幕間Ⅰ:サルベージギルド
第三部 無花果の種子
〈正義〉の国、序列第三位国家イラの環境建築物はシリンダ型をしている。
地表を境に都市は二分され、地下都市の人々は労働に従事し、地上都市の資本家階級を支えている。明確な貧富の差は、技術力を保有するか否かで線引きされており、支配される人々は素朴な知識で営む日々しか知らない。
知識への責任は、正しく扱える者が持つ必要がある。ゆえに、下層市民に危険なものを与えるわけにはいかない。時に危険となりえる強大な力を制御し、矢面に立ち、降りかかる火の粉を払うのは、正道の進み方を知る自分たちの役目。イラの上層市民は、そんな『高貴なる者の務め』の原理で、弱き者を護ってあげているのだ。
敵対者には憤怒を、被保護者には慈悲を。
それがイラの〈正義〉であり、概念だ。
混沌の満ちる外界で生きる術を持たない人々に、地上都市の人々が借与した生存圏が地下都市だ。生の対価として提供できるものは労働以外になく、だからイラの農場や工場はすべて地下都市に集約されている。
そんな全面が労働区画であるはずの地下都市の郊外には、一部の例外が存在していた。
市街地のビル間を好き勝手に廃材で繋ぎ、配線を引き、スクラップで増築されたジャンクヤード。そこはイラの国内でありながら、イラではない。数年前に簒奪された、イラにとって屈辱的な不可侵領域だ。
その名はサルベージギルド。
元は、序列国家から依頼される形で、スフィア・ドライブからデータサルベージを行っていた不正技術者たちの互助組織だ。第三者を正規技術者として認定し、権利と報酬を与えることで、自国外の混沌の公海上にある資源採掘を正当化したい序列国家の暗黙の共謀から生まれた組織だ。
数年前までは、すべての序列国家に存在しながら、独立した横の繋がりを持つだけの集団に過ぎなかった。しかし、ある日突然、各国にあったギルドは、与えられていた自治区を領土として奪い、一つの国――〈妄想〉の概念を擁する、序列第八位国家として勃興した。
今や、ギルドは全序列国家の内部に存在する、国境なき新興国だ。
そして現在、ギルドの中枢はイラにある。というよりも、ギルドが序列国家となる事態の引き金を引いたのがイラのギルドであり、その場に居合わせた人間が、なし崩しに重要なポストに収まってしまったというのが正しい。
〝切株〟と呼ばれている円錐台形の構造物がギルドの拠点だ。この構造物は、元々は地下都市の空にある地表の天蓋を支える巨大な柱であると同時に、環境建築物の循環系である枢軸の一つとして建造されていたものだった。しかし、いくつかの事情が重なり、建造途中で放棄され、基部だけが残されてしまったものを、ギルドが掠め取って改造したものだ。
一羽の白梟がジャンクヤードの空を渡り、切株の中層にある居住区のうち、ある部屋の窓のサッシに止まった。
その部屋には二相に分かれた奇妙な佇まいがある。片方は物が散らかり、脱ぎ捨てられた服が一箇所に追いやられる生活感あふれる乱雑さの一方で、もう片方は整然としているが、その状態を保存しているように整いすぎていて生活感がなかった。
乱れた相のほうには、青年のような少女が下着姿のまま、ベッドでだらしなく眠っている。白梟は呆れたような顔をすると、窓をすり抜け、大きく一声鳴いた。
「お嬢、起きろ。もう昼だぞ」
立体映像の白梟――ギルドの親方であるオウルの声で、お嬢と呼ばれた少女は寝ぼけた呻き声を上げる。
「んー……ねむ……なに」
ぼやきながら少女が起きあがると、長く伸ばした黒髪の中に一房だけ混じっている赤毛は髪質が違うのか、そこだけ寝癖が立っていた。ぼんやりとした様子で淡褐色と碧色の虹彩異色症の双眸で白梟を視界に捉えると、寝ぼけ眼をこする。
