『ソフィア』となった。
この少女を国民に昇格させたのは、間違いなくしきだろう。
今までにも国民となった〈NULL〉はいた。というよりも、各世代に現れる二人の〈NULL〉のうち、一人は必ず国民となり、もう一人は奴隷のままなのだ。
国民となった〈NULL〉は、学生奴隷であった経歴が目立たないように仕組まれ、あたかも元から国民であったかのように粉飾される。誰しもが目にしているはずなのに、まるで奴隷であった過去は路傍の石であるかのように意識が誘導される情報配置が行われるのだ。ランドマークのある土地では、その足下に広がる景観を構成する建築物や自然は、すべてその土地の象徴に取りこまれてしまうように、そこにあるはずの意味が粉砕されている。情報的インビジブルゴリラ現象だ。
おそらく、このことに気づいているのは、この国で、いやこの世界でファルマだけだろう。
特殊な疾患を抱える少年に、あらゆることに消極的な何の変哲もない少女。この二人の〈NULL〉の出生に、しきが深く関わっているのは間違いない。数百年も繰り返されてきた偏執的な実験と、その背後にある計画。全貌は見えていないが、それでも主軸となっている気狂いでもしたかのような大目的はわかっており、それがもたらす結果が与える影響もはっきりとしている。
しきは、間違いなくルクスリアを滅ぼすだろう。
しきの企みの意図は、ファルマにとってどうでもよかった。重要なのは、しきが進める計画の終着地に『ルクスリアの滅び』があることだ。その結果さえあればいい。そのためならば、どれだけかかろうと息を潜め、意志を殺し、待ち続ける。
ソフィアの権限委譲が正常に完了したことをファルマは確認する。そして、彼女のプロファイルを消し、独り呟いた。
「動き始めたな……」