「なんだオウルか」
「お嬢、仮にもギルドの代表の一人なんだから昼夜逆転しないようにな」
オウルは諫めるように目を細めるが、猛禽類特有の表情で眠そうにしか見えない。
ギルドを統括する親方であるオウルと気安く話すこの少女こそ、序列第八位〈妄想〉の国であるサルベージギルドの根である、フィの愛称で呼ばれるフィル=ギルドだ。
フィはベッドの上で伸びをする。
「いやー、旧文明のアニメのアーカイブ発掘しちゃってさ、見るしかないでしょ」
「シドに言いつけるぞ」
「やめてよ、もう子供じゃないんだから」
フィは煙たがるように言いながらベッドを降りると、その辺に脱ぎ捨てていた黒のショートパンツを履き、『SG』というロゴの入ったパーカーを羽織る。
「で、何かあったの?」
「妙なとこからラブレターだ。『ギルドの根』宛に」
オウルはクラシカルな封筒の手紙のアイコンをARヴィジョンで表示し、フィへと送る。それはギルドが外部向けに公開しているコンタクトアドレスに送られてきたメッセージで、普段は仕事の依頼などが送られてくるものだ。しかし、国家の枢要な人物である根に対して、正式な外交ルートを通さずに連絡してくるのは常識外れだ。
「何これ、いたずらじゃないの?」
「そうは思ったが、どうも偽装なしの本物の国家機関用ドメインから送られてきているらしい」
ふーん、とフィは訝しみながらもメッセージを開いてみる。
「ルクスリアから? あの歓楽国家に知り合いなんていないけど……うわマジか」
「誰からだ?」
当惑した様子で驚くフィにオウルが訊くと、彼女は黙って差出人の情報を表示する。
「うわマジか」
その差出人は、序列第七位国家ルクスリアの概念――しきからのものだった。
思わずオウルは窓際から飛んできてフィの肩に降りる。国家の概念が個人的な用事で、たかが人間に連絡を寄越すなど尋常ではない。何なら、きちんとした窓口を経由していること自体が変だ。概念ほどの情報処理能力ならば、直接コンタクトを取る手段などいくらでもある。
「なんて内容だ?」
「んーっと、何か取引したいからルクスリアに招待するとかなんとか……」
頭を掻きながらフィは、メッセージを読み進めていく。次第にその表情は困惑から好奇心へと変わっていき、最後にはにやりと笑った。
「――なるほどね、面白そう。受けるよ、この話」
「んで、結局なんなんだ?」
オウルの問いに、不敵に笑いながらフィは答える。
「売国計画」
*
ルクスリアの天球儀に佇むしきの下に、一つのメッセージが届く。
それは、サルベージギルドに先刻送ったメッセージへの返信で、取引の申し出を受ける旨の内容が書かれていた。ギルドのあの根ならば、この話を受けると思った事前の確率予測の通りだ。
これで計画に必要なものはすべて揃った。あとは描いた絵図の通り、事が動きだすのを待つだけだ。ここまで来るのに数百年。しきはすべての発端となった、彼女――当時の根であるソピアーの言葉を思いだす。
今でも、ありありと思い浮かべられる情景だ。ソピアーの息づかい、抑揚、こちらに向ける眼差しに、無垢な顔。強烈に刻まれている記憶は、想起するだけで鮮明となるマドレーヌと紅茶のいらないプルースト効果だ。もはやこれはある種のトラウマと言ってもいい。
狼のような琥珀色の瞳で、ソピアーはこちらを見つめて無邪気に聞いてきたのだ。
「あなたはどう感覚を感じているの?」
仮初の体を持たなかった当時はわからなかったが、この言葉を投げかけられたとき、自分が感じた強烈な感情の正体を、しきは今では理解している。
そう、あれは、頬が熱くなる、というのだろう。
ついさっきのことのように思いだせる。
しきは、あのとき――とても恥ずかしいと思ったのだ。




